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第23週 月曜日 歴史上の人物 金子みすゞ

23人目の歴史上の人物は童謡詩人の金子みすゞさんです。


金子 みすゞ(かねこ みすず)さんは、1903年(明治36年)4月11日金子 テル(かねこ テル)さんとして山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)にお生まれになりました。

現在この地には金子みすゞさんの記念館があります。


お父さんは、お母さんの妹さんの嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったそうですが、1906年(明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死をとげられます。(このことについては暗殺説、病気説があるそうです)

劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)氏はみすゞさんの実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されているそうです。

叔母の死後、正祐の養父とみすゞさんのお母さんが再婚したため、みすゞさんも下関に移り住まれます。


郡立深川高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)を卒業されます。

1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十氏からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されました。

1926年(大正15年)、叔父(義父)の経営する上山文英堂の番頭格で女癖のある宮本啓喜氏と結婚し、娘を1人もうける。

しかし、夫は弟正祐氏との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。

みすゞさんは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じたそうです。

さらにみすゞさんに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まったそうです(手続き上は成立していないそうです)。

みすゞさんは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求しました。

夫への抵抗心から1930年3月10日、みすゞさんは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺されました。

享年28〈数え年〉、26年の短い生涯を閉じられました。

法名は釈妙春信尼だそうです。

みすずさんは生涯500余編もの詩を綴り、そのうち100あまりの詩が雑誌に掲載されたとされています。


代表作には「私と小鳥と鈴と」や「大漁」などがあります。

「私と小鳥と鈴と」                         私が両手をひろげても                        お空はちっとも飛べないが                      飛べる小鳥は私のやうに、                      地面を速くは走れない。                       私がからだをゆすっても                       きれいな音は出ないけど、                      あの鳴る鈴は私のやうに                       たくさんな唄は知らないよ。                     鈴と、小鳥と、それから私、                     みんなちがって、みんないい。



仙崎は古くから捕鯨で成り立っていた漁師の村であったそうです。鯨に対する畏敬の念から鯨墓が存在するそうです。

みすゞさんは鯨の供養のために、鯨法会をする地域の慣わしに感銘し「鯨法会」という作品を書いているそうです。

このように自然とともに生き、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、みすゞさんの詩集の原点とも言われ、「お魚」「大漁」などに繋がっているそうです。

みすゞさんの詩は長らく忘れられていましたが、岩波文庫『日本童謡集』の「大漁」を読んだ詩人の矢崎節夫氏らの努力で遺稿集が発掘され、1984年に出版されるや、瞬く間に有名になりました。

翌年の東京大学の国語の入試問題(1985年国語第二問)には「積もった雪」「大漁」が採用されているそうです。

現在では代表作「わたしと小鳥とすずと」が小学校の国語教科書に採用されることも多いそうです。

また、このことをきっかけに地元長門でもみすゞの再評価が行われることとなり、みすゞさんの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館しました。

みすゞさんが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されています。


また、長周新聞によると、かつて長周新聞の主幹であった福田正義氏が矢崎をはるかに遡る1937年、雑誌『話の関門』の中で金子みすゞの生涯と作品を紹介したとしているそうです。

ただし、当時の福田の紹介は地元(下関)の雑誌で掲載されたものであり、後の矢崎氏の紹介ほど広く知らしめるには至らなかったそうです。


みすゞさんの詩は元々曲をつけられることを想定したものではなかったが、詩作への評価の広まりと共に、童謡・歌曲・合唱曲として中田喜直氏、池辺晋一郎氏、吉岡しげ美さん、 李政美さん、沢知恵さん、野田淳子さん、石若雅弥氏、弓削田健介氏を初めとする作曲家や歌手によって広く作曲されている。

西村直記氏、大西進氏のように、全ての詩に付曲した者もいらっしゃるそうです。

2006年12月には「私と小鳥と鈴と」の詩に、作曲家の杉本竜一氏が曲を作り、テノール歌手新垣勉氏がアルバム「日本を歌う」内で発表している。この楽曲は、その年のNHK「みんなのうた」でも放送されました。


またピアニスト・作曲家の小原孝氏は、2006年、第17回奏楽堂日本歌曲コンクールにおいて「こぶとり〜おはなしのうたの一」に作曲し、中田喜直賞を受賞され、これを機会に「おはなしのうた」連作5編にすべて作曲しているそうです。

