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「拝啓 世良公則様 〜ジャカランダの花に誘われて〜」

軽い気持ちでアンケートに答えたら、統一教会の合同結婚式に参加することになり、紆余曲折を経て、宮崎は日南市に住むことになった、自分史です。大好きな世良公則さんへの手紙という形式で綴っています。

拝啓 世良公則様

 初春の候。一月だというのにここ日南市では、庭の梅の花が咲き始めました。

先日のライブで世良さんが『事務所の窓から見える梅の花の蕾が、雪にもめげずに膨らみ始めているのを見ると頑張らなくちゃって思う。』と仰っていたのを思い出しながら愛でています。

パワー溢れる歌声と、優しい笑顔。いつもありがとうございます。

朝ドラ「カムカムエヴリバデイ」の圧巻の歌唱力「On the sunny side of the street」反響の多さに自分のことのように喜んでおります。素晴らしかったです。

 想えば四十数年前の事。一目惚れした私の目に狂いはなかったと自負しています。世良さんをブラウン管越しに初めて観たのは小学五年生でした。一目でファンになり、モップ片手に世良さんの真似をしていたものです。その後ツイストは解散され、世良さんは俳優業でご活躍でしたが、世良さんのラブシーンを直視することができずにいたものです。

あれから時は流れ、いろんな事がありました。波乱万丈の半生でしたが、やっと今穏やかな生活を楽しんでいます。ヤギやニワトリを飼い、自給自足を目指して野菜を栽培し、季節の移り変わりを感じながら自然を愛でる、そんな心の余裕を持つことができるようになったのです。

それもひとえに世良さんのお陰なんです。今のパートナーとの出会い、縁もゆかりも無かったここ日南に引き寄せられて来たのも世良さんのお陰。

世良さんには、感謝してもしきれないほどなんです。

 私がまだ二十歳になるかならないかの時、ひょんな事がきっかけで足を踏み入れてしまったカルト宗教。そう、世良さんが歌番組や『25歳たち・危うい関係』で共演されていた桜田淳子さんが入信したことで話題になったあの宗教です。 私も桜田淳子さんと同じ時に、ワイドショーを沸かせた合同結婚式に一緒に参加していました。私は韓国の男性と結婚することになり、桜田淳子さんと同じようにウエディングドレスを着て、あの時、ソウルの競技場で三万組のカップルと結婚式に参加していたのです。

教祖が決めた見ず知らずの男性と結婚する。それも言葉も通じない韓国の方とです。とても普通では考えられない事です。それでもその後家庭を持ち、子供を産み、理想の家族を作ろうと必死に頑張って来ました。ところが、その宗教の教義の間違いに気づく事でことで、心の葛藤が始まりました。出発は、宗教ゆえの結婚。夫に対して愛が全くなかったわけではありませんでしたが、始まりが宗教の信仰ゆえ。その宗教の間違いに気づいてしまってからは、結婚自体の意味が分からなくなり、苦痛になって来てしまったのです。五十歳になる目前のことでした。『今さらどうする・・・』妥協してこのまま行くか。それとも・・・

勇気が出ず、現状から一歩踏み出すことができずに迷っていた私の背中を押してくれたのも、世良さんの生き方のお陰でした。

家出同然で日本に帰って来て、あれから五年が経ちました。あの時勇気を出して行動して良かったと、心から思っています。人生、選択の連続。さまざまな場面で選択を迫られますが、心の声に耳を澄ましてみる。心の真ん中にある情熱。見失わないで良かったです。

それにしても、二十歳になる少し前のこと。あの宗教に関わっていなかったら人生どうなっていたかな・・・?そんなことをふと考えてしまう事が時々あります。もし、あの時、あの街を歩いていなかったら・・・


第一章  始まりは、アンケート 

私は高校を卒業するまで東京の武蔵野市で育ちました。

武蔵野市吉祥寺といえば、今でも住みたい街ランキングでいつも上位に入りますが、残念ながら私は緑に囲まれた閑静な住宅街の中のオンボロアパートに住んでいました。

二人の兄は年子で私とは五つと四つ離れていました。
末っ子の一人娘でさぞかし可愛がられたと思うかもしれませんが、私には可愛がられたという記憶は特にありません。

父は普段は口数も少なくやさしい人なのですが、お酒とギャンブルが好きで、おまけに仕事をすぐ辞めてしまうので、母がいつもお金の苦労をしていました。

母は私が幼稚園に通うころから、家計を助けるためパートに行ってました。
そのため私はいつも一人で幼稚園から帰って来なければならず、お母さんがお迎えに来ているお友達を羨ましく思っていました。

幼稚園から帰って来て、母がパートからもどるまで、お友達と遊ぶか一人ですごしていましたが、一人でいてもあまり寂しいと感じたことはなかったように思います。
むしろ、母や兄たちに邪魔されない時間を幼いながら楽しんでいたのかもしれません。

うちの家族は皆動物が好きで、狭いアパートなのに、ネコ、ハムスター、モルモット、インコ、カナリヤ、、、と代わる代わるいろいろ飼っていました。
寂しいときネコのやわらかい毛をなでているととても慰められたものです。

また花の種を蒔いて育てるのも好きでした。ひまわり、朝顔、鳳仙花などの種を蒔き、芽が出て、花が咲くという工程に神秘さを感じていたのです。

字が読めるようになると、本をたくさん読むようになりました。
小公女、秘密の花園、フランダースの犬、少女ポリアンナ、母をたずねて、家なき子などなど。主人公は、どんなに貧しくても、自分に正直で、自分が正しいと思うことはやりとげる。
そんな話が好きでした。そして、外国の文学には必ず神様や教会、お祈りが出てくるのでいつしか漠然と神様を意識するようになったのかもしれません。
中でも一番好きだったのが、「大草原の小さな家」です。

人は誰も大いなる大地の家族でいたはずです。大地と共に、自然と共に生きる家族の姿は、幼いながらも人があるべき姿なんだと感じでいました。
いつも食事の前には祈祷して、日曜日には家族そろって教会に行く。
何か家族に問題が起こっても、ちゃんとお父さんかお母さんが話を聞いてくれて、「ごめんなさい、おとうさん。」「いいんだよ、ローラ。」と喧嘩しても抱き合って和解する。そんな家族の会話に憧れていました。学校から帰って来ればお母さんが迎えてくれる。家族が集まってお父さんのバイオリンで歌を唄ったり、一緒に家の仕事をする。わたしの理想とする家族でした。
なによりお父さんとお母さんがいつも寄り添い、キスをしたり愛情や思いやりを示す。何事も家族が協力して解決する。
私の中で、西洋社会、教会に対する「良いもの」というイメージができてきました。

動物と花を愛し、「大草原の小さな家」の家族に憧れていた少女は、残念ながらその理想とはほど遠い家庭で育ちました。両親はお金のことでいつももめていましたし、二人の兄もしょっちゅうケンカをしていました。

しかし私はそんな争いごとに巻き込まれないように、一人ネコと遊んだり、本の世界に入り込んだりしていました。

学校では、ただ先生に褒められるのがうれしくて勉強も一生懸命したし、運動もだれにも負けませんでした。ただそれも小学校高学年になるまでのことでした。先生やクラスメイトに認められるために良い成績をとることに疑問を感じ始めていました。
中学、高校と進むうちに、勉強への意欲も失い、将来の夢なども持てぬまま卒業後の進路も決めずに高校を卒業しました。我が家には無駄に大学に行くようなお金はないし、かと言ってこのまま適当な会社に就職するというのも違うような気がしていたのです。

喫茶店のアルバイトをしながらこれからの人生のことに漠然と不安に感じていた時でした。

私は見慣れた街、吉祥寺を一人ぶらぶらと買い物をしていました。

(またやってるよ。)

この街に来ると必ずと言っていいほど出くわすのが、アンケートを取っている数人の人たちです。私も何度か声をかけられたことがありましたが、忙しいからと言っていつも断っていました。数人の人たちは街に散らばっているので、歩いていると一日に何人もの人から声をかけられることもありました。

断られてもめげることもなく道行く人々に声をかけ続ける人たち。キャッチセールスの人たちとはどこか違った雰囲気を持っている。いったい何のためのアンケートなのだろう。買い物を終えて帰ろうと駅に向かう道を歩いていると、一人の女性が目に止まりました。彼女もまた道行く人に一生懸命に声をかけています。

「すみません。アンケートに答えて頂けませんか~?」

なかなか足を止めてくれる人はいません。それでもその女性は笑顔で行き交う人に声をかけ続けています。私はなんだかその人が不憫に思えてきました。だからと言ってアンケートに答えるつもりもなく、声をかけられても無視しようと心に決めていました。私がその女性の前を通り過ぎようとすると、案の定その女性が声をかけてきました。

「すみません、アンケートに答えて頂けませんか?」

無視して通り過ぎようと思っていたのに、一瞬、ほんの一瞬足を止めると、女性と目が合ってしまいました。にこやかな笑顔。
とても悪いことをするような人には見えません。なんだか可哀想になってついつい

(アンケートぐらいならいっかな・・・)

と思ってしまうのでした。

「すぐ終わりますから。お願いします。」

自分より明らかに歳が上なはずの女性が、懇願するようにお願いしてくるので、断ったら悪いなという気がしてきました。

(アンケートだけならいいかな。)

私は同情心からアンケートに答えてあげることにしました。女性は満面の笑みで嬉しそうに、

「有難うございます。すぐに終わりますから。」

と言いながら、通行人の邪魔にならないようにと道の端に移動しました。

「今日はお買い物ですか~?学生さん?」

「あっ、いえ、働いています。」

「あぁーお休みですか?」

「はい。」


「えっとですね、意識調査なんですけど、まず次の中から関心のあるなものはなんですか?」


アンケート用紙には、仕事・家族・お金・政治・結婚・ファッション・スポーツ・占い・・・などといくつか書かれていました。

「とってもお洒落な方ですから、ファッションに関心あるんじゃないですか?今日のワンピースもとっても素敵ですね。」

「えっ・・・あ、有り難うございます。」

服装を褒められて悪い気はしません。私はありのままに自分の関心ごとを答えていきました。占いに関心があると言うと、

「あっ、私ちょっとだけ手相を観れるんですよ。」

女性は私の手をとると、

「わぁー、とっても情のあつい方ですねぇ。涙もろいんじゃないですか?」

「・・・どうだろう。」

「あっ、御先祖に信仰心のあつい方がいらっしゃいますねぇ。」

「???」

「神仏を大切にされてきた方に守られてるみたいですよ。」

「へぇーそうですか?」

女性は私の回答に対してちょっとした質問をしてきたり、相づちをうったりしてきたので、私はだんだんその女性に親しみを感じてくるのでした。なんということも無いアンケートなのに、途中に女性が話しかけてくるので最後まで答えるのに30分ぐらいかかったように感じました。

ようやくひと通りのアンケート項目が終わったので帰ろうと思っていたら、
一番下に住所、名前、電話番号などを書く欄がありました。私はもちろんそんなものは書くつもりもなく帰ろうとすると、

「あっ、お名前とご住所教えて頂いていいですか?」

私は毅然と、

「アンケートなら必要ないですよね?」

と首を横に振りながら断わりました。

「あっ、でも是非お願いします。」

女性は笑顔を崩すことなく、しかし引く様子もなく話し続けてきたのです。

「アンケートなら名前とか必要ないじゃないですか。」と私が言うと、

「名前を教えたら何か不都合なことでもあるんですか?何も悪いことをしていないなら教えられますよね?」

私は女性のそんな言葉につい反応してしまいついムキになって、

「いいですよ。」

と、名前、住所、年齢そしてご丁寧に電話番号まで書いてしまうのでした。それがその後の人生を狂わす全ての始まりになろうとは、その時の私には知る術はありませんでした。

アンケートに答えてから数日後のある日の夜、テレビを観ていると電話のベルが鳴りました。電話に出た母が、

「有田さんっていう方だけど・・・?」

私は有田と聞いてもすぐにはピンと来ず、誰だろうと暫く考えなければ思い出せませんでした。やっと(そう言えばあのアンケートの人、有田とか言ってたかも…)渋々電話をかわり、

「はい、もしもし。お電話かわりました。」

「あっ、こんばんは。先日アンケートに答えて頂いた有田です。この間は有り難うございました。」

はつらつとした女性の声です。
やっぱり先日のアンケートの女性でした。

「あっ、いいえ。」

私は、まさか電話をかけてくるとは思わなかったので名前や電話番号を書いてしまったことを後悔しました。

「実はね、恵水華さん、占いに関心があるって言ってたじゃない?
私も手相や姓名判断に関心があって少し勉強してるんだけど、とても偉い先生が来週三鷹に来られることになって、姓名判断を観て下さることになったんだけど、もしよかったら恵水華さん観てもらったらどうかと思って。滅多に無い機会だから是非観てもらったらいいと思うんだけど・・・」

