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心の揺らぎを探る

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#心の揺らぎを探る

家族を安全な場所にできるように、家をひらくと決めた

1月14日(月)に結婚しました。 家族って、むずかしそうだな、ってずっと思っていました。 距離が近いからこそ、相手と自分が一体化しやすいんじゃないか、と。 本当は、たとえ家族であっても、「あなた」と「わたし」は違う人間のはずなのに。 苦手なことや課題みたいに、気になるところほど、自分のことのように捉えやすいと思うんです。   指摘する内容が、本当に相手を考えてのことなのか、自分の思うようにコントロールしたいだけなのか。   「あなた」と「わたし」の境界線が、あいまいな

仕事を「心の拠り所」にしない

「変わらないもの 探していた あの日の君を忘れはしない」 奥華子さんの「変わらないもの」の一節を最近よく思い出す。 「時をかける少女」を見てから大好きになって、中高生の時に無限リピートしていた曲。 この曲を取り憑かれたように聴いていたわたしは、きっと「手放せない人間」だったのだと思う。 わたしは、関係性を手放せない。 来る者は拒まず、去る者は追わず。そんな凛とした人に憧れていた。 でも、実際のわたしは、来る者にはびびり、去る者に心奪われ・・・という、だいぶ湿っぽい

目が醒めるような毎日

「醒」 今年を漢字一文字であらわそうと考えたとき、真っ先に浮かんだのが「醒」だった。 2018年は、文字通り、目が醒めていくような1年だった。 年明け早々に「当事者とはなにか」の議論に心が揺らいだ。 わたしは、起きた出来事の大きさと、痛みの大きさは比例しないと考えている。 そもそも痛みはその人だけのもので、ほかの人が測ることはできない。 その前提に立ちつつも、「当事者」という記号が、自分を支えてしまっていたこと、同時に無意識の縛りになっていることに気づいた。 な

クリスマス・イヴの日、ひとつ決めごとをした

サンタさんは、気まぐれだと思っていた。 子どもの頃、どれだけ頑張ってお願いしても、ほしいものをもらえなかった。 きれいな字で手紙を書いてみたり、見えやすいように高い位置に手紙を貼ってみたり。 自分なりに工夫はしてみたけれど、クリスマスプレゼントはいつもお菓子だった。 サンタさんの正体は、おじいちゃんとおばあちゃん。ゲームばかり欲しがるわたしに、一切ゲームを与えなかった。 それも、ひとつの愛の形だったのだ、と思う。 ふと考える。おとなになった今、わたしはサンタさんに

主役になれなくても、心躍る瞬間はつくれる

思い返してみると、主役になれない人生だったな、と思う。 子どもの頃から、なにか創ったり、表現したりすることが好きだった。 でも、絵の具づかいが絶望的に下手だったり、とにかく音痴でリズム感がなかったり、散々だった。 「好き」と「得意」はまったく別なのだ、と人生の割と早い段階で気づいてしまったように思う。 「大きくなったら、なにか変わるかな」 そう期待したものの、高校生や大学生になっても、自分が憧れるものには、ほとんど手が届かなかった。 それどころか、日々の生活を保つ

小さくてもいいから、本当のことがしたい

子どもの頃から、嘘をつくのが苦手だった。 例えば、先生がテストの採点ミスをしたとき。たとえ点数が下がったとしても、言い出さずにはいられなかった。 そんな不器用さは、おとなになっても変わらずで、仕事の選び方にもあらわれた。 わたしは「やりたいこと」はもちろん、「どう在りたいか」を大切にしていた。 「小さくてもいいから、本当のことがしたい」 これが、はじめての就職活動のときに、心においていた言葉だった。 これは、わたしの言葉ではなく、『田舎のパン屋が見つけた「腐る」経

分かりやすさへの危機感

子どもの頃、好きなことにしか興味を持てなかった。 大人になってからも、子どもの頃と変わらず、興味関心の幅は狭いまま。 人の尺度はどうでもよくて、自分が心踊るものだけが大好きだった。 本を読むときも、同じようなジャンルばっかり読んでいた。 それでも、もちろん楽しいのだけれど。 でも、なんだか、自分が触れたものが、自分の幅を決めるような気もする。 だから、自分の幅を広げるために、今年はいつも読まないような本にも、積極的に手を出すようになった。 最近は、SNSで著名な