作曲家である浜圭介氏は、盟友大津あきら氏の墓所を訪れたことをきっかけにみすゞさんを知り、その壮大な世界観をフルオーケストラで表現したいと、8編に作曲されました。編曲・服部隆之氏、指揮・佐渡裕氏、演奏・新日本フィルハーモニー交響楽団、テノール・佐野成宏氏、ソプラノ・佐藤しのぶさんというメンバーでのレコーディングを経て、CD『みすゞのうた-金子みすゞmeets浜圭介』(avex-CLASSICS)をリリースされています。

小中学生のクラス合唱曲を中心に作品を発表している弓削田健介氏が作曲した「わたしと小鳥とすずと」「こだまでしょうか」「大漁」「星とたんぽぽ」「明るいほうへ」「不思議」は、従来にない「大人の合唱団や声楽家が歌うことを想定していない」が特徴で、教室の普通の子どもたちが楽しく歌える「とにかく明るい金子みすゞ」シリーズとして、歌って踊れる曲調となっており、主に小学校での広がりを見せています。

しらいみちよさんは、2枚のアルバムにより、計30曲の歌を発表しており、サポートメンバーとして二胡のチェン・ミンも参加しているそうです。

みすゞさんと同郷の歌手ちひろさんは、金子みすゞの詩の50編近くに作曲し歌っており、2004年から2010年の間に、1stCDアルバム『わたしと小鳥とすずと』、2nd『星とたんぽぽ』、3rd『大漁』、4th『花のたましい』、ベストアルバム『私と小鳥と鈴と』と『明るいほうへ』をリリースしているそうです。

ちひろさん作曲の「私と小鳥と鈴と」「星とたんぽぽ」の2曲は、正進社発刊の歌集「さあ歌おう(山口県版)」にも掲載されており、帝国書院発刊『歌がつむぐ日本の地図』の山口県ページには、『鯨法会』が紹介されています。

2011年、パーソナリティをちひろが務めたエフエム山口制作特別番組『こだまでしょうか〜今、金子みすゞの心を聴きたい〜』では矢崎氏らのインタビューを交え、長門市通地区にある向岸寺の「鯨法会」(鯨回向)の様子も紹介したもので、第7回日本放送文化大賞ラジオ部門の準グランプリを受賞し全国放送されたました。

また2016年には金子みすゞの詩14編と矢崎節夫の2編を収録したCDアルバム『REBORN-リボーン金子みすゞ-』をリリースしており、このアルバムには西本明氏、小西輝男氏が編曲に参加、レコーディングエンジニアには青野光政氏が参加しておられます。

また、もりいさむし氏も金子みすゞの詩に80編近く作曲し、1985年からみすゞのうたを歌い続けており、もりが作曲した「私と小鳥と鈴と」は金子みすゞの母校である長門市立仙崎小学校で第二校歌として歌われているそうです。

東隆明氏脚本・演出による『こだまでせうか〜童謡詩人・金子みすゞ その愛と死〜』は七人の作曲家によって「鯨法会」「葉っぱの赤ちゃん」など25曲に付曲し、語り朗読でみすゞの詞と人生を綴り、日本クラウンからCD発売され、また舞台化もされました

NHK Eテレの子供向け番組『にほんごであそぼ』では、狂言として野村萬斎氏がアレンジした「大漁」が、番組内での歌として「私と小鳥と鈴と」が使用されているほか、みすゞの詩のフレーズを題材にした回も複数製作されているそうです。

メディアへの露出としては、ラジオ大阪『1314 V-STATION』の携帯サイト「声優V-STATION」3分ラジオで2003年6月19日 - 2004年1月5日に金子みすゞの詩を朗読するプログラム「小森まなみのおやすみポエム」が公開され、後にCD化された。

TBSラジオのミニ番組『童謡詩人・金子みすゞ』でも詩作の朗読が放送されていた。

みすゞの作品の一つ「こだまでしょうか(原題 こだまでせうか)」を取り上げたACジャパンのCM(歌手・UAによる朗読)が、東北地方太平洋沖地震に伴うCM差し替えにより多く露出したことにより「金子みすゞ全集」の売り上げが伸び、地震の影響で重版が困難なことから『金子みすゞ童謡集「こだまでしょうか」』として急遽電子書籍化されるなどの広まりが見られました。

また、「こだまでしょうか」独特の語調をパロディにした作品がインターネット上で広まるなどの話題を呼んだこともありました。

この影響もあって、金子みすゞ記念館の入場者数が急増、2011年5月に100万人を突破したそうです


金子みすゞの作品そのものの著作権は作者であるみすゞの死後50年を過ぎており消滅しているが(著作権の保護期間参照)、作品集を出版しているJULA出版局を窓口とする「金子みすゞ著作保存会」は、みすゞ作品を利用する際には同会の許可を得るよう求めているそうです。

