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幼少期は泣き虫だった

当時、私の家は決して裕福ではありませんでした。
住まいは母方の実家で父はいわいる
サザエさんでいうマスオさん。
オンボロ平屋の母屋…
ドリフのコントに出て来るような
あの木造平屋です。世代がわかる…w
そして田舎だから土地は広いので
私が生まれて離れの平屋を父が建てました。後に子ども部屋となります。
今もなお残っており、物置き部屋となってます。

祖父は戦後、母が生まれてすぐ亡くなり
祖母は母の姉叔母と母を1人で育てた
パワフル婆さんなのです!

私は3番目の子どもだったので
なかなかのほったらかし育児だったと思います。
しかも生まれた時、4キロもあり
抱っこも大変だったからか⁈
父母に抱っこしてもらった記憶が
あまりない…
兄と姉とは4歳、2歳差だし
父母もかなり色々と大変で
余裕がなかったんじゃないかと
今だからわかる。

そんな状況だから祖母が私をよく
見てくれた。父母より祖母が大好きだった。普段は厳しい祖母でしたが
私にはとても優しく温かいお婆ちゃんでした。
誰もかまってくれなくて泣きじゃくっている時は、必ずお婆ちゃんがおんぶして近所を散歩してくれるんです。
その丸くて温かい背中は今でも忘れていません。お婆ちゃ〜ん(;_;)

私が小さい時の父母の印象は
とにかく忙しそうで怒りっぽく
イライラしていて怖かったです。
甘えさせてもらえなくて凄く寂しくて
ずっと泣いていました。
なので祖母の優しさには本当に救われました。

当時の兄妹はそこそこ仲良しで
3人でよく遊んでいた記憶があります。兄も基本優しくてよく背中に乗せてもらいお馬さんごっこをしました。
姉はやはり憧れの存在で、姉のする事を真似ばかりして嫌がられてましたw
姉は身体が大きく怒るとめちゃくちゃ力も強くて怖かったです。

父母はそんなに大きい方ではないのに
兄も姉も背が高くて私も含めぽっちゃり系の大きな兄妹でした。

小さな集落なので当時は近所の家も家族の様な関係で、実際親戚も多いし
子供達も皆んな集まってよく遊びました。お兄ちゃんお姉ちゃん達にここでもギャン泣きながら必死でついて行ってました。ウチの姉はシラーっ(; ̄ェ ̄)としてましたが、他のお姉ちゃん達が、よしよし( T_T)\(^-^ )してくれて嬉しかったのを思い出します。
あ、兄は泣いてる私をよく抱っこして
引きずって家に連れて帰ってたかなぁ(^_^;)

そんな手のかかる幼少期の私でした。




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