有田と名乗る女性は、そこまで一気に話してきました。

私は少し戸惑いながらも、自分の名前が珍しいこともあり、前々から姓名判断を一度観てもらいたいと思っていたので、

「姓名判断ですか、観てもらいたいって思っていたんですけど、いくらですか?」

「本当は一万円なんだけど、今回は私のお友達ということで三千円でいいって仰ってくれて、ほんとに滅多に無い機会だから観てもらったいいですよ。」

(三千円かぁ、どうしようかな。)

「う~ん、どうしよう・・・」

私が悩んでいると、

「中々お会いする事が出来ない凄い先生で、今回はほんとに特別なんですよね。先生に観てもらって運勢を変えた方も沢山いて、恵水華さんの人生も運勢が開けたらいいと思うんですよね。」

「そうですねぇ・・・」

「来週のお休みはいつですか?」

「土曜日ですけど・・・」

「それじゃぁ土曜日の十時に予約を入れておくので、九時半に三鷹駅の改札口で待ち合わせしましょうか?」

私がまだ行くとも言っていないのに有田と名乗る女性は、どんどん話しを進めていくのでした。

有田の、優しい口調であるにも関わらず有無を言わせないような強い意志を感じさせるもの言いに私は流されるままでいました。

「はぁ、九時半に三鷹駅の改札口ですか・・・」

特に予定があった訳でもなかったので、なんとなく約束してしまったのです。

「ほんとに滅多にお会い出来ない先生に観てもらえるなんて、恵水華さんは運がいいですね。
それじゃぁ土曜日に、楽しみにしていてくださいね。さようなら。」

私は何が何だか分からぬまま、姓名判断をしてもらう約束をしてしまうのでした。そして土曜日。約束通り九時半に駅の改札口に行ってみると、既に有田という女性は待っていました。

「おはようございます。」

私が近づいていくと、満面の笑みの有田が嬉しそうに、

「おはようございます。恵水華さん、今日は来てくれてありがとう。会場は、歩いて十分ぐらいなので行きましょうか。」有田という女性は歩きながら色々と話しかけてきました。

「恵水華さんは、お兄さんがお二人いらっしゃるんですよね?」

「はい。」

(兄がいることなんかいつ話したかな?)

私は、先日のアンケートに答えているときに、聞かれるままに色々答えていたことなどすっかり忘れているのでした。

「お兄さんとは仲がいいの?」

「あんまり仲は良くないかも。」

兄たちは二人とも、高校を卒業すると家を出て一人暮らしを始めたため、それからは年に数回顔を合わすぐらいでした。小さい時は一緒に遊んだりもしましたが、兄が中学生のときは私はまだ小学生で話も合わず、だんだん会話もしなくなっていったことなどを有田という女性に話して聞かせました。

「ご両親は、仲は良いほう?」

「あんまり仲良くないですね。」

今まで友だちからも聞かれたことのない家族のことをまだ会って二回目のその女性に話してしまうのが不思議でした。途中電話ボックスをみつけると有田は、

「ちょっと電話してくるので待っていて下さいね。」

と言って電話ボックスの中に入っていきました。会話はすぐ終わり再び歩き出した有田は、

「恵水華さんは今、彼氏とかいるの?」

「えっと、今はいないです。」

「恵水華さん可愛いからモテるでしょ?」

「いいえ、そんなことはないです。」

私は有田に聞かれるまま自分のことを話してしまうのでした。

「ここです。」

〇〇会館と書かれた建物の前で有田が止まると、靴を脱ぎ案内されるまま付いて行きました。畳の部屋に通されると、有田という女性は私の隣に座りました。暫くすると女性がお茶を持って来て、

「先生がお呼びです。」と、有田に告げると、

「ちょっと待っててね。」と有田は出て行きました。一人ぽつんと残され、一抹の不安を感じましたが、ここまできたら待つしかありません。有田が戻って来て少しすると一人の年配の女性が入ってきました。私はもっと占い師としての貫禄がある人が来るのかと思っていましたが、極々普通の女性が来たので拍子抜けしてしまいました。簡単な挨拶のあと、早速姓名判断が始まりました。

私の名前を紙に書き、横に画数を書いて、丸や三角で囲んだり、線を引いたりしています。そしてそれぞれの数字の意味を説明しながら、私の性格や先祖から来るものなどを説明しました。

名前からくる画数が、運勢に関係すること。苗字は、先祖から受け継がれてくるものだから、その家系的なものが運勢に影響すること。そして、色情因縁や、殺傷因縁などという因縁というものがあること。

私は初めて聞く内容を頷きながら聞いていました。自分の内面の性格や先祖からくるもの、これからの運勢など、なんとなく当たっているような話に、納得していたのです。そして、家族の話になりました。

両親は、子供の私から見ても仲が良いとは言い難い。

父親は、毎晩酒を飲み酔っ払って帰ってくることもしばしば、仕事も長続きせず何回転職したのか数え切れないほど、ギャンブルも好きで家計はいつも火の車状態。

母親は家計を助けるため私が幼い時から働きに出ていて、いつもイライラしており、常に疲れているようでした。

そのせいか兄も家に居着くことなく、高校にあがると外泊するようになり、卒業と同時に独立してい来ました。

そんなバラバラな家族。

家族の団欒というものを経験したことが無かった私は、早く自分も自立して家を出たいと考えていました。

家族の不協和音。

それが全て先祖の因縁からくるものであると、その先生は説明するのでした。

そして私こそが家系の使命があるということを訴えて来ました。

そういった”因縁”を断ち切っていかなければ、私も、そして私の子供たちにもその因縁とやらに影響されてしまうと言います。そしてその因縁は、本人の努力ではどうにもならないものということでした。そして最終的には、その因縁を断ち切るためには、名前が彫られている印鑑を変える他ないという話になって行きました。

先生と呼ばれる人は印鑑のパンフレットを見せながら、いかにこの印鑑が他の印鑑とは違うのか、「天の印鑑」として祈られているとか、これを”授かる”ことで運勢が開けるだとか言って、購入することを勧めるのでした。

まだ二十歳にもなっていない世間知らずな私は、”先生”のいうことを素直に信じてしまうのでした。だからといって高額な印鑑をすぐに購入できるはずもなく散々悩みました。ただこの印鑑を買ったら運が開けるのなら良いかもしれない。家族が幸せになれるのなら良いかもしれない。段々と気持ちが傾いて行きました。悩んだ挙句、十二万円の印鑑三本セットというものを購入することにしました。

印鑑は、結婚して苗字が変わっても一生使えるようにと苗字ではなく、下の名前を彫ってくれると言います。考えてみれば実印・銀行印・認印と色んな場面で必要になる印鑑。良いものを持っていてもいいかなと思うのでした。ただ十二万円という金額は、当時の私にとっては大金ですし、そんな高額のものを買うのも初めてのことで、決めるまで悩みに悩みました。

ところが、百万円持っている人の十二万円と、十二万円捻出するのに精一杯の人の十二万円では同じ金額でも価値が違うこと。

”天”は、その人の精一杯の金額をちゃんとご存知であるから、私の精一杯の金額である十二万円はとても価値があるのだと言われ、その気になっていくのでした。契約書にサインをし、後日一括で支払うことを約束して、やっと解放された時は、時計はすでに一時を回っていました。

有田という女性は、

「恵水華さん決意されて本当に良かったですね。」

と、自分のことのように喜んでいます。

先祖の因縁を切るための印鑑の購入が、これからの人生で違った因縁をつけられるようになることになろうとは、その時の私には知る術はありませんでした。

後で知った事ですが、有田という女性は私から色々と聞き出した内容を占い師と名乗る女性に全て話して聞かせていたというわけです。私は赤子の手を捻るようにいとも簡単に印鑑を購入するハメになったのでした。


そして、神、霊界、先祖、因縁・・・等という目に見えない不確かなものをイメージさせる事で、次の段階へ向かい易くする布石を置いていたのでした。



第二章  人生の勉強

姓名判断をしてもらうだけだと思って足を運んだのに、十二万円もする印鑑を買うことになるとは・・・三時間も密室に閉じ込められ、二人の歳上の女性から詰め寄られたことで判断能力が低下していたのでしょう。

この場から早く逃れたいという思いで印鑑を買うことにしてしまったことに少し後悔もしていましたが、これで運が良くなるのなら、まあいいかという思いもあったのです。

帰る途中有田が、

「恵水華さん、せっかく印鑑を授かって運勢を良い方向へ変えることができたのだから、この機会に人生について学んでみない?」

と言って来ました。占いの先生に今が転換期だから、この時に何か将来に役に立つことを始めたら良いというようなことを言われていました。

だからそんな有田の誘いに少しの疑問も持たずに、言われるまま素直に吉祥寺にあるビデオセンターと言われるところについて行くのでした。三時間も自分のことを親身になって身の上話に耳を傾け、印鑑を買ったことで運勢が良くなるんだと信じきっている有田の事を信用し始めていたのです。

ビデオセンターと呼ばれるところは、喫茶店のように四人がけのテーブルと椅子が何セットかありました。二十代の若者が十数人いてそれぞれのテーブルで何かを語り合っています。

受付で有田に紹介され、テーブルに案内されました。有田と隣り合わせに座ると、飲み物が運ばれてきました。ここではビデオを観ながら学校では教えてくれないような人生の勉強をしていること。学生もいるし、社会人の人も通っていること。会員になったらいつでも来ていいことなどを説明されました。

私が、

「宗教じゃないんですか?」と聞いても、

「違いますよ〜。」と、にこやかに否定するのでその言葉を鵜呑みにしました。

「一本ビデオを観て見て、それからまた感想を聞かせてくださいね。」

言われるまま、ビデオを観る部屋に移動して、流される映像を観るのでした。一人ずつ区切られている空間が数箇所あり、数人の人がビデオを観ていました。

私が観せられたビデオは、中年の女性が若い頃病気になって寝たきり同然だったのを友人たちが助けてくれたというような苦労話でした。観ながら何故か涙が流れてくる自分がいました。多分その頃将来に対する希望も持てずにただ毎日を暮らしていたので、大変な境遇の中でも明るく前向きに生きてこられた女性に対して、感動を覚えていたのだと思います。

観終わって感想を聞かれると、とても感動しましたと素直な感想を言いました。それから有田ともう一人の女性とにここで人生について学んだらいいと仕切りに勧められるのでした。特にすることもなくアルバイトをしながら漠然と生きていたので、少しこういう勉強をしてみてもいいかなと思い始めていました。ただ、ここでもタダという訳にはいきません。受講料数万円が必要でした。ちょっと前に十二万円もの買い物をしたばかり。貯金があるわけでもありません。ここでも二人から強く勧められ、断ることができなくなって受講を承諾してしまいました。終わった時には外は暗くなっていました。

私は次の日、バイトが終わると原付バイクでビデオセンターに行ってみました。行くと受付の人がにこやかに出迎えてくれます。周りの人たちもとても感じ良く接してくれました。中には早稲田大学に通っているというとても魅力的な女性もいました。こんな魅力的な人まで通っているならきっと良いところに違いないと思うのでした。

ビデオを一本観ると感想文を書いて、それについてカウンセラーと話をします。最初の数本は、映画か何かでしたが、次第に旧約聖書の内容になっていくのでした。私は小学校の頃友達に誘われて教会に通っていたことがありました。ただ単に“大草原の小さな家“の影響で教会に憧れがあったのです。そこで、新約聖書のイエス様の言葉は聞いたことがありましたが、旧約聖書はほとんど読んだこともありませんでした。

聖句を紐解き、解説する。地球の成り立ちから、神様が最初の人間アダムとイヴを創造され、その時の神様の心情など、全て初めて聞く内容でした。勿論失楽園物語ぐらいは知っていました。ただ、それは物語。まさか本当にアダムとイヴが存在したとは思ってもいませんでした。

ビデオの内容はとても面白く、観終わった後カウンセラーと話をするのも楽しかったのです。私は、アルバイトが終わると毎日のようにビデオセンターに通うようになりました。

私をビデオセンターに誘った有田という女性も数回会いに来ましたが来れない時は、必ずと言っていいほど手紙を書いてくれていました。たわいも無い手紙でしたが、嬉しかったんです。学生時代の友達とも違う。バイト先で知り合った人とも違う。たまたまアンケートに答えただけという仲なのに、今まで誰にも話したこともないような個人的なことを話した相手だったからでしょうか。

