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第21週 月曜日 歴史上の人物 上村松園


第21人目の歴史上の人物は日本の画家で女性として初めて文化勲章を受章された上村 松園です。

「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(いずれも松園のことば)を念願として女性を描き続けられました。


上村 松園(うえむら しょうえん)は1875年〈明治8年〉4月23日上村 津禰(うえむら つね、「禰」は「示」偏に「爾」)として京都市下京区四条通御幸町(ごこまち)の葉茶屋「ちきり屋」の次女としてお生まれになりました。

誕生2か月前にお父さんを亡くしておられます。

母仲子さんは女手一つで松園と姉、2人の娘を育て上げられました。

明治の女性が画家を志すなど、当時は世間で認めるところではなかったが、お母さん仲子さんは常に松園を理解し励まし支え続けました。

松園はその著書『青眉抄』で母を追憶して「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」と述べているそうです。

そして母を亡くした後には、「母子」「青眉」「夕暮」「晩秋」など母を追慕する格調高い作品が生まれました。



1887年(明治20年) 松園は京都府画学校(現:京都市立芸術大学)に入学、四条派の鈴木松年氏に師事します。
1890年(明治23年) に第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品します。この作品は一等褒状を受賞し、来日中のヴィクトリア女王の三男アーサー王子が購入し話題となったそうです。
1893年(明治26年) 幸野楳嶺氏に師事。火事のため高倉蛸薬師に転居します。また市村水香に漢学を学び始めるようになります。
1895年(明治28年) 楳嶺氏の死去にともない、竹内栖鳳氏に師事するようになられます。
1902年(明治35年) 長男・信太郎(松篁)が誕生します。父親は最初の師の鈴木松年氏だったとされたそうですが、未婚の母となった松園は多くを語りませんでした。
1903年(明治36年) 車屋町御池に転居されます。
1914年(大正3年)  間之町竹屋町に画室を竣工されます。また初世金剛巌氏に謡曲を習い始められます。

1915年(大正4年)の「花がたみ」の題材、謡曲『花筐』(はながたみ)を制作されます。この作品は、継体天皇の皇子時代に寵を受けた照日の前が形見の花筐を手に都に上り、紅葉狩りに行き逢った帝の前で舞うという内容で208×127cmの大作である。松園は能面「十寸髪」(ますがみ)を狂女の顔の参考にしたそうです。

1918年(大正7年)「焔」を制作されます。この題材、謡曲『葵上』は、『源氏物語』に登場する六条御息所の生霊を桃山風俗にて描いた、松園言うところの「数多くある絵のうち、たった一枚の凄艶な絵」だそうです。

誇り高い六条御息所は、光源氏の正妻葵の上への屈辱と嫉妬から生霊になり、葵の上を取り殺してしまう)。後れ毛を噛む女の着物には藤の花と蜘蛛の巣が描かれています。189×90cmの大作で、大変な迫力をもって見る者に迫る絵で松園の代表作の一つです。


1934年(昭和9年) 母仲子さんが死去されます。

同年お母さんをモチーフにした『母子』を制作されます。この作品は 重要文化財になりました。

1936年『序の舞』を制作されます。  

「なにものにも犯されない、女性のうちにひそむ強い意志」を、静かなうちに凛として気品のある仕舞「序の舞」を通して松園は描いています。

絵のモデルは息子上村松篁の妻(孫上村淳之の母)の未婚時代の姿だそうです。
松園をモデルにした宮尾登美子の小説の題名にもなりました。


重要文化財 となり、1965年(昭和40年)発行の切手趣味週間の図案に採用されました。


1941年(昭和16年) 帝国芸術院会員になられます。
1944年(昭和19年)7月1日  帝室技芸員になられます。
1945年(昭和20年) に奈良平城の唳禽荘(れいきんそう)に疎開されます。
1948年(昭和23年) に 文化勲章を受章されます。女性として初めてのことでした。
1949年(昭和24年)8月27日 に死去。従四位に叙される。享年74でした。法名は、寿慶院釋尼松園。

上村松園の遺作展の収益を基金に若手女流日本画家を対象とする上村松園賞が設けられ、5人の画家が受賞しました。

受賞者
秋野不矩(第1回、1950年度)、堀文子(第2回、1951年度)、朝倉摂(第3回 、1952年度)、小倉遊亀(第4回、1953年度)、広田多津(第5回、1955年度)


実際の絵は以下のビデオで簡単に見れます。




何冊か本もあります。




めぐめぐがすごいと思う上村松園のこと

1家族の協力もあり、なりたい画家になられ、家族をモデルにした絵を多く描かれたこと。

2画家になられてからもずっと絵を習い続け素晴らしい作品を書き続けられたこと。

3お母さんと同じように一人で子どもを育て、息子も孫も画家にしたこと。



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