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フック船長&ワニのドタバタ劇の生みの親|ウォルフガング・ライザーマンの軌跡

ディズニーアニメーター、ナイン・オールド・メンのウォルフガング・ライザーマンが担当したキャラクターとシーンを紹介します。

・「白雪姫」の魔法の鏡の中の亡霊

・「ピノキオ」のクジラのモンストロ

・「ファンタジア」の「春の祭典」の恐竜


・「ラテンアメリカの旅」の「グーフィーのガウチョ」のグーフィー


・「イカボードとトード氏」の「スリーピー・ホローの伝説」の首なし騎士

・「シンデレラ」の二匹のネズミが屋根裏部屋に閉じ込められたシンデレラを助けに、二階の階段を苦労して鍵を押したり引いたりするシーン

・「不思議の国のアリス」の巨大化したアリスと無能なトカゲとドード

・「ピーター・パン」のフック船長とワニとのドタバタ劇シーン。
フック船長がマストに登るシーンも担当。

・「眠れる森の美女」のフィリップ王子がドラゴンと戦うシーン


ウォルフガング・ライザーマンはナイン・オールド・メンの中でも一番アクションシーンを描いたアニメーターです。
彼の出世作は「ピノキオ」のクジラのモンストロです。
「ピノキオ」以降ライザーマンはスリルで迫力あるアニメーション担当になりました。
そして何と言っても彼の傑作はフック船長とチクタクワニです。

ライザーマンはフック船長とワニのアニメーションに最古のギャグコメディを投入したのです。

以下からはライザーマンがディズニーアニメーターになるまでと、アニメーター以外のキャリアをまとめました。


ディズニーアニメーターになるまで

生まれはドイツのミュンヘン

ヴォルフガング・ウーリー・ライザーマンは1909年6月26日ドイツのミュンヘンで7人兄弟の末っ子として生まれました。
1911年ドイツが政情不安の為家族全員でアメリカに移住してきたのです。
世界大恐慌の真っ只中に水彩画家になるためにシュイナード美術学院に行き始めます。
美術学院に通いながら1年間パートタイムで働いていました。
日中ほとんどの時間を一人でスケッチしたり絵を描いたりして外出していたのだそうです。

ディズニーアニメーション制作現場に魅了される

ライザーマンにとってアニメーションの仕事は非常に退屈なものだと思っていました。
しかし美術学院の講師の提案でディズニーのトライアウトを受けて間近で作業するディズニーのアニメーターに魅了され、彼自身もディズニーのアニメーターになると決意したのです。
ライザーマンが23歳の時5月にディズニーに採用され、6月にスタジオで働き始めます。

アニメーター以外での活躍

ウォルト亡き後は長編アニメーション監督に

ライザーマンはウォルトから「誰もやりたがらない仕事を喜んでする」と評価され頼りにされていました。
彼は物怖じしない雰囲気を持った生まれながらのリーダー気質だったので、ウォルトは監督の後継者としてライザーマンを選んだのです。
彼は「王様の剣」、「ジャングル・ブック」、「ロビン・フッド」、「ビアンカの大冒険」の監督を務めました。

第二次世界大戦のパイロットだった

また彼は10代の頃から飛行機が好きでした。
第二次世界大戦ではパイロットを勤め、陸軍航空軍団と共に飛行機を運ぶ副司令官でした。
3年間の勤務を経て殊勲飛行十字章と銅製ホーク葉クラスター1個と共に航空勲章を授与されました。


■引用元


■参考文献
・Walt Disney's Nine Old Men and the Art of Animation p.31- p.52


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