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第30週 芸術家 浪曲家 二葉百合子

はじめに

今週の芸術家は 歌手・浪曲師の二葉百合子さんです。


お生まれと子ども時代

二葉 百合子(ふたば ゆりこ)さんは1931年6月23日東京都葛飾区堀切にお生まれになりました。

ゆり子さんのお父さんは浪曲師東若武蔵氏で、師事し、3歳で浪曲師として初舞台を踏まれます。

関東節を女流ながらこなす稀な存在として、名を上げられます。

レコードデビュ-


1957年に26歳の時に百合子さんは『女国定』でレコードデビューされ、間奏に浪曲の台詞を入れる「歌謡浪曲」というジャンルを確立されました。

1970年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞されています。


岸壁の母

事実をもとに作られ、菊池章子さんが歌ってヒットさせた「岸壁の母」(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)を1972年に台詞入りでカヴァーし大ヒットさせたことで特に世に知られるようになられました。



この事実がとても興味深いのでここに引用します。

流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、端野いせ(1899年9月15日 - 1981年7月1日)。
明治32年(1899年)9月15日、石川県羽咋郡富来町(現在の志賀町)に生まれ、函館に青函連絡船乗組みの夫、端野清松と一人娘とともに居住していたが、昭和5年(1930年)頃に夫と娘を相次いで亡くし、家主で函館の資産家であった橋本家から新二を養子にもらい昭和6年(1931年)に上京する。新二は立教大学を中退し、高等商船学校を目指すが、軍人を志し昭和19年(1944年)満洲国に渡り関東軍石頭予備士官学校に入学、同年ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江にて行方不明となる。
終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。
しかしながら、帰還を待たれていた子・新二(1926年 - )は戦後も生存していたとされる。それが明らかになったのは、母の没後、平成12年(2000年)8月のことであった。
ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留、後に満州に移され中国共産党八路軍に従軍。その後はレントゲン技師助手として上海に居住。妻子をもうけていた。新二は母が舞鶴で待っていることを知っていたが、帰ることも連絡することもなかった。理由は様々に推測され語られているがはっきりしない。 新二を発見した慰霊墓参団のメンバーは平成8年(1996年)以降、3度会ったが、新二は「自分は死んだことになっており、今さら帰れない」と帰国を拒んだという。旧満州(現中国東北部)の関東軍陸軍石頭(せきとう)予備士官学校の第13期生で構成される「石頭五・四会」会長・斉藤寅雄は「あのひどい戦いで生きているはずがない」と証言し、同会の公式見解では「新二君は八月十三日、夜陰に乗じて敵戦車を肉薄攻撃、その際玉砕戦死しました」と述べられている(北國新聞社平成18年(2006年)10月4日)。
端野いせは新人物往来社から「未帰還兵の母」を発表。昭和51年9月以降は高齢と病のため、通院しながらも和裁を続け生計をたてる。息子の生存を信じながらも昭和56年(1981年)7月1日午前3時55分に享年81で死去。「新二が帰ってきたら、私の手作りのものを一番に食べさせてやりたい」と入院中も話し、一瞬たりとも新二のことを忘れたことがなかったことを、病院を見舞った二葉百合子が証言している。
平成12年(2000年)8月に慰霊墓参団のメンバーが、新二が上海市で生存していたことを確認。京都新聞が新二の生存を報道。中国政府発行、端野新二名義の身分証明書を確認。だが、その人物が本当に新二であるかについてはいまだに疑問がある。平成15年文藝春秋に「『岸壁の母』49年目の新証言」が掲載。

本当にその息子さんなのかなぞは残るそうですが、

お母さんが息子さんをずっと待たれた気持ち。

そしてその方を百合子さんが病院に見舞われるなど交流があったということはとても印象深いです。

その後のご活躍


1976年に百合子さんは同曲で日本レコード大賞の審査員会選奨賞、日本有線大賞の有線ヒット賞を受賞し第27回NHK紅白歌合戦に出場されました。

他のヒット曲に「九段の母」(戦前の塩まさるのカヴァー)・「関東一本〆」があります。

百合子さんは母物・股旅物を得意とされ、和服で純和風な演歌を歌われます。

母の感情のこもった歌声に涙を誘われる人も多い。その歌声は古稀を過ぎ芸能生活75年を迎えても健在であり、昔と変わらない姿を見せられました。

2010年3月17日、記者会見を行い、翌2011年3月の東京公演を最後に現役を引退すると発表されました。

2011年3月6日にNHKホールにて最終公演を行い、77年間の芸能生活に終止符を打たれました。今後は後進の育成に携わるとしている。

以後もテレビ出演に応じており、2014年3月29日に放送された『第20回家族で選ぶにっぽんの歌』にて引退から3年ぶりに一夜限りの復活を果たした後、翌年の2015年8月8日『思い出のメロディー』、2018年5月15日『うたコン』に出演(いずれもNHK)されています。


二葉百合子さんが出演された番組


テレビ番組
夜のヒットスタジオ(フジテレビ)
夜明けの刑事 第84話「危うし!岸壁の母」(1976年、TBS ※本人役で出演)
年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)
あなたが聴きたい 歌の4時間スペシャル 年忘れ緊急特別編(TBS)2008年12月25日
NHK歌謡コンサート(NHK総合)
思い出のメロディー(NHK総合)2015年8月8日
歌謡チャリティーコンサート(NHK総合)
スタジオパークからこんにちは(NHK総合)
BS日本のうた(NHK BS2)
シブヤらいぶ館「演歌一本勝負」(NHK BS2)
渋谷らいぶステージ(NHK BS2)
家族で選ぶにっぽんの歌(NHK総合)2011年5月5日※引退前テレビ最終出演、2014年3月29日
ファミリーヒストリー 泉ピン子 ~父が語ったルーツ(NHK総合)2017年11月8日 ※泉ピン子の父(広沢竜造)について語った。
他、数々の歌番組に出演。


二葉百合子さんのお弟子さん

以下の歌手の方々が百合子さんの弟子として知られています。


石川さゆり
坂本冬美(2002年の歌手休業中に弟子入り。百合子さんから激励の言葉と歌のレッスンを機に、2003年活動を再開されました)
原田悠里
藤あや子
石原詢子
湯原昌幸
島津亜矢
岡田美鈴(元二葉百合江、鈴々舎馬風の妻)
二葉しげる 玉川カルテットメンバー。
かつての弟子
内藤やす子

二葉百合子さんの受賞・受章

百合子さんは以下の賞を受けておられます。



1977年:日本放送演芸大賞受賞
1994年:芸術選奨文部大臣賞受賞
1999年:日本レコード大賞功労賞受賞
2006年:旭日小綬章受章

めぐめぐがすごいと思う二葉百合子さんのこと

13歳から浪曲家として舞台に立たれ芸能生活77年を数えられたこと。

2ヒット曲岸壁の母のモデルとなられた端野いせさんとの交流をずっと続けられていたこと。

3そして日本を代表する多くの女性演歌歌手を指導され、素晴らしい歌手を育成されていること


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