第11週 月曜日 歴史上の人物 福田敬子
11人目の歴史上の人物は 柔道を世界に伝えた福田 敬子さんです。
福田 敬子(ふくだ けいこ)さんは1913年4月12日 現在の東京都出身。
講道館創始者の嘉納治五郎が柔術を学んだ天神真楊流柔術の福田八之助の孫にあたられます。
21歳(1935年)の時、嘉納の勧めで講道館女子部に入門され、嘉納に師事されました。
1964年、東京オリンピックの女子柔道のエキシビションで乗富政子さんと「柔の形」の演武を披露されています。
1966年に柔道の国際的普及のために渡米され、サンフランシスコに「桑港女子柔道クラブ」を設立されました。
以降、形の普及に力を入れ80歳を過ぎるまで世界各地を飛び回り、1990年には長年の功績が認められ勲四等瑞宝章を受章されています。
2006年、日本の女子柔道家としては史上初の講道館九段に昇段され、2011年8月にはアメリカ柔道連盟により女子柔道家としては史上初の十段に昇段されました。
晩年はパーキンソン病を患い足が不自由となられましたが、それでも週に2,3回は道場に顔を出し指導を行ったそうです。
しかし2013年に入ると体調を崩し肺炎を発症、2月9日サンフランシスコ市内の自宅で死去されました。99歳でした。
葬儀は2月22日、本人の遺志に基づきサンフランシスコの桑港寺で営まれ、遺骨は福田家と、47年に渡りサンフランシスコで共同生活を送ってきた教え子のシェリー・フェルナンデスとで分骨され、日本では文京区の吉祥寺に納骨されたそうです。
3月8日には都内で「偲ぶ会」が開催され、日本女子柔道倶楽部代表の山口香や全日本女子柔道会会長の関秀ら約50人が参列し、柔道の母たる福田に感謝すると共にその死を悼んだそうです。
2012年、日系米人フィルムメーカー、ユリコ・ガモー・ロマーにより、彼女の伝記映画 "MRS. JUDO: BE STRONG, BE GENTLE, BE BEAUTIFUL”が完成し、日本では2015年『福田敬子~女子柔道のパイオニア』の邦題で上映されています。
福田敬子さんについての本は以下の本があります。
めぐめぐがすごいと思う福田敬子さんのこと
1生涯99歳まで柔道の道を本当に極められたこと。
2アメリカの地で一人で柔道を伝えはじめ、やがて世界中で柔道とまた日本の心を伝えられたこと。
3亡くなられたかともアメリカ映画でそのドキュメンタリー映画が作られたこと。それほど愛された素晴らしい指導者だったということなのだと思います。
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