これも後で知ったことですが、この時から、いえ、アンケートに答えた時から“マインドコントロール“は、すでに始まっていたんです。

まず、やたらと褒められる。普段そんなに褒められるってことないから、悪い気はしない。

「とても向上心がありますよね~。」「オシャレですよね〜」とか。

その後、何回か電話くれたりすることで、「好意性」っていうものがうまれるらしい。

私の場合はその後、姓名判断を見てくれるということで、のこのこ出かけて行くことになったのですが。

そう言えば「めったに会えないすばらしい先生」からも色々褒められました。

「家系的に使命がある。」「頭領運と言って人の上に立つ資質がある。」などと言われれば、「そうなんだ~。」って、、、素直に喜んでいました。

そして「転換期ですね。」という言葉。人生が大きく変わる時期と言われ、それでビデオセンターで勉強することになったわけです。

マインドコントロール、人間の心理を使った操作は、最初は、”ローボール”低い玉を投げてくるそうです。最初は受講料もそんなに高くなく、ほんとにただ人生の勉強してるだけだって思わされていました。

「宗教じゃないんですか?」って聞いても 「違いますよ~」って言われれば素直に信じていました。

カウンセラーにもいろいろ褒められて。「さすがですよね!」とか「するどい質問ですね~」とか。

そして紹介者の有田からは手紙をもらったりしていたから、「行かなきゃ悪いかな~?」と思い真面目に通っていたのです。

これが、「返報性」というものらしいです。何かしてもらったら、悪いな~って思ってしまうことです。

それから、本当のあるべき姿、世界と現実のギャップを聞かされて、本然の姿に帰るには、メシアが必要なんだという話にだんだんとなって行きました。

これは,「知覚のコントラスト効果」というものらしいです。

この時点でもう両足浸かっていたんでしょう。

結局、ビデオセンターで一通り学び終えると次の段階が待っていたのです。

一泊二日の修練会があり、各地から集まった同じような若者と二日間ビデオの内容を直接講義を受けるのです。

その後まだあり、今度は三泊四日の修練会。そこでは最後に、

「神様のために、人生を捧げます!」という誓いを立てさせられます。

神様に誓ってしまったらそう簡単に裏切ることができません。

それが、「自分の言葉に責任を持つ。矛盾しない行動。コミットメントの一貫性」。

更にそれが終わると、トレーニング生として同じ段階の人たち十数名と一緒に学ぶよになりました。そこまで行くとだんだんと「集合的無知」に陥ってくるらしいです。なんかおかしいな~と思っても、おかしいと思う自分だけがおかしいと思うようになるのです。

裸の王様現象というものだそうです。

おかしいと思っても、声を上げることができなくなるんです。自分でちゃんと考えて、結論を出してたと思ってたけど、すでにコントロールされていたんですね。

知らず、知らずのうちに、、、、

それからは、使命感と離れたら恐ろしいことが起こると言う恐怖心や罪悪感のために縛られていきました。

軽い気持ちで始めた人生の勉強は、その後三十年近くも私を縛りつけ、逃れられなくさせるのでした。その呪縛から解放されるまで、大きな代償を払いましたが本当の意味で人生の勉強をさせてもらいました。


第三章 カルト宗教の兄弟姉妹

吉祥寺でアンケートに答えてから、自分が同じ場所でアンケートをお願いする側になるまで、あまり時間は要りませんでした。ほんの数ヶ月で私自身が吉祥寺でアンケートを取る怪しい仲間の一員になっていたのです。

私のように高校を卒業してアルバイトをしながら暮らしているような人間ならいざ知らず、中には早稲田、慶応などの大学に通う人や、社会人まで一緒になって活動していました。

神様は人類の親であり、アダムとエバ(イヴのこと)は人類最初の神の子であった。それにも関わらず、サタンによって堕落してしまい、楽園を追われたアダムとイヴの子たちは、サタンの子として産み増やされてしまった。イエス様はそんな人類の救い主として来られたが、十字架にかけられてしまった。そして二千年後、再臨のメシアとして神に遣わされたのが教祖様である。そのことを先駆けて知った私たちは、一日でも早く、一人でも多くの人たちにこの真理を伝えなければならない。この真理を伝えることがその人の救いにつながり、本当の幸せへと導くのだ。

そんな思いで、一生懸命にアンケートを取っていたのです。今思えばなんて純粋だったのでしょう。いえ、単純だったという方が正しいかもしれません。聖書をちゃんと読んだこともない、他の宗教、哲学、思想のことも知らない。比較することもせずに、言われるままの内容を信じていったのでした。

『世界は一家、人類は皆兄弟』

神様を親とした世界は家族も同然。

人類は、皆兄弟姉妹        

ちなみに、私を姓名判断に誘い、ビデオセンターに連れて行った有田のことは、“霊の親” と言いました。肉体の親は、産み育ててくれた両親だけど、人間には肉体と霊人体があり、その目には見えない霊人体(魂のようなもの)を神様に繋げることで新しく産まれさせたから、霊人体の親、霊の親というわけです。

教祖を知り、一緒に活動をする仲間は兄弟姉妹。逆に、兄弟姉妹なのだからお互いを異性として見てはいけない。恋愛感情を抱いてはいけないとされていました。人類最初のアダムとエバは、サタンにそそのかされて自分勝手に性的関係を結んでしまった。その罪を精算するには、教祖が決めた人以外とは性的関係を結んではいけない。ですから男女が同じ家で寝泊まりとするようなことがあっても、間違いが起こることはありませんでした。(例外もありましたが)

アダムとエバが堕落さえしていなければ、世界は争いごとのない平和な世界だった。戦争もなければ、夫婦喧嘩や離婚なども無かった。全人類が家族として、お互い愛し合っていた世界。しかし現実は、戦争に次ぐ戦争、家族間でさえ争いが絶えない。神が理想としていた世界とは程遠い世界になってしまった。

神VS サタン 善VS 悪

完全なる二元論の考え方でした。さらに、教祖を受け入れる人は神側。反対する人は、サタン側。例えどんなに良い人であっても、教祖に反対する人は、サタン側の人間とされました。反対する親や兄弟はサタン側になります。そして神側の活動をすることこそが、最も尊い、重要な活動なのだと、自分の人生を捧げることこそ神を喜ばせることなんだと、そう思いこまされて行くのです。

有名大学に通っていた人も中退し、会社勤めをしていた人も辞表を出して、神の活動をするために身を捧げる、“献身“をするようになるのでした。

世間知らずの二十歳の小娘がその気になるのならわかります。有名大学に通う人も、人生経験を積んできたいい大人でさえも、信じるまでになってしまうのです。それがマインドコントロールの恐ろしいところであり、人間の心理をうまく利用した凄いところなのです。冷静に考えればおかしな事、辻褄が合わないようなこともありました。それでも疑わないのは、聖書の中の登場人物たちを持ち出して、様々な教訓があることを教えの中で言われ続けるからでした。

アダムとエバ  エバがサタンの誘惑に負けてしまったのも罪だけど、そのことを知ったアダムがもし神様にそのことを報告していたら、罪が繁殖することはなかった。だから、報告、連絡、相談は徹底しなければならない。

ノアの箱舟では、息子のハムが父親が裸で寝ていることを恥ずかしく思ったことが罪になった。何事も自分の思いで判断してはいけない。神様の考えがどこにあるのか人間にはわからないのだから。

アブラハムが息子のイサクを神への捧げ物として献祭したことが神の願いだった。自分の最も大切なものを神に捧げること、自分の命より大事なものを神に捧げる。その心情を経験しなければならない。

聖書に出てくる様々な人物の様々な物語を解釈をつけ、現実の私たちに当てはめては、教訓として同じ過ちを犯さないようにとするのでした。特に、アダムの長男カインが、次男アベルを殺してしまった罪の清算として、神により近いアベルの言う事を絶対的な事として従わなければならないという教えもありました。

アベルというのは、位置であって、自分の上に立つ人のことを言います。ですから、アベルがとても理解し難いことを言ったとしてもそれは神様が言ったこととして信じられなくても信じるように、そう言われるのでした。

そして何より、教祖の言葉は絶対的なものであり、どんなに理解し難くとも、非常識なことであっても、そこには人間には理解できない神様の考えがあるのだから不信してはならないこととされていました。教祖は神に一番近い存在。神のことを誰よりも理解しているのが教祖であるということでした。

絶対なる存在。それが教祖。カルト宗教の異常さです。そこでだけ通じる価値観がありました。

“献身“をすると共同生活が始まります。吉祥寺周辺にいくつか寮のような館があり、十数人ずつ暮らしていました。それぞれの部署によって活動内容が違っており、ある部署は、アンケートを取ってビデオセンターに繋げるといった伝道活動を中心にしたり、ある部署は、一日中訪問販売をさせられていました。

このカルト宗教が世間で問題になったのも、“霊感商法“と呼ばれる経済活動のせいでした。私が購入したのはたかが十二万円の印鑑でしたが、印鑑も何十万円もすることもありましたし、韓国の大理石でできた壺や多宝塔を何百万円で売ることもありました。

何故普通の若者が“霊感商法“のような詐欺まがいのことができたのでしょう。

本人たちは、悪いことをしているという自覚が全くないのです。むしろ、その人の幸せを願って、様々なものを購入させるのでした。自分たちの活動こそが人類の平和に繋がると信じ込んでいますから、その活動資金に例え本人が知らなかったとしても貢献することで、神側の徳が積まれる、そのような考えです。  そして、一旦信者になると、次から次へとお金の要求が始まるのでした。中には、親や親戚、金融機関から借金をしてまで“献金“したり、最後には、家や土地を売ってまで“献金“する人もいました。

肉体があるうちはほんの一瞬に過ぎない。死んだ後、永遠の命が続くのだから、生きているうちに神に貢献しなかったら、死んで後悔するだろう。自分たちのことを先祖が見ている。そう思っていますから、現実に重きをおくよりも、死んだ後のことを考えるようになるのです。そして、献金することで周りの兄弟姉妹に褒められるわけです。逆に自分の欲望を満たすためにお金を使えば、周りから冷たい目で見られるのです。

献身生活をしている間は、朝から晩まで活動に追われ、休みもなく、いつも睡眠不足状態。一人になる時間も、テレビを見る時間もありません。完全に外部から遮断された環境になるのです。そして、度々教義を学ぶ時間があったり、教祖が語る言葉を聞いたり、今、教祖はどこで何をしているのか報告があったりしました。貧しい生活を強いられ、ほとんどタダ働き状態であったにも関わらず活動を続けるのは、そういった信仰心の強化の時間や、希望的な報告があったためです。まるで教祖が世界を動かしている、そんな錯覚を持つような話までされました。

それでもある日突然姿が見えなくなったりする人も時々いて、そんな人たちのことを“離れた“と言って、裏切り者や負け犬のような言い方をする人もいました。離れて行く人を尻目に、私は何があっても絶対離れない、最後の一人になったとしても信じるんだと心に誓うのでした。

信仰をする人たちの動機は様々です。どこに興味を持ったのか、どこに感動したのか、どうして信じるようになったのか、それは一人一人違っていました。純粋に世界の平和を願ってという人もいたでしょうが、その時の私の心の中を覗いてみると、もっと違ったものが見えるのでした。一つは、まだほとんどの人が知らない秘密を知ったんだという優越感。そして、高校を卒業してもその先に希望を持てないでいたための劣等感からくる世間を見返してやりたいというような思い。一発逆転してやるというような考えもありました。そういった感情を刺激するように、あなた達は選ばれた人たちなんだというようなこともよく言われていました。

でも一番の理由は、神様が選んでくれた結婚相手に出会わせてくれるそれが何よりの動機だったと思います。私はとにかく相思相愛の人と結婚して、仲の良い家族を作りたかった。喧嘩することなく、明るく楽しい我が家に憧れていたんです。喧嘩するのは考え方や価値観が違うから。同じ信仰をしているということは、同じ価値観、同じ考え方ができるものと思っていました。それにたった一人の私の相手である男性は教祖しかわからないんだと思っていました。大恋愛の末結婚しても熱が冷めてしまって愛情を感じなくなり、離婚するようになるぐらいなら、例え最初はそんなに愛情を感じることができなくても、徐々に愛するようになり、最後には完全に一つになる、そんなカップルの方が良いと思えました。そして何より、自分勝手に結婚して子供を産めばそれはサタンの子であり、教祖が選んだ人と結婚して子供を産めば、その子は神の子となるというのを信じていたのです。

途中色々なことがありましたが、1992年。私もあの合同結婚式に参加することとなるのでした。

『世界は一家、人類は兄弟姉妹』

この言葉は、正しいと思います。ただ、一定のある宗教を信じた者だけが兄弟姉妹ということではないということに気づくのは、もう少し時間がかかることになるのでした。


第四章 眠りから目覚めるまで

1992年 夏。カルト宗教の教祖を信じて、見ず知らずの韓国の男性と結婚をしました。神様が準備された私の結婚相手。この人と永遠に、死後の世界まで一緒にいることになるんだ。この人と神様の子を産み育てて行くんだ。そこには、好きとか、嫌いとか、私のタイプであるとか、そんなものは関係ありませんでした。ただ言われるままに、(ああ、この人なんだ。)そう思っただけです。初めて会った次の日には、合同結婚式にに腕を組んで参列し、婚姻届にサインをしました。

その宗教の決まりで、一緒に暮らすことになったのはそれから三年後でした。その間、日本と韓国を行ったり来たりしながら、交流していきましたが、正式に家庭を出発(一緒に暮らすようになること)するまでは夫婦と言えども性関係を持つことは許されませんでした。一から十まで宗教の縛りの中にいました。日曜日の朝五時には、教祖夫婦の写真の前に平伏して、お祈りをしなければなりません。夫婦生活を始めるにあたっても、全て指示された様にしなければなりません。まったくもって可笑しな世界です。色々疑問に感じることは度々ありましたが、教祖を疑うことは決してありませんでした。教祖は、善。教祖を神格化していたのです。

月日は流れ、私たち夫婦も子供を持ち、韓国で暮らすようになりました。言葉の問題、習慣の違いから、衝突することも多くありました。喧嘩をすることもない明るく楽しい家族、理想の家庭を夢見ていたのにも関わらず、それはただの夢物語であったということです。私たち夫婦だけがそうであるのなら、自分たちが未熟なせいだと思えましたが、どの夫婦を、どの家庭を見てみても、どこも問題があるように見えました。

(話が違うじゃない。どこに理想の家庭があるの?)

心の中では矛盾と現実に疑問を感じつつも、全て悪いのは信者である自分たちの至らなさ、教祖は悪くない。むしろ、折角結婚相手に出逢わせてくれたのに、幸せな家庭を築けなくて申し訳ないとさえ思うのでした。夫と喧嘩の絶えなかった私は、救いを求めるため色んな本を読んで、自分の心を整理するのでした。


「原因と結果の法則」 ジェームス・アレン 著

というのがあります。

”私たちは、自分が心に抱き続けてるものを 自分自身に引き寄せます。”

(まさか!?ケンカばかりする家族?)

”私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境(結果)に運んできたのです。”

”あなたの周りの人たちは、あなたを映し出す鏡である。”

”穏やかな心を持たない人が、いくら強がっても、それは弱さの現われにほかならない。”

私はこの本の言わんとする内容が腑に落ちたとき、幸せな家庭を築くには、私の心を穏やかにすること、それこそが一番にしなければならないことだと気づくのでした。

夫は、信念の人、粘り強く、根性があり、努力家です。しかし、その性格も悪く出ると、強情、傲慢、頑固。ひとたび怒り出すと、手がつけられなくなります。感情が激しいので、理論が通じなくなるのでした。そんな時いつも私は、「原因と結果の法則」の世界に逃げ込むのです。

そして、

「みにくいシワは、意地悪な考え、短気な考え、暗い考えによって刻まれます。」

(そうそう、だからあんなにシワが深いんだ。)夫は、眉間に深いシワがあります。

「ことあるごとに激しい感情をぶつける人は、決して真のパワーの持ち主ではありません。」

「激しい感情は、無謀な向こう見ずなエネルギーです。それは見せかけのパワーであり、パワーを拡散する行為です。」

「不愉快なことが起こると、すぐに腹を立ててしまうような人に、いったいどれほどの強さがあるというのでしょう。」

「憎しみ、怒り、嫉妬、不安、羨望、強欲といってものは、いわば心の火です。それに触れると、誰もが火傷の痛みを体験しなくてはなりません。」

「これらの感情は、心の混乱を引き起こし、まもなく、病気、失敗、不運、悲しみ、絶望といった”罰”を、人にもたらすことになります。」

本の中から、夫を攻撃する内容をみつけては、夫を裁いているのでした。

しかし・・・・

「あなたはいま、誰かを恐れていませんか。だれかにイライラしてはいませんか。もしそうだとしたら、その原因は、あなたの心の外側にではなく、内側に横たわっています。」

(・・???イライラしてるのは、夫のせいなんだけど。私の内側??)

「外側の世界である環境は、心という内側の世界の現れです。」

(心の現われ???)

「憎しみは、トゲトゲした攻撃的な行動として、続いていさかいや不安に満ちた環境として表に現れます。」

(私、もしかして、トゲトゲしてる?だから、いさかいが耐えないの??)

「自分の家庭と環境を幸せなものにしたいなら、自分が幸せになることです。」

「あなたが自分自身を変えることが出来たなら、あなたの周囲のあらゆるものが変化することになります。」

(私が幸せになる?私を変える??)

「あなたは、自分の考え方一つで、自分の人生を破壊することも、素晴らしいものに作り替えることもできます。」

(素晴らしいものに、作り替えたい。考え方一つで出来るんなら、やりたいよ。)

「内側の人生を変化させることです。外側の人生が変化するためには、それが不可欠なのです。」

(内側の人生を変化させる・・・・内側の人生・・・・?)

「幸せになる方法を知らない人は、他の知識をどんなに持っていても、また、聖書の文字にいくらなじんでいても、何も学んでいないに等しいといえます。」

本の中の言葉が、私の心に刺さるのでした。二十歳でカルト宗教に入信した私は、それ以外の考え方に耳を傾けることがなかったのです。カルト宗教の教えこそが真理であり、教祖の言うことが全ての問題の解決になる答えだと思っていました。『原因と結果の法則』は、まさに目から鱗が落ちる内容だったのです。

自分の内面を見つめる。自分の内側を変える。

今まで自分の心の中、感情はおざなりにして来ました。自分がどうしたいかよりも、教祖の願いに応えることを優先にしてきたわけです。何か問題が起こっても、教祖の語る言葉の中に答えを求めていました。

『原因と結果の法則』を何度も読み返しました。

「清らかな優しい思いで心を満たし、
 いつ、どこにいても常に幸せを感じていられるとしたら、
 どんなにすばらしいことでしょう。それは、この世界に住む
 誰もが望んでいることであるはずです。」

そう、世界中の人が、幸せを感じたいと望んでいる。そして、世界中の人の幸せを望んでいる。私は今、幸せを感じている?

「あなたがいま幸せならば、それは、
 あなたがいま明るい考えを巡らせているからです。
 あなたがいま不幸せだとしたら、それは、
 あなたがいま暗い考えを巡らせているからです。」

「自分の心を正しくコントロールし、
 そこから身勝手な考えを排除することが、
 本物の幸せを手にする唯一の道です。」

(自分の心のコントロール?それが、唯一の道?)

「自分が幸せを感じられないかぎり、
 哲学や神学理論その他をいくら説いて歩いても、
 この世界をより幸せな場所にすることなど、
 誰にも絶対できない。」

「自分の心をコントロールしてない人は、
 真に意味では、生きていない人です。」

(自分の心のコントロール、コントロール・・・・・・・)

「自分の心の中身をねばり強く調査し、
 分析することです。」

「自分をよく観察し、自分の人格の中から、
 欠点を一つ一つねばり強く取り除く
 努力をしてみてください。
 それを続けることで、あなたは、
 自分の欠点に対する勝利を、
 一つ一つ積み重ねていくことができます。」

「続いて人は、過去を振り返って、
 それまでに自分が体験したことのすべてが、
 そのつど、自分の心の中身を正しく映し出していたことも
 気づくことになります。」

「自分の家庭と環境を幸せなものにしたいなら、
 自分が幸せになることです。」

「いつも幸せを感じてる人は、
 この世界全体の幸せを増やすことに、
 毎日手を貸していることになります。」


家庭を幸せにしたかったら、私が幸せになる。
私が幸せなら、家庭が幸せになる。

幸せ、幸せ。幸せは、私の心の状態。
それをコントロール出来るのは、私だけ。
私が幸せになったら
世界の幸せの数を増やせる。

なんか、今までとは、違った発想でした。

自分の幸せを考えるのは、一番最後じゃないとダメだと思っていました。

信仰とは、耐え忍ぶ者。我慢する者。自分の幸せを考えるのはサタンの考え。それが、カルト宗教の教えです。だからいつも自分の心に蓋をしているようで、辛くて、苦しくて、みぞおち辺りがいつもつっかえている様な状態でした。また、そんな状態の自分は、世界の平和のために頑張っているんだ、神様は喜んでいるんだと勘違いをしていました。今まで自分の考え、思い、感情を後回しにしてきた。だけど、逆にそれが一番大事なことで、優先すべきことなんだと思えるのでした。世界の平和を願うのであれば、自分の心の平和を作ること。この世を天国にしたいのであれば、自分の心を天国にすること。そんな考えが私の中でしっくり行くようになると、カルト宗教の教えとは段々と噛み合わなくなって行くのでした。

「天国は、あなたの内側にある。」

それは、よく聞く言葉です。イエス様も語っています。

それなのに、どこか遠くにあると思って、誰かについて行ってるんじゃあなかろうか?

私の中にすでにある天国をみつけることもしないで、天国を一生懸命に外側に創ろうとしているんじゃなかろうか?

世界の平和を祈りながら、すぐに腹を立て、争ってはいないだろうか?

イライラしながら奉仕活動をしたり、イヤイヤ慈善活動をすることに何の意味があるのだろう?

さらに、ずっと”成功”を追い求めてきた私は、次のような言葉にも衝撃を覚えました。

「成功を手に出来ない人は、
 自分をコントロールしようとしてない人です。」

「私たちは、もし成功を願うのならば、自分の欲望、身勝手な考え、気まぐれな感情を、積極的に犠牲にしなくてはなりません。」

「この作業は ”自己犠牲” とも呼ばれていますが、これを ”自分自身をなくしてしまう行為”だとする解釈は、明らかに間違いです。」

(自己犠牲って、どこかで聞いたことあるけど・・・・・なんか、解釈が違うなあ~)

「自己犠牲とはそもそも、心の中から悪い物を取り除き、
 そこを良いものだけで満たして、 自分自身のあらゆる能力を高める作業なのです。」

さらに・・・

「自分の心を最高にワクワクさせるもの、 自分の心に最も強く響くもの、
 自分が心から実現したいと思うものを、 しっかりと胸に抱くことです。」

「その中から、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が生まれてきます。」

(喜びに満ちた、天国!!)

私の中で、ジグソーパズルのピースが収まっていくように、”天国”のイメージが出来ていきました。

それからというもの、私は気の進まない宗教活動はキッパリと断ることにしました。

「”心の平和”として知られるその精神状態に至ることは、
 私たちすべての究極的な、目標です。」


そうなんです。私たちが求めているのはこの ”心の平和” なのです。

何の不安もない状態、何の心配のない状態を求めているのです。安心感・幸福感・・・そういう感情を手に入れたいだけなのです。何かを行うのも、実はこの安心感が欲しいだけなのかもしれません。あるいは、やらないことによる、不安感から逃れるために。私は、不安から逃れるための行動をしないように決めました。

「やらないと、誰かに怒られるから・・・・」

「やらないと、後で恐ろしいことが起こるかもしれないから・・・・」

不安な思いから行った行動は、不安の種を蒔いてるので、たいしたものは受け取ることが出来ないのです。「原因と結果の法則」  この法則は、いつでも、誰にでも働く法則だからです。やるなら、喜んでやる。喜んでやれないことなら、いっそやらない。誰かを満足させるためではなく、自分の心を満足させることをする。

ちょっとめんどくさい、やりたくないなあ、という自分の怠惰な思いではなく、無責任になれと言ってるのでもなく、本当は、やりたくないし、やる価値を見出せない物事に対しては、選択の主導権を他人に明け渡すことなく、自分で選択する。一度、自分が”やる”と選択した事柄には、喜んで、責任を持ってやる。

常に自分の人生の主導権・選択権は私がもっている。たとえ誰かの命令だとしても、一旦はその命令に従うかどうかを、自分が選択して、それから、行う。命令だから仕方なく行うのと、その命令を自分で選択して行うのとでは、結果が違ってくる。そうやって、周りに流される人生ではなく、自分の人生の主導権を取り戻す訓練をして行くようになりました。

次第に私は、様々な考え方を学んでいくようになります。今までは、たった一つの教えが絶対的なものだと思い生きてきました。だけど世の中色々な考えがあるんだということを今更ながらに知ることとなりました。

カルト宗教では、人は死んだら霊界に行って、そこで永遠に生きるとされていました。だから、この地上での生活は瞬きをするように一瞬であり、永遠である霊界でのことを考えたら苦しみも一瞬のことだ。だから肉体があるうちにどんなに苦しくとも忍耐して、霊界で天国に入れるように頑張りましょう、そんな考えでした。

だから“輪廻転生“は、間違った考え方だとされていました。しかし、

「輪廻転生を信じると人生が変わる」 山川紘矢著

この本を読むことにより私の考えも少しずつ変わっていきました。

本の中から一部抜粋させていただきます。


19.あなたが幸せになることが地球を救う
      心の命ずるままに

『人を変えようとする必要はありません。変えられるのは自分だけです。

他人のことを心配する必要はありません。時期が来れば、変わるからです。

自分を変えることによってのみ、世界が変わります。

今あるすべてのものをゆるすことから始めましょう。

自分の心の声、魂のささやきを聞きながら、進みましょう。

「あなたが幸せになること」、それだけが大切です。

心の扉を開き、真実を発見しましょう。

自分が愛と平和をこの地球上に広げに来たことを思い出しましょう。

あなたは、この世を救うために生まれてきたのです。

一人ひとりが救世主となる時代です。誰がえらいなどということはありません。
みんな今はそれぞれの役割を演じているのです。

やがて多くの人が目覚めます。軍隊や核兵器など要らない、と気づきます。

今は恐れから行動しています。

やがて、愛に基づいて行動し始めます。

そうプログラムされていますから、安心しましょう。

今はあなたの番です。

あなたが目覚めて、幸せになる番です。

あなたが幸せになり、あなたがなりたい自分になる。それが地球を救う道です。

心の命ずるままに生きましょう。

本当の自分に気づきましょう。

自分が愛そのものであり、宇宙から全面的に愛されていることを知るのです。

自分の中に意識を向けましょう。

あなたが変わり、世界が救われるのです。』


私の中で意識が変わりました。救世主なんか必要なかったんだ。一人一人が自分の救世主であって、誰か偉い人に従うことではなかったんだ。

私の心の中にあった重い蓋が取り除かれるようでした。外にばかり答えを求めていたけれど、自分の心の中にすでに答えはあったのです。私は自分の魂に問いかけてみました。深い深い魂の中心に答えを見つけたのです。

「この宗教は、やめよう!」

深い眠りから目覚めた時のようでした。



第五章 カルト宗教から目覚めたはいいけれど。

「もう信仰するのはやめよう!」

そう思っても、二十年以上も信じて生きてきたわけですから、私の中の思想はそう簡単に抜けることはありませんでした。宗教組織から距離を取り、通うことはやめましたが、揺れ動く自分がいました。

(もし真理だったらどうしよう?)

いくら違うと思っても、もし、万が一教祖の言ってることが正しかったら?一抹の不安が頭をよぎります。裏切り者になってしまうのではないか?死んで霊界に行ったら後悔するのではないか?

二十五年以上もの間信じ続けてきた思想を捨てるのは、簡単なことではありませんでした。ただ単にその組織から距離を置く、活動に参加しないということではなく、自分の中で新しい価値観を構築しないことには宗教の呪縛から逃れることはできません。それにはまず、神に対するイメージを払拭する必要がありました。

カルト宗教で教えられていた神様は、人間の親であるけれど、アダムとエバに裏切られることで六千年間悲しみに明け暮れているというイメージです。神とサタンとの闘いに神は常に負けてきました。それは全て人間の不信仰ゆえということです。本当の神の願いがわからない遠い存在となってしまった人間。そんな人間の救い主として、神の願いを唯一知っているのが教祖であるという構図です。

カルト宗教に植え付けられた価値観は、私にとってとても強固なものでした。見ず知らずの男性と結婚してしまう程のものだったのですから。

そんな時助けになったのが数冊の本でした。中でも、

『富を”引き寄せる”科学的法則』は、私に大きな影響を与えてくれました。

この本が書かれたのは、1910年です。

「ザ・シークレット」の著者、ロンダ・バーンがこの本を読んでインスピレーションを得たと言う本です。

少し抜粋させていただきます。

『「神は私たちが自分を犠牲にすることを望んでいる、あるいはそうすることによって、神の愛を確保できるなどといった誤った考えは捨ててください。」

「神はそのようなことはまったく望んでいません。」

「神が望んでいるのは、あなたが自分自身のために、そして他の人々のために、自分自身を最大限に活用することです。」

「そして、自分自身を最大限に活用するということが何にもまして、他人を助けることなのです。」


「神はあなたのためにさまざまなものを用意してくれます。」

「でも、他の人から何かを奪い取って、それをあなたに与えるようなことはしません。」

「競争心は捨てなくてはなりません。」

「あなたは創造者です。」

「あなたは競争者ではなく、創造者になるように生まれているのです。」

「そして欲しい物は何でも手に入れることが出来ます。」

「あなたは無限の宇宙に働きかけ、自分の欲しい物を創造しようとしているのです。」


一、この世に存在するすべてのものは「思考する物質」から作られています。その「思考する物質」は、原始の状態において、宇宙空間のすみずみまで広がり、浸透し、宇宙全体に充満しています。

二、この「思考する物質」(宇宙)の中に生まれる思考は、その思考が思い描いたとおりのものを作り出します。

三、人はさまざまなものを考え、それを「思考する物質」(宇宙)へと発信することによって、それを形あるものとして生み出すことが出来ます。』



私はこの本が言わんとしていることが腑に落ちると、神様に対するイメージがハッキリと変わってくるのでした。神様は私の中にいる。私の中で、私の可能性、才能が発揮されることを待ち望んでいる。私がしたいことをして体験することこそ神を喜ばすことであり、そのことこそが他の人のためになるんだ。

カルト宗教では、聖書の中でアブラハムが愛する息子イサクを捧げ物としたように、自分の一番大事なものを断ち切らなければいけないとされていました。ですから、信者は自分の夢を断ち切って宗教の活動を余儀なくされました。中にはとても才能があるような人まで、その道を諦めていたのです。

そんなことは、神様は望んでいない。

私は、ハッキリとそう思えるようになっていきました。ずっと神様の存在を信じてきましたから、いきなり神様を否定することまでは出来ませんでしたけど、神様に対するイメージの書き換えという作業をしたのです。

今からでも遅くない。私の人生を取り戻そう。私がやりたいことはなんだろう?私の中で眠っている才能ってなんだろう?急に世界が広がってきました。

私の夢。私は特に何になりたいというような夢は持っていませんでした。ただ、夫婦が愛し合った温かい家庭が持ちたかったんです。『大草原の小さな家』のような家庭を築きたっかったのです。その日常の中で楽しく暮らすこと、それが私の願いでした。

それからは、夫といかに仲良く暮らすか。自分で事業を始めた夫のサポートをいかにするか。夫の発展こそが、私のできること、したいこととなっていきました。異国の地韓国では、中々自由な夢を思い描くことができなかったのでしょう。宗教からは解放されましたが、夫からは逃れられずにいました。

夫はとても働き者でした。自分で事業を始めると、本当に盆と正月ぐらいしか休まずに働き続けました。その努力の甲斐があって、事業は成功していきました。夫はとても堅実で、貯金を貯めては、土地を買ったりして投資しました。いくら儲けたからといって散財するようなことはしない人だったのです。ですから、仕事が忙しくなり、事業が発展しても、私にくれる生活費は、いつもギリギリでした。それでも、子供をちゃんと大学に通わせてくれるし、飢える事はなかったので、それだけでも感謝しなければと思っていました。まだまだ宗教をやっていた頃の思考をしていたんです。

また、宗教組織から距離を置き始めていたために、周りの信者から信仰をやめたから不幸になったとは絶対に思われたくないという気持ちもありました。信仰をやめても、夫婦仲良く、事業もうまく行っているというのを見せつけたいという思いがありました。

本の抜粋です。

『「<唯一の実体>である神は、私たち人間を通して、この地上に生き、多くのことを行い、楽しもうとしています。」

「全ての可能性が、人間を通して表現されることを求めています。」

「”神はあなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、それを実現に至らせます。”ピリピ人への手紙2:13」

「富に対してあなたが感じる欲求は神からのものです。」

「あなたを通して自らを表現しようとしてるのです。」

「ですから、心置きなく多くを望んでいいのです。」

「あなたのすべきことは、神の望みに焦点をあて、表現することなのです。」

「ほとんどの人にとって、これはとても難しいことです。多くの人々は、清貧と自己犠牲が神を喜ばせるという古い考え方に縛られているからです。」』


私は、カルト宗教の信者が信じている神様が正しいのか、私が信じるようになった新しい神観が正しいのか、証明してみたかったのです。私は夫の事業がうまくいき発展して行くことで、清貧と自己犠牲が神を喜ばせるという古い考えは間違っているんだと確信して行くのでした。


ただこの時宗教の呪縛から抜け出すことはできましたが、更なる呪縛、韓国人の夫の囚われの身となっていたのでした。


第六章 自分を表現する

私は自分の心を整理するために、ブログを始めることにしました。

どうやって信仰をすることになったのか、そしてその間違いに気づくまでを書き綴りました。教義の矛盾や、教祖の言っていること、やっていることのどこがおかしいと感じるのか、素直に自分の考えを文章にしました。

心の中で思っていただけのことを文章にしてみるととても整理されました。そして、ブログのコメントで自分も同じようなことを感じていた、それを文章化してくれて自分の頭の中が整理されて行くようだ、そんなコメントを頂くようになり、ブログを書くことが私の日課になっていきました。

宗教組織から距離を置くことで、孤独に陥っていた私に、ネット上ではありますけど友達ができました。そして、自分と同じように感じている人の多さに励まされ、カルト宗教の間違いを確信していくのでした。

ところがカルト宗教の間違い。教祖は救世主ではなかった。そのことが確かなものになると、

(じゃあこの結婚は、何だったの?)そう心の中でつぶやく私がいました。

そんな言葉は聞こえないフリをして、耳を塞いでいました。その声に耳を傾けたら、とんでもないことになることが分かっていたからです。

夫は一生懸命に仕事をしてくれましたし、この人についていけば生涯お金に困ることはないだろうと思われました。夫は亭主関白で、頑固な人でしたが、それだからこそたった一人で始めた事業も軌道に乗ったんだ。お金の苦労をさせないことが夫なりの家族への愛なんだと思っていました。

私の家が貧しくて、両親はずっと借家住まいだったことを知っている夫は、私に新築マンションをプレゼントしてくれました。そして、もっともっと頑張ってお金持ちになって、老後はお金の心配をしないで済むようにしよう。そう言いながら更に仕事に励むのでした。

私は、幸せなんだ。

そう自分に言い聞かせていました。

夫の事業はリサイクル業。廃品を回収してきた人たちから廃品を買い取る仕事です。『ゴミも分別すれば資源』鉄や紙プラスチックを原料別に分けて、次の業者に売るのです。従業員がいるわけではありません。社長一人。私も仕事場に一緒に行って、仕事をしました。

朝六時には起きて、朝ごはんを準備し、一緒に出勤して廃品の分別をする。お昼ご飯も作り、仕事が終わって家に帰ると夕飯を作らなければなりません。夫は日本で言ったら戦後の男性のよう。男が家事をするようでは大きな仕事はできない。常に上げ膳据え膳。掃除、洗濯など一切手伝おうとはしません。私は、日曜日だけ休むことを許されましたが、夫は休まず仕事に行きます。日曜日の大半は、日頃出来ない家事で終わっていました。身も心も疲れ果てていました。

子供が家にいるときはまだ良かったのですが、子供が大学に行くようになり家を出てしまうと夫と二人きりの生活。私は、自分が暴君に仕える奴隷になったような気分になるのでした。夫は、暴力を振るったりはしません。私がいうことを聞いているうちは、とても優しくしてくれましたし、私を幸せにしようと頑張ってくれているのは感じていました。ただひとたび私が刃向かおうものなら烈火の如く怒り出すのでした。

仕事は肉体労働です。重たい物を持ち上げたりしなくてはなりません。私が肉体が本当に辛くて休みたいと言えば、私の父のことを持ち出して、怠け者の娘だから怠けるのか!と、私を傷つけるようなことを平気で言うのでした。

やっと宗教から解放されて自由の身になったと思ったのに・・・

だけど親の反対を押し切って来てしまった韓国。帰る場所はありません。更に、夫婦仲が悪いのは、信仰をやめたからだと現役の信者に言われるのが癪でした。私は、自分の心をなんとか保ちながら、幸せなフリをしながら生活するようになっていました。

側から見たら、従業員はいませんが一応社長の奥さんです。新築マンションに住み、子供もそれなりの大学に通っています。私自身も、自分は幸せな方なんだ。もっと苦労している人はたくさんいるんだから、少しのことは我慢しないと。夫にも良いところはあるじゃないか。そうやって、否定的な気持ちになるのを方向転換していました。

そんな自分の日常や、感情までブログに面白おかしく書き綴りました。夫に対する愚痴を文章でぶちまけていたのです。同情や共感してくれるコメントに慰められ、なんとか乗り越えるのでした。

最初はカルト宗教のことばかり書いていたブログの内容も、ある程度書き切ってしまうと、日常の出来事と共に、私が影響を受けた本の内容や、YouTubeの動画の内容なんかも書くようになりました。私の中での真理に対する追求は終わっていなかったのです。歩みを止めることはできませんでした。カルト宗教の教義が間違っているんだったら、本当の真理はどこにあるんだろう?人は、死んだらどうなるんだろう?人の幸せって、何なんだろう?   振り出しに戻ったようでした。

スピリチュアル系の本や動画をたくさん観て、自分がしっくりくる物を見つけていきました。そして、老後の安定のためにこのまま結婚生活を続けることが、果たして正しいのか?それで幸せなのか?自問自答する日々が続くのでした。

私は、今幸せなの?本当は、何をしたいの?ワクワクしてる?

そして究極の質問

私は夫を愛してるの?

中々答えを出せずにいるのでした。



第七章  『魂の法則』と『愛の法則』

ブログを書いているとある日読者の方から一冊の本を紹介されました。

『魂の法則』です。

その本は、ネットで全て読むことができました。


題名: 「魂の法則」
スペイン語原題: “LAS LEYES ESPIRITUALES”
著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ
邦訳: 小坂 真理


序文

僕は、長い間いつも多くの疑問を抱えてきた。

それらは、存在の根源に関するものだった。

いつも、自分の人生の目的や、皆の存在理由を知りたがっていた。

「僕は何者か」

「なぜ存在しているのか」

「他者はなぜ存在するの か」

「僕らはここで何をしているのか」

「何か特別なことをするために やって来たのか」

「人はなぜ生まれ、死ぬのだろうか」

「僕らはどこか らやって来て、どこに向かうのか」

「死後にも、何かがあるのだろう か」

そして、それでおしまいではなかった。

時には、世界中で目にするお びただしい不正に対する答えを求めた。

「人生は、なぜこれほど不公平なのか」

「誰にも危害を加えたことの ない小さな子どもが、生まれた時から誰からも愛されずに飢餓・戦争・ 貧困・病気・搾取・虐待で残酷なまでに苦しむその一方で、健康に生ま れつき、幸せな環境で愛される子どもがいるのはどうしてか」

「なぜ病 気になる人とならない人がいるのか」

「長生きする人がいる一方で、生 まれた途端に死んでしまう人がいるのはなぜか」

「苦悩と悪意は何のた めなのか」

「善人と悪人、幸福な人と不幸な人がいるのはなぜか」

「僕 はどうしてこの家族の下に生まれ、他の家ではなかったのか」

「どうし て他の人ではなく、この僕に、こんな災難が降りかかるのか」

「他の人 に起こる不幸が、自分に起こらないのはなぜか」

「これらの違いは一体 何によるのだろうか」

また、ある時は感情面でのものだった。

「なぜ僕は幸せでないのか」

「なぜ幸せになりたいのか」

「どうした ら幸せになれるのか」

「僕を幸せにしてくれる愛の対象を見つけられる だろうか」

「愛とは何で、感情とは何だろう」

「この気持ちは何なの か」

「愛す価値があるのか」

「愛す方が苦しむのか、それとも愛さない 方だろうか」

おそらく君も、人生のある時点で、同じような質問をしたことがある だろうし、今でも時々そのように考えることがあるのではないだろうか。

でも僕たちは、日常生活の一日一日に追われているので、意識してこ のような問題を提起する機会も、答えを見つけようと努力する時間も余 りない。

僕たちには、色んな義務や気を逸らされる雑事が多過ぎるのだ。

そして、答えは簡単には見つからないし、探求すると自分が不安になる ので、疑問は心の片隅に押し込めておくのだ。

そうすれば、苦しみが軽 減されるとでも思うのかもしれない。

これらの疑問の一つ一つに答えはあるのだろうか?

ありきたりな答え を求めているのではなく、本当のことが知りたいんだ。

真実は存在する のか?

何が真実なのだろう。

どこに真理を求めるべきか。

そしてそれが 本物だと、どうして分かるのだろうか。』



三百ページ近い内容でしたが、ブログに紹介しながら自分でも色々な内容について考えるのでした。

なんのために産まれてきたのか?                   

死んだらどうなるのか?

愛ってなんなんだろ?

今までカルト宗教に一方的に教えられてきた内容をもう一度考えてみたのです。

神様はいるのか?魂はあるのか?霊界はあるのか?魂の生まれ変わりはあるのか?

そして、一番知りたかった内容が、結婚相手のことでした。

ツインソウル、赤い糸で結ばれた人は存在するのか?

一度結婚したら離婚することは罪なのか?

そんな私の疑問に答えてくれたのが、

『愛の法則』でした。

-魂の法則II-

Vicent Guillem
ヴィセント ギリェム

題名: 「愛の法則」(副題: :魂の法則II)

スペイン語原題:“LA LEY DEL AMOR”(LAS LEYES ESPIRITUALES II)

著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ

ホームページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com.es

日本語サイト: http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es

本書に修正を加えず営利目的にしない条件で、現在利用可能なすべての媒体によって、本書全体またはその一部の複製を許可するものとする。


とても難しい内容でしたが、私は一生懸命に読んでみました。全てを鵜呑みにするわけではありませんが、腑に落ちる箇所が何箇所もありました。

夫の私への思いは、次の部分が的確に述べてくれているようでした。

『能動的な執着心は、愛する者は自分に所属しているので、自分がその人に関する特定の権利を持つと考える人に見られる。

それは、他者の意志を所有したいという欲望となって顕れ、自分が望むことをさせるためにその人の人生をコントロールしたがる。

一言で言えば、能動的な執着心がある人は、パートナーの意志に自分の意志を強要する権利があると思っている。

自分の望みを叶えて悦ばしてくれる人といたがり、そうするのがパートナーの義務の一部であるので、相手に要求する権利があると思い込んでいる。』


韓国人の夫は、所謂男尊女卑的な考えをする人でした。私は夫の所有物であり、思い通りにできる権利があると思い込んでいるのです。夫は私を思い通りにしようとしました。家では、家事をするのが当たり前。仕事場では、仕事をするのが当たり前。私はあるときは家政婦、ある時は従業員と、夫の期待に応えるために必死だったのです。

私のその時の感情を的確に表してくれている箇所もありました。

『感情的混乱は、人が心にない気持ちを持とうと無理をしたり、本当の気持ちを抑圧したり、あるいはその両方の場合に起こる情動的な状態である。その状態に長く留まってしまうと、本当の気持ちと強要している気持ちとの区別が上手くつかなくなってしまう。

これは、そういう人たちにありがちな混乱のことであり、感じていることと感じなければならないこととを混同し、気持ちが義務と入れ替わってしまうことだ。

自分にない想いを無理強いする人は、その義務感によって疲労し虚しくなり、苦しむことになる。

愛の感情は強要できず、自発的に生じなければ、存在しないからだ。また、本当の愛情を抑圧することで苦しんでしまうこともある。

そういう気持ちになるべきではなく、その権利もないと思うからだ。

 しかし、感情的混乱から生じた自己欺瞞によって、自分が不適切な感情を抱いてしまったがゆえの良心の呵責から苦悩しているのだと思い込み、それが不幸の原因なので、感情自体を排除する努力をすべきだと考える。


 感情的混乱は、感情における自由を断念してしまった人によく見られる。

 自己の感情を放棄する要因の一つに、禁制的な道徳律に従った教育を授けられ、それを自分の中に取り込んでしまったことがある。 この場合、その人の感性は、その道徳規範に強く規制されてしまっている。』


私は長い間カルト宗教の教えの呪縛の中にいました。自分の感情を押し殺すことが習慣になっていたんです。その癖が抜けることはなく、夫の期待に応えることが愛だと勘違いしていました。

次のような箇所もありました。


『教会で結婚式を挙げて、何年も婚姻生活を続けている人を例にしてみよう。

その間にその人が、実際には自分に恋愛感情がなかったこと、またその結婚で幸せでないことに気づいたとする。

この人が感情における自由を大事にするなら、すぐに伴侶を愛していないことに気づき、それを伝えて離婚を求めることだろう。

 だがこの人が、結婚とは一生涯続けるものであり、解消はありえないという宗教的な教育を授けられていたとしたら、義務感と他の人たちの否定的な反応への怖れから、無理してその関係を維持しようとするだろう。

「結婚した相手を永遠に愛すること」が道義上の義務であると信じ切っているので、伴侶を愛するように自分を仕向ける。

 愛していないことを相手に気づかれないように、あらゆるサービスで悦ばせ、愛のために多大な犠牲を払っているのだと自分を信じ込ませようとするが、自己犠牲に感じ、義務と見なしていること自体が、実際は愛がないことを表している。

 真の愛を感じる者には、相手への奉仕が犠牲とはならず、好きでやる行為になるので、それに悦びを覚えるものである。

 別の選択肢は、伴侶の態度が悪いことにして破局を正当化するやり方だ。

 こうすれば、伴侶が決別の責任を負うことになり、当人は義務を怠ったことから免責される。

つまり、

「私は彼を愛しているのだけれど、構ってくれないし愛されていないと感じるので、もう一緒に暮らしていけないわ」、

または「こんなことをされたから、もう許せないの」と弁解するのだ。

もう一つのやり方は、伴侶の生活を不可能にして、相手に別れの決断をとらせる方法だ。

 このやり方では、愛し続けなければならない義務を公式に怠ったのは相手となり、当人は結婚の破局に関して免責される。

 世間の目には伴侶が悪く、自分を犠牲者に見せかけるが、事実は全く反対である。

こうして、その精神的な葛藤の状況は、明らかに「伴侶を愛していない」のが原因であり、それには「別れる」という単純な解決策があるのに、感情的混乱のせいで、自分や他者に苦悩を引き起こす複雑な騒動へと発展させてしまうのだ。

つまり、愛の感情が自分にないことを認めようせず、臆病で、宗教的な道徳律を破れなかったために、事実を偽装してしまったのである。』


私は夫と喧嘩をしても、“離婚“の二文字は頭をよぎったことはありませんでした。もし、夫が暴力を振るったり、浮気をしたり、ギャンブルにのめり込んだり、働かなかったり・・・そんな男性だったら離婚も考えたでしょう。

だけど、少々亭主関白なところはありましたが、誠実で働き者、責任感の強い人で、逆境にも負けずに弱音を吐くような人ではありませんでした。無駄使いもせずに、目の前の欲望を満たすより、将来のことを考えるような人でした。

私は夫に感謝していましたし、夫の生き方から学ぶこともたくさんありましたから、尊敬もしていました。

ただ、愛しているか?

自分の感情を見つめていました。

多分私が夫に抱いているぐらいの感情で、結婚生活を続けている人は多いと思います。特に恋愛感情はないけれど、これといった問題もないし、このまま何とか生きていける。大好きって言うわけじゃないけれど、憎んでるわけでもない。上を見たらキリがない。下を見たら、まだマシな方。もう若くないんだし、今さら・・・

だけど、私の中のもう一人の自分は、

(本当にそれでいいの!?)と叫んでいました。

妥協の人生

現状に甘んじて、冒険しない。

そんな人生、つまんなくない?

何処から来て 何処へ行くのか、引き返すには遠すぎる
誰を愛して 愛されたいのか、わからなくなっていました。

それこそサタンがほくそ笑んでいるように感じました。また、カルト宗教の教祖を通してした結婚を維持することは、そのカルト宗教を肯定しているようにも感じていました。このまま幸せな家族を演じることは、やっぱり教祖が選んだ相手が正しかったんだという結論になりそうで、それも嫌でした。

夫婦間のことはこのまま妥協して、自分の楽しみ、生き甲斐を見つけながら自己実現していけばいい。夫は、生活の基盤を確保してくれるありがたい存在として、感謝して生きていけばいい。子供のためにも、離婚なんて考えるのはやめよう。

私の心は、揺れていました。


第八章 もう、耐えられない

一旦は、馬鹿なことを考えるのはやめて、今の幸せを感謝しながら生きていけばいいじゃないかという結論に落ち着くのでした。

心の叫びに蓋をして・・・

だけど、置き忘れた夢 心が疼きました。

夫は、新築マンションも購入し、事業も順調。周りからも認められ、自信に満ち溢れ、満足そうでした。夫なりに私にも良くしてくれましたし、愛してくれていたと思います。ちゃんと言うことを聞きさえしていれば・・・

だけど、キツく抱きしめられても、私の心は上の空

夫が私を喜ばそうと色々気を遣ってくれても、冷めている自分がいました。夫に対して申し訳ない、可哀想なことをしている。そういう自覚はありましたが、私が求めているのは、自由。夫から解放されることでした。朝から晩まで一緒に行動して、私は夫の要望に応えなくてはなりません。その見返りとして、夫はよくしてくれるわけですが、私の望みは自由。夫と外食しても、ドライブに行っても楽しくないんです。

一緒にいても楽しくない。楽しく思えない。

こればかりは仕方ありません。

夫は度々、六十歳まで一生懸命に働いたら、二人で世界一周船の旅に行こうと言っていました。有言実行の男ですから、きっと六十まで一緒にいたら連れて行ってくれたことでしょう。だけど、イメージができませんでした。六十まであと十年以上あります。このまま一生懸命に働いて、お金持ちになって、六十歳。夫と船の旅に行って、楽しいか・・・?全然ワクワクしないんです。

今という時を犠牲にして、未来に希望を持つ。

これではカルト宗教と同じです。

肉体のあるうちは苦労して、忍耐して、頑張って・・・そうしたら死んで霊界に行ったら幸せになれる。

もうそんな考えコリゴリでした。


ああでもない、こうでもない・・・

夫との今後のことを考えると
中々踏ん切りがつきませんでした。

子供のこと、今後の生活のこと、夫に対する情が全くなかったわけではなかったので、そう簡単には決められません。

仕事を辞めるのとはワケが違います。

どんな相手とでも、別れを思ったら寂しい気持ちにもなりました。


それが、頭で考えている時は中々答えを出すことが出来なかったのですが、

「私はどうしたいのか?」

自分の本音を聞き出してみることで、だんだんと見えてきたものがありました。

自分の本音。

最初は聞いても、中々ハッキリとした答えを言ってくれません。

「私は、どうしたいの?
どんな生き方をしたいの?」

何度も問いただしてみました。


そんなある日、以前読んだ事のある

「アルケミスト」という本を手に取る機会がありました。


「アルケミスト」

内容(「BOOK」データベースより)

羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えて少年はピラミッドを目指す。

「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」
「前兆に従うこと」
少年は、錬金術師の導きと旅のさまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んで行く。欧米をはじめ世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語。

夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。夢を旅した少年サンチャゴの物語。世界22カ国で読まれているベストセラー。

「彼は今まで慣れ親しんできたものと、これから欲しいとおもっているものとのどちらかを、選択しなければならなかった。

自分をしばっているのは自分だけだった。

あせってもいけないし、いらいらしてもいけなかった。

もし、衝動にかられて先を急ぐと、神様が道筋に置いてくれたサインや前兆を見落としてしまうだろう。」
アルケミストより


自分が手に入れたいものは何なのか?それが分かったら行動するしかありません。私は密かに(三年経ったら離婚しよう。)そう決めました。三年というのは、子供が大学を卒業するからです。

決めたら心がなんだか楽になりました。今、今日一日、やるべき事はちゃんとやって、前向きに生きよう。そうすればきっと良い情報に出会えたり、神の導きがあるだろう。なんとなくそんな確信を持っていました。


ただ、夫に対しては上の空状態。勿論、家事も仕事も今まで通りやりました。だけど、それは仕事をこなす人の態度。事務的にしているに過ぎなくなりました。心ここに在らず。

まるでかぐや姫が、どんなに貢ぎ物を貰っても喜ぶことなく、ずっと月に帰りたいと悲しんでいる姿に似ていました。

特に韓国は反日国家。日本人として暮らすのは、辛いものがあったのも事実です。私は日本に帰る日を夢見て、日々の生活を続けるのでした。


第九章  ブログでの出会い


私は相変わらずブログを書き続けていました。読者は、殆どがカルト宗教の元信者。元信者同士というのは、不思議な関係で、同じ過程を通過してきたからか、戦友のように変な連帯感のようなものがありました。時には、何であんな宗教を信じてたんだろうね?と自虐ネタで笑い合うような仲でした。それでも教祖が決めた相手との結婚は解消することなく、そのまま結婚生活を続けている人が殆どです。いくら教義の間違いに気づいたからと言って、子供もでき、家庭を築いた今、全てを否定して一からやり直す、気力も体力も、財力も持ち合わせていませんでした。

そんな中、私の読者の中のある男性の元信者とネット上で交流する機会がありました。彼もブログを書いていて、お互い関心を持つ内容が似通っていたので、コメントで意見の交換をしていました。なんとなく感性が似ているなと感じてはいましたが、異性として特別な感情は一切感じていませんでした。多くの読者の中の一人。ただそれだけです。

そんなある日、ブログ上のコメントやメッセージではもどかしく、メールのアドレスを交換することにしました。

メールのやり取りをするようになると、グッと距離が近くなります。お互いの心の内を話すようになりました。そして彼が一本のYoutubeの動画を送ってくれたのでした。


世良公則  『銃爪』

アコースティック・ギター一本で唄う世良さん

私は始めて見る姿でした。

突然(いきなり) 1000のパンチを浴びせられたように
何かが 何かが 体の中ではじけました。

『かっこいいー!!』

久々に感じるトキメキです。彼は、私のブログのプロフィールで、好きな芸能人は、世良公則というのを見て動画を探して送ってくれたのです。好きな芸能人は、ずっと世良公則さんでした。それは、小学生の頃から変わりません。しかしながらライブに行ったこともなければ、今現在どんな活動をされているのか、追いかけることもありませんでした。それなのに心の中にはずっと世良さんがいました。

YouTubeで世良さんの演奏が観れるということも思いもつかなかった頃です。私はその動画に感激するのでした。それこそ四十年ほど前、歌番組で観ていた『銃爪』しか知りません。ツイスト時代の世良さんとはまた違って、アコギを奏でながら唄う姿にまた世良熱のスイッチが入りました。

それからというものYouTubeで観ることの出来る世良さんの動画を片っ端から観ました。また一つ煌めく世良さんにゾッコンになりました。

彼とはメールのやい取りからラインのやりとりに移行していくと、益々距離が縮まるのでした。

『今夜こそ恵水華さんを落としてみせる〜♪』と彼がふざけて送ってくれば、

『落とせるものなら落としてみな!』と返しました。

会ったこともなければ、顔も知らない相手でしたが、ラインを始めることであっという間に恋愛感情にも似た感情を抱くようになっていました。ネット上のお遊び。韓国人の夫とは分かり合えない、通じないもどかしさ、心の隙間をラインでの会話で埋めていたのです。

私たち夫婦は、元々は宗教という共通点があったから結婚した二人。信仰をやめた今、共通の話題がなくなってしまいました。言葉の壁もありましたし、共通の趣味があるわけでもなく、子供が巣立って夫婦二人になると夫婦の会話が減りました。家でも一緒、仕事場でも一緒。行き帰りの車の中でも一緒。特に話すこともありませんでした。私はいつしか、夕飯が終わると夫から解放されたくて、さっさと寝室に行き、彼や他の日本人の元信者とラインのやりとりを楽しむようになっていきました。

こんな夫婦関係、私が理想としていたものとは程遠いものです。一緒にいて嬉しい、会話が楽しいというのは、努力で何とかなるものなのでしょうか?

彼とはラインで何時間でも話し続けることができます。一つの話題を振ればいくらでも話がつきませんでした。会話が楽しい。感性が似ている。興味の対象が似ている。彼が取り上げたブログのテーマと偶然にもかぶることがあったほどです。

また、カルト宗教の教祖へ対する思いも似ているものがありました。信仰をやめて、元信者になった人の中には、教祖のことをとても恨んでいる人もいます。自分の人生を滅茶苦茶にした詐欺師として、いつまでも許すことができずにいるんです。勿論私も、酷い宗教に引っかかってしまった、もしカルト宗教なんかに行かなければもっと楽しい人生で、好きな人と結婚していたのに・・・とは思います。怒りや、落胆、後悔といった様々な感情を通過しましたけど、時が過ぎて仕舞えばいつまでも過去を悔やんでも仕方がない、これから人生やり直すしかないと気持ちを切り替えるのでした。

彼も同じような考えで、普通の人ができないような経験をすることができたことを良かったと思うしかない、という意見でした。ただ唯一の後悔は、結婚相手に対する期待外れでした。てっきり、自分の運命の人、赤い糸で結ばれた人、ツインソウルと言われる人と結婚できると思っていたわけです。それが、違っていた。会話が合わない、楽しくない、心ときめかないというのは、絶対違う相手だという確信がありました。彼も奥さんとは、ほとんど話をしない、そんな生活を送っていました。

ツインソウルに会いたい。

それが二人の共通の願いでした。


「愛の法則」より

『真の愛は自由であり、強要できず、自然に湧き起こるものである。

二人の結びつきは、関係を維持するための義務や努力を必要とすることなく、この自発的で自由な相互愛の感情に基づいていなければならないのだ。』

その頃彼もブログで同じような思いを吐露していました。

以下、彼の書いたブログ記事です。


『私、今しがた「宇宙からの伴侶 スピリットメイト」(ヒカルランド刊)を読み終わりました。

この本には、私がこれまで知っていた概念とは違うことが書かれていました。

「スピリットメイトはソウルメイト、ツインソウルとは別の存在です」と…

要は、今まで「ツインソウル」という概念で捉えていた存在(宇宙の双対)のことを「スピリットメイト」と言うんだと… だから、ここから先は「ツインソウル」という言葉を「スピリットメイト」という言葉に置き換えて書いていきますね。(話を早く進めたいので…)

よくよく自分の過去を振り返ってみるに、私がUC(宗教団体の事)の道を選択した最大の理由が「理想相対に出会いたい!」というものだったのは疑いようのない事実です。

だから、あのいかがわしさ満載の“祝福”なるものを受け、あまり愛せない妻を無理やりにでも“理想相対”と思い込もうとし、子作りにも励み(これはただ単に私のスケベ心のなせる業?)、そこはかとなく家庭を築いてきたわけです。

でも、私は気づいちゃったのです! 「この妻が(理想相対&ツインソウル改め→)スピリットメイトのわけがない」と。「この妻は、かりそめの“理想相対”なんだ」と。』


私も彼も信仰を続けていた最大の動機は、その宗教では『理想相対』と呼んでいた自分の永遠の伴侶に会うためでした。

ですから、出会わずして死ぬことができない。諦めきれない願いだったのです。

そんな話もラインで意見交換したり、お互いの見解を語り合うのでした。

私は彼とのラインと世良さんの動画で心の隙間を埋める日々を送っていました。世良さんの動画を見るにつけ、一度ライブに行ってみたい!と思うようになったのです。私が彼にラインで、

『一度世良さんのライブに行ってみたいなー』と言うと、二つ返事で

『行こう!』と返事をしてくれました。

私のちょっとした呟きを即肯定してくれる。とても嬉しかったです。私は、一緒に行きたいという意味ではなかったのですが、自分も行ってみたいということになり、具体的に話が進んでいきました。

ネットで世良さんのライブを検索すると、ちょうど世良さんのデヴュー四十周年&60th Anniversary で、数カ所でライブの予定がありました。東京、大阪、福岡・・・

彼は仕事を休んででも行くからどこでもいいと言ってくれました。勿論目的は、世良さんのライブです。だけど、ラインでの交流を続けるうちに二人とも会いたいという思いが強くなっていたのです。

一度も会ったこともないのにお互いのことをもしかしたら私たち・・・

そんな幻想をするくらい、分かり合える相手だったのです。


第十章  『タカガウマレタヒ』

色々悩んだ挙句、福岡の公演に行くことにしました。

『行きたい!』という強い思いだけで、あとの細かいことは考えないようにしました。あれこれ考えては、行動に移せないと思っていたからです。兎に角ライブのチケットを予約し、飛行機のチケットを入手して、その日を待ちました。

ネットで今回のライブのタイトルは、

60th Anniversary LIVE 「Birth」〜タカガウマレタヒ〜

とあるのを知りました。

(ああ〜、誕生日なんてたかが生まれた日に過ぎないってこと?)

そう思っていましたが、もっと違う意味がある。

タカガウマレタヒは、鷹が生まれた日という意味が込められているそうです。


『世良さんが、30代後半、二度目のアカデミー助演男優賞を受賞した直後、これを機に、もう一度、「自分に」「音楽に」向き合おうと決断された時の事です。

一度全ての映像の仕事を止め、もう一度ゼロ以下から向き合う決断をし、それまでバンド形態でしたが、誰にも頼る事ができない、自分独り、アコーステックギター一本で演奏し歌唱するスタイルを始めた姿の事です。

あえて今まで経験のない、キャパの少ないライブハウスでも公演し、音楽を極める意味を再確認しました。世良氏は大手の事務所やレコード会社には所属しておらず、完全なインディペンデントな立場でした。当時、それを観た音楽関係者からは「まるで武者修行のようだ」と言われていました。※17年間それは続きました。

世良氏は、リハーサルは中抜きをせず、本番と同様の内容を行います。
LIVEが2時間30分であれば、一日5時間以上、演奏、歌唱をしています。
自分に納得がいくまで、観客にその日の最高な音楽を聴いて頂くためそうされます。
観客の皆様には、気づかれておりませんが、演奏時、弦が爪の間に入り、半分爪が剥がれ流血する事は度々ありました。スタッフが、アンコール無しを決めても
世良氏は、テーピングをしてステージに戻られます。
それが世良公則の音楽と対峙する姿勢です。』

私がカルト宗教の活動に忙しくて、テレビを観ることもあまり無かったからあまりテレビで観なかったのかと思っていましたが、世良さんはその頃ある選択をされていたんだと言うことを知りました。

もう一度『自分に』『音楽に』向き合うために、ゼロ以下から始めていた。

中々出来ることではありません。現状に甘んじ、そのままズルズルと生きてしまう人が大半でしょう。妥協と諦めの人生です。今まで築いてきたものを一旦白紙に戻して、ゼロ以下からやり直してみる。その決断は、恐怖心との闘いだったろうと推測できます。それを乗り越えて来られた世良公則という男を生で見られるなんて、本当に感激以外の何ものでもありません。

一緒に世良さんのライブに行く。

いくらラインで気があったからと言って、それこそ正気でないのは二人ともわかっていました。ネット上でいくらお互いのことを分かり合えてるつもりでも、実際会ってみたら幻滅するかもしれない。幻滅されたらどうしよう。まるで文通相手に心ときめかせている学生のようなもの。会うことで関係が終わってしまうかもという一抹の不安はありました。

若い頃と違って、外見はどうでもいいことでした。地位も名誉も財力も、そんなもの一才関心もありませんでした。色々不安な思いはありましたが、もう後戻りはできません。

待ち合わせは、駅の改札口。

私が電車を降り、改札口に向かうと彼が待っていました。改札を出ると自然に手を繋いでいました。初めてあったのに、久しぶりに会ったような不思議な感覚。

それからずっと手を繋いでいました。

そして、ライブ会場。

初めての世良さんのライブです。会場は熱気に包まれていました。直に世良さんを見るのも初めてです。世良さんがステージに出てくると感激のあまり目が潤むのでした。

私にとって、夢の二時間でした。最高でした。


そして、別れの朝。

私は、韓国に戻らなければなりません。いつまた会えるかわかりません。もう当分会えないかもしれないし、会わない方がいいのかもしれないし・・・

現実の生活を忘れて、ひと時楽しい時間を過ごすことができた。良い思い出としてこれからまた、日常に戻れば良いんだ。ちょっとハメを外しただけなんだ。理性で感情に蓋をしていました。

抱きしめて 抱きしめて 抱きしめて心は叫んでた。
涙を隠して本当の気持ち口に出せないまま 愛されたい 愛されたい 愛されたい


私は韓国に戻り、何事も無かったようにまた日常の変わらぬ生活をしていました。生活は変わりませんでしたけど、私の心の中は大きく変わっていました。

(もう自分の心を誤魔化して生きていくことはできない。)

そして、夫に対する私の感情は、感謝であり、尊敬であり、戦友のような感情はありましたが、決して愛ではないということをハッキリ自覚するのでした。

「恋愛感情」を持ち続けることが出来るカップル。それが私の魂の目的でした。夫とそんな関係が築けることが出来たのなら、苦労することはありません。

だけど、どんなに努力しても、本当の意味で魂が通じ合えることは、難しいと感じ始めたのです。

彼も同じ気持ちを抱いていたようです。世良さんのライブに行ってから十日ほど経った時、相変わらずラインでやりとりをしていた時、突然、

『一緒になろう!』

という彼の言葉が送られてきました。

『いいよ。』

私は躊躇うことなく返事を送りました。言葉にして、それから考え出したという感じです。

一緒になろう・・・いつかね。

元々子供が大学を卒業したら結婚は解消しようと思っていたので、あと三年。そうしたら、一緒になるのも可能性あるかも。それぐらいの気持ちだったのかもしれません。しかし、一度口に出すと、現実は動き出すものです。私の頭の中は、どうやって結婚を解消して、彼と一緒になったら良いのか?いろんなシュミレーションを始めていました。私個人の蓄えなんかほとんどありません。日本に帰ったらとりあえず働かないと。五十近くの年齢で、何ができるかな?私はネットで求人情報を見たりするようになりました。

今すぐというわけではないのに、何とかなるというイメージが欲しかったのです。パート募集、厨房食器洗い時給800円、年齢50歳まで・・・ああ、働き口は何とかなるかな。月に12〜3万円ぐらい稼げば、食べていけるかな?贅沢は言っていられません。

そんなイメージでも、ワクワクしていました。

日本に帰れるのなら、彼と一緒になれるのなら、それだけでワクワクしました。

今の労働を考えたら、何でもできる気がしました。

ある時は、椎茸の栽培、パック詰めという求人があり、彼に

『私、椎茸屋さんで働こうかな!?何か面白そう!』とラインして笑われたこともありました。

本気半分、冗談半分

頭の中でワクワクしながらイメージしていくと、不思議なことに現実が思わぬ方向に動き出していくのでした。


第十一章  ジャカランダに誘われて


「愛の法則」より

*パートナーへの恋愛感情がないことを認めても、まだとても愛着があって、その絆を失いたくないがための精神的な葛藤から、相手と別れるというステップが踏み出せない人がいますが、これについてはどうですか?


 連れ合いに男女の愛を感じないことを認めても、必ずしもその人に反感を持つ必要はないし、またその人を人生から完全に閉め出す必要もない。

単にその人に対する自分の感情の種類を認識して、人生が自分の気持ちに見合うものになるように行動するだけのことだ。

 友情があるなら、カップルの関係の継続を強いることなく、その友情を続けていけばよい。この現実を認めずに、自分の気持ちに釣り合わない関係を維持しようと無理すると、相手に対しての拒絶感が生まれてしまう。

実際は違うのに、パートナーとして愛しているのだと相手に思わせることは、相手を騙していることになる上に、関係を長引かせれば、相手は気持ちに本当に応えてくれる人を見つけることができなくなってしまう。

そういう愛情の絆がない状況において、関係を継続させることは、破局を迎えるよりもダメージが大きい。それは世間の目を気にした虚偽の結びつきであり、双方に苦痛をもたらす無理のある関係である。』


実際は違うのに、パートナーとして愛しているのだと相手に思わせることは、相手を騙していることになる。

私は夫を騙しているんだ。三年も騙し続けるなんて、夫のダメージを大きくするだけだ。そんな酷い仕打ちをすることはできない。終わりにするつもりなら、なるべく早い方がいいんだ。

表面では愛しているように思わせて、今まで通り家事も仕事もこなしていました。ただ、心ここに在らず。抱きしめられても、上の空です。そんな日々を数ヶ月暮らしていましたが、

でも私は、「恋愛感情」を体験したいというのが私の魂の望みだったんだということに気づいたんです。

夫婦間で恋愛感情がなければ、関係を解消する。

とってもドライな考え方です。

だけどそれが一番正直な生き方のようにも感じるのでした。

そう思ったが最後。意識は、日本で彼と一緒になることに向けられました。それも、一日も早く。夫に対しても、こんな一緒にいても上の空な女と一緒にいるよりも、もしかしたら新しい出会いがあるかも。それなら少しでも若いうちの方がいいだろうと考えるのでした。

一旦腹を括ると何かが動き出しました。私は小説の『アルケミスト』のように冒険に出ることにしたんです。先のことは何もわからない。何の保証もない旅です。それでも現状のまま生きていくよりマシな気がしました。

夫は離婚されるような酷い男ではありません。ただ私と相性が合わなかっただけ。他の人から言わせれば、別れるのは勿体ない、そんな人です。ちょうど世間では、女性タレントと男性歌手の不倫が騒がれている頃でした。不倫に対する世間の考えはとても厳しいです。

そもそも宗教の教祖に決めてもらった人と結婚すること自体非常識。今更常識人になるつもりもありませんでした。もしかしたら野垂れ死ぬかもしれません。孤独になるかもしれません。このまま羽ばたくこともなく死んでいくのか、それとももう一度生まれ変わるのか。それには痛みが伴うことも承知していました。

『鷹の選択』世良さんのように私もゼロ以下からの人生を選択しました。

ある日、ブログの読者さんが書かれた記事を読んでいいると、実家が空き家状態で自分が相続人になってしまったのでとても重荷だ、というような内容でした。その方とは、特に個人的なやり取りをした事はありませんでしたが、その時なぜかピンとくるものがあり、そん方にメッセージをしてみたのです。

『その空き家は、どこですか?』

返事は、『宮崎県の日南です。』

日南!私は、少し前まで宮崎県に行ったこともなければ、日南という地名も聞いたことがなかったのです。それが、世良さんのライブに行く前のこと。世良さんの動画を見ていたら『ジャカランダ』という曲に出会いました。とても優しい、素敵な曲です。彼にラインで教えると、『世良さんがジャカランダを知ってるなんて、何でだろう?』というのです。ジャカランダという花は、南米原産で、日本にはあまりないからということです。それで、世良さんがどこでジャカランダの花を見たのか、どうやってこの曲ができたのか調べてみました。そして、日本でジャカランダを見ることができるのは数カ所。その中に日南市南郷に『ジャカランダの森』というのがあることを知りました。そのことをまた彼に伝えると、『日南か!僕、日南好きなんだよね。すっごく良いところだよ!』そんなやりとりをしていたのです。

突然私の人生に入り込んできた、日南。

夫と別れる覚悟が決まってから、パートの仕事や住む場所をネットで探していました。そんな時、ブログの読者の方の実家の空き家の管理に困っているという記事が目に留まったので、勝手にこれは偶然じゃない!と早とちりをしていただけだと思っていました。彼にも、かくかくしかじか、てっきりと思ったら日南市だったよ、日南じゃ無理だよね。と話すと、

「僕、日南市好きなんだよね!そこ行ってみたい!
住所聞いてみてくれる?」

そこで私がまたそのブロガーさんに

見に行きたいって言ってる人がいるんですけど、行ってもいいですか?
宜しかったら住所教えてください。

とメッセージを送ったのです。そして住所を聞いて、それを彼にに伝えて·····そんな感じで二人の中間でやり取りするお手伝いをしました。

彼はその家を見るなり、

「僕、この家買うよ。」

「エエエエฅ(๑*д*๑)ฅ!!」


何年も空き家状態だったその家は、庭は荒れ放題。
家もちょっと古そうでした。

彼の直感でした。一目惚れ

見たと言っても、家の外だけ。家の中は、窓の隙間から覗き見ただけ。

「Σ(*oωo艸;)エェ!?買うの!?」正直ビックリしました。

とりあえず持ち主のブロガーさんに連絡

「アノ.買いたいって言ってるんですけど·····」それからは、二人で直接連絡をとってもらいました。

直ぐに関東にお住まいのブロガーさんが、日南に来ることに。そこで初めて家の中を見せてもらうことになりました。家の中は、家財道具がそのままの状態、壁紙は剥がれ落ち、直ぐに住める状態ではありませんでした。それでも彼の決意は変わりません。

あとは値段の交渉です。ところが·····提示された価格は、
明らかに予算オーバーでした。

韓国にいる私に逐一ラインで報告してくれた彼も落ち込んでいます。諦めきれない。彼には夢がありました。古民家を自分でリフォームしてみたい。

その頃、新築マンションに住んでいた私も、箱に閉じこめられているような家に住んでも全然嬉しくありませんでした。古い家を自分の好きなようにリフォームしながら住んでみたい。そんなことを考えていました。こんなことまで似ていた二人でした。

持ち主のブロガーさんには出せる金額を提示して、これ以上はちょっと難しいので、今回は諦めるしかない。そう告げて別れたそうです。

「どうしたもんかね·····(--;)」彼は、

家を手に入れたあとのことまであれこれイメージしていました。周りを散策しながら、裏山にまで登ってみて。家の前の木には
ツリーハウスを作ろう!家の前を降りていくと川もある!近所にはモスバーガーもある!

手に入れる前から、手に入れたあとのことまでありありとイメージしている彼。それなのに買える金額ではないなんて·····諦めるしかないのか…(T^T)

ラインでああでもないこうでもないとやり取りをしてる時
突然閃きました。

「大丈夫!〇〇〇万円で売りますって言ってくれるよ!」

諦めかけていたのに、私には何故か確信がありました。そうしたらどうでしょう。そんなやり取りをしている最中に、持ち主のブロガーさんから彼にメールが来ました。

「提示された金額でお譲りします。」

「やったよ!買えるよ!」

「ほらねー、言った通りになったでしょっ!」