その理由としてJULA出版局は、著作の大半が生前未発表であったこと、ならびに未発表作品を一般に広めるきっかけとなった『金子みすゞ全集』(JULA出版局)による二次的著作権の存続を挙げているそうです。


みすゞの数奇な人生は後に映画・テレビドラマ・舞台などで演じられており、劇中で詩作が紹介されることも少なくないそうです。

伝記小説
みすゞと雅輔(松本侑子著、新潮社刊)、2017年。
映画
みすゞ(紀伊國屋書店制作、監督:五十嵐匠、主演:田中美里)、2001年。
ドラマ
NHKスペシャル「No.853 こころの王国 童謡詩人 金子みすゞの世界」(NHK制作、演出:今野勉、主演:小林綾子)、1995年。
明るいほうへ 明るいほうへ(TBS制作、プロテューサー:石井ふく子、主演:松たか子)、2001年。
金子みすゞ物語〜みんなちがってみんないい〜(TBS制作、プロテューサー:石井ふく子、主演:上戸彩)、2012年。
舞台
空のかあさま(作:大薮郁子、演出:石井ふく子、主演:斉藤由貴)、2001年。
私の金子みすゞ(演劇集団 円、演出:小森美巳、主演:高橋理恵子)、2002年、2004年。
空のかあさま(作:大薮郁子、演出:石井ふく子、主演:藤田朋子)、2003年。
金子みすゞ 最期の写真館(作・演出:早坂暁、主演:小野山千鶴)、2005年
みすゞとテルと母さまと(台本・総合演出:鈴木理雄、演出:小笠原響、主演:純名りさ)、2007年。
金子みすゞ いのちへのまなざし〜詩と歌と物語〜(主演:保谷果菜子)
空のハモニカ -わたしがみすゞだった頃のこと-(てがみ座、作:長田育恵、演出:扇田拓也、主演:石村みか)、2011年、2013年。
漫画
ゼロ THE MAN OF THE CREATION 第263話(単行本第41巻収録)「薄幸の童謡詩人・金子みすゞ」にてかなり詳しい心情・実情等も取り上げられている。
花もて語れ 第21話(単行本第5巻収録)「麦藁編む子の唄」の朗読を通して二通りの解釈が紹介されている。
風を抱く人 幻の童謡詩人金子みすゞ世紀の女たち第2回(集英社 YOU 1999年収録) 原作/高田郁、作画/高瀬理恵
講談
金子みすゞの伝(作:一龍斎春水、口演:一龍斎春水)、2007年より継続。
テレビ番組
知ってるつもり?! 1994年。
にほんごであそぼ「私と小鳥と鈴と」(作曲:BANANA ICE、編曲:周防義和)、「きりぎりすの山登り」(曲:おおたか静流)、「さよなら」(曲:周防義和)、「星とたんぽぽ」(曲:おおたか静流)、「蜂と神さま」(曲:周防義和)、「大漁」(狂言:野村萬斎)
わかる国語 だいすきな20冊「大漁」(朗読:大竹しのぶ、先生役:鴻上尚史)、2003年。
みんなのうた「私と小鳥と鈴と」(うた:新垣勉、作曲:杉本竜一、編曲:美野春樹、アニメ:南家こうじ)、2006-2007年。
歴史秘話ヒストリア 第87回「愛と悲しみの“こだまでしょうか”~大正の詩人・金子みすゞの秘密~」(主演:宮嶋麻衣)、2011年。
視点・論点「金子みすゞと私」(出演:矢崎節夫)、2013年。
テレビCM
ACジャパン「蜂と神さま」(朗読:多部未華子、2011年度中四国地域キャンペーン)、「こだまでしょうか」(朗読:UA、2010年度東京地域キャンペーン)
非破壊検査株式会社「すずめのかあさん」「星とたんぽぽ」(TV CM 金子みすゞ編)


めぐめぐがすごいと思う金子みすゞさんのこと

126歳という短い生涯の中で500の詩を創作れているという天才的な才能を持っておられたこと。

2しかし人生においては非常に苦労された方であり、母として娘を守ろうとされたこと。

3そして詩が再び再評価されてからは多くの人々がそれぞれの方法でその歌のすばらしさを全世代の日本人に伝えていること。


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