私が彼女を連れていく
ファンタジーと聞いて、最初に思い浮かんだのは、「ドラえもん」だった。とはいえ、私は小さい頃からドラえもんを観ていたわけではないため、秘密道具もそんなに数を知っている、ということもない。パッとイメージできるのは歌に出てくるタケコプター、どこでもドアとかタイムマシン、あと数個連想できたらいい方である。そのくらい見たことがない。
このテーマをもらったとき、ふと、今の私の生活を就職したてのときの私が知ったらきっと驚くだろうな、と思った。当時19歳、社会人1年目。仕事に慣れることが大変で到底一人暮らしなどできるはずがないと思っていたのに、一人暮らしを満喫しているし、学生時代は文章を書くことが苦手で、作文や小論文がなければいいと思っていたのに、今やお金を払ってまで文章を書いているのだから人生は本当にわからないものだな、と感じている。
そんな私がタイムマシンを使うとしたら、間違いなく過去に行く。自分がこれから過ごす未来を先取りするのはつまらないと思うからだ。未来はわからないからこそ未来なのだ。
でもこれは過去の私にとったらどうなのだろうか。過去の私にとって、現在の私は未来の私である。タイムマシンの詳しい設定は知らないけれど、もし過去の私に遭遇できたら、きっと私は過去の私に良かれと思って要らぬ声援を送ってしまう。○年後はこんなに楽しいことがあるとか、時間が解決するとか、そういう類のものだ。けれどもそんなことを聞いてもきっと彼女はきっと怒るだけだ。彼女は当時、どうやって仕事を覚えようとか、職場の人にどう障害を説明していくかとか、そもそも自分が障害者であるというどうしようもない現実を社会に出て実感し、普通に働けないことへの不甲斐なさも感じていた。それに加えて両親との関係にも悩み、常に自分の居場所を探しながら生きていた。彼女は彼女の今が苦しいのであって、それを未来の話で鼓舞されるのが何よりも嫌いである。なぜここまで言い切れるかといえば彼女は過去の私であり、私は今でもそういう言葉が苦手である。相手が良かれと思って言ってくれているのが分かるから反論も否定もしないけれど、内心そんなことはどうでもいいと思っている時もある。自分ではない他の人に言われたって嫌な気持ちがするのだから、きっと自分が自分に言ったら怒り心頭だろう。苦手なことを知っているのに、とさらに怒ってしまうかもしれない。あれから年月は経ったけれど、私は今も彼女と同じように悩みながら生活している。解決したように見える悩みもあるし、一歩進んで二歩下がるような状態を繰り返している悩みもある。
時間が解決してくれることもあるし、時間をかけて解決しようとしてもうまくいかないことがあるのは、彼女も私もそれぞれの経験から知っている。当然、今の私の方が歳を重ねている分の経験はあるけれど、それをむやみに振り回していいということもないだろう。今だって過去から続いている時間で、今の私の考えは過去を過ごした自分がくれたものだから。彼女が過ごしてきた過去の途中、何かのきっかけで私が持っている過去と違う過去を選んでいたとしたら、今の私はいないのだ。
だとしたら、私自身がタイムマシンのようなものかもしれない。私は過去の私を連れて未来に行くことのできる唯一の人間だ。ドラえもんに出てくるタイムマシンのように、時間軸を行ったり来たりはできないけれど、過去の自分を現在や未来から、褒めてあげることができる。
あなたのおかげで、毎日を生きていくことができているよ、って。
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