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心の揺らぎを探る

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#ソーシャルワーク

心の痛みは誰にも測れない

当事者は語れない、と言われる。 「語れない」という言葉には、困っている人は「自分が何に困っているのか分からない」「困りごとを言葉にできない」という意味が込められている。 自分が何に困っているのか言語化して伝えられる人は、「真の当事者ではない」と言われることもある。 この表現には、心が痛む。 なぜ心が痛むのか。 それは、真の当事者こそがサポートすべき人であり、それ以外は対象者ではない。そう読み取ってしまったからだ。 本当に必要なサポートは何なのかたしかに自分の困りご

「つなぐ」のその先を考える

「サポートにつないだ後、どうなるんだろう?」と思う。 困りごとを抱えた人のサポートをする「ソーシャルワーク」。 ソーシャルワークには、目の前の人に向き合うことや、地域や社会に働きかけるなど、いろいろな側面がある。 現場から遠いところで働いている人には「サポートにつなぐ」という意味で使われることが多いように感じる。 もちろん、何かのサインに気づいて、つなぐ役割を担うことは重要。 ただ、少しだけ気になっているのは、「つなぐ」のその先をどう考えているのだろう、ということ。

「大丈夫?」なんて、欲しくない

「あいつ、キレたら、フライパン投げてくるからさ」 「昨日もあいつ酔っ払ってぶっ倒れたよ」 全部、笑い話。 思春期の頃、友だちの少しいびつな家族の話を、いつも笑いながら聞いていた。 「大丈夫?」が欲しいんじゃない、ただ笑ってほしいんだ、と感覚的に気づいていたからだ。 「笑い」とは、最大の受容である。 思春期の時から、本能的に思ってきたことが、本当のことだった。 映画「さとにきたらええやん」を見て、そう実感した。 誰ひとり排除しない居場所映画の舞台は、日雇い労働の街