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#01 運命を変えた出会い

前年の四月に、長年、大阪をベースにテレ ビコマーシャル制作会社でプロデューサーを していた私は、その会社の東京支社に転勤になり、品川区のマンションで単身赴任生活を 始めていた。

そんな、東京生活2年目の春、2015年 5月初旬のことだった。

この歳(赴任した当時、43歳)になって、 コマーシャル制作のメッカ東京に転勤するの には、いくつかの目的というかミッションが あった。 それは、某日本最大の自動車メーカー及び、 グループ会社のセールスプロモーション業務の受注を拡大すること。

そして、東京支社は 組織的にも早抜きの社員がおらず、新しく入 社しても、すぐに辞めてしまうような状況だ った。

大阪(本社)と比べると売り上げの面 だけでなく、教育体制も整っておらず、支社への見方も下に見るような感があった。

私が東京に行くきっかけも、そうした環境 の中、若手でやる気のあったプロデューサーが辞めることになり、代わりとなる人材が見つからなかったので、会社側に大阪でのポス トや席を残しておくこと、東京での住まいや生活に必要なものを負担してもらうことを条件に決心した。

正直、私もこの歳で東京に乗り込むことに、抵抗がなかった訳ではないが、 本心は、大阪で以前ほど売り上げが上がらな くなってきていたので、新しいフィールドというか居場所を求めて、心機一転東京に行く ことにした。

私は東京に行くからには、組織と売り上げ の両方の改善を図りたい。「大西が東京に行ってくれて良かった」と言ってもらいたい。 そんな思いがあった。

この頃の私の社内的な立場はというと、社歴で言うと現場では二、三番目で、映像制作のグループが東販合わせて、三つある中で、 大阪の第2グループと東京の第3グループの長を兼務、名刺の肩書はチーフプロデューサ ーだった。

転勤1年目の2014年の結果はというと、 行ったタイミングが良く、大きなプロジェク トが決まったり、新規クライアントを得るな ど、まずまずといった感じだった。 ただ、心機一転、期待に応えたい、期待を 上回る結果を残したいと頑張り過ぎ、精神的にも肉体的にも疲れ果てた状態のまま2年目を迎えていた。

新年度を迎えて、ひと月がたったが、未だ疲れが取れず、その年の売り上げの見込みもほとんど立っていない状況にあった。

昨年と同様の進め方では、この先、売り上 げを拡大するどころか維持することもできな いし、心身共にもたないと感じていた。

そして、運命の出会いは、そんな疲弊して いるタイミングで起こった。

仕事帰りに、最寄り(JR五反田)駅近く の、リラクゼーションマッサージの店に飛び 込んだ。その時に、たまたま私の施術を担当 した女性が後に3年間、同居することになる女性、山口千絵(私より一つ下で、当時42歳)であり、まさにこの日この瞬間が、『運命の出会い』だった。

駅近で安さが売りのマッサージ店だったが、 山口の施術の腕前は、これまで私が体感した ことがないぐらい抜群で、会話も巧みだった。 ただ、見た目はだいぶん年上のおばさんと言う印象だった。

しかし、良いものを見つけたという感覚で、 2回目からは、山口を300円の指名料を上乗 せして指名するようになった。

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