心の痛みは誰にも測れない

当事者は語れない、と言われる。 「語れない」という言葉には、困っている人は「自分が何に困っているのか分からない」「困りごとを言葉にできない」という意味が込められている。 自分が何に困っているのか言語化して伝えられる人は、「真の当事者ではない」と言われることもある。 この表現には、心が痛む。 なぜ心が痛むのか。 それは、真の当事者こそがサポートすべき人であり、それ以外は対象者ではない。そう読み取ってしまったからだ。 本当に必要なサポートは何なのかたしかに自分の困りご

「つなぐ」のその先を考える

「サポートにつないだ後、どうなるんだろう?」と思う。 困りごとを抱えた人のサポートをする「ソーシャルワーク」。 ソーシャルワークには、目の前の人に向き合うことや、地域や社会に働きかけるなど、いろいろな側面がある。 現場から遠いところで働いている人には「サポートにつなぐ」という意味で使われることが多いように感じる。 もちろん、何かのサインに気づいて、つなぐ役割を担うことは重要。 ただ、少しだけ気になっているのは、「つなぐ」のその先をどう考えているのだろう、ということ。

乗り越えた自慢を聞かせてくれ

「幼いころに“虐待”を受けた子どもは、脳が萎縮する」 「子ども時代に家庭で傷ついた経験が、大人になってからの人格形成に影響する」 それは、分かったからさ。 じゃあ、大人になった私たちは、どう生きればいいんですか? 「事実を伝える」という名目で生まれた、虐待やDVのルポタージュ。 クリックされるために、煽るかのように「鬼畜」「罵る」「悲劇」という衝撃的な言葉ばかり並べられたタイトル。結末はきまって、バッドエンド。 彼らはこの先、どうやって奪われた自分を取り戻すんですか?

支援を超える「ありのままの肯定」

「子どもの頃、どんな支援がほしかった?」と聞かれることがある。 私は学校から見過ごされた経験も、福祉につながった経験も、両方持っている。見えるか、見えないか。そんなギリギリのラインにいた子どもだったのだと思う。 そして今は、子どもや家族をサポートをする側になっている。 サポート側の立場も分かるからだろうか。「どんな支援がほしかった?」そう聞かれることが多い。 そんな時、「本当に求めているものは、「支援」なんですかね?」と問いを投げ返すことがある。自分自身が、アンチ支援

当事者性に潜む、暴力性から抜け出す

人に厳しすぎることを、いつも反省している。 ある日、はたと気づいたこと。それは、子どもの支援に携わる人に対して、特に厳しいまなざしを向けてしまうことだ。 どんな組織に所属している人も、みんなそれぞれに想いを持つ優しい人たちばかりだと思う。 それなのに、特別厳しいまなざしを向けてしまうのは、「同志」としてではなく、「当事者」としてのまなざしで見つめているからかもしれないと気づいた。 支援を受けることへの申し訳なさ中学生の頃、「自分は優先順位が低い子だ」と思っていた。

「努力」という病

「依存症に陥る人は自立心が強い」 そう語るのは、脳性まひの小児科医・熊谷晋一郎氏。 現代ビジネスの「人が「病む」のは、属している組織が「病んでいる」から」」という記事の中での一場面だ。 記事の中では、こうも語っている。 「小さい頃、ネグレクトだとか、虐待的な環境で育っていて、人に依存してはいけないということを両親との関係から学習した人たちこそ、過剰な能力主義っていうんですか、自分で能力を高めて、ひとに依存せずに生きていけるようにならねばという、思考に陥りやすい。」

「大丈夫?」なんて、欲しくない

「あいつ、キレたら、フライパン投げてくるからさ」 「昨日もあいつ酔っ払ってぶっ倒れたよ」 全部、笑い話。 思春期の頃、友だちの少しいびつな家族の話を、いつも笑いながら聞いていた。 「大丈夫?」が欲しいんじゃない、ただ笑ってほしいんだ、と感覚的に気づいていたからだ。 「笑い」とは、最大の受容である。 思春期の時から、本能的に思ってきたことが、本当のことだった。 映画「さとにきたらええやん」を見て、そう実感した。 誰ひとり排除しない居場所映画の舞台は、日雇い労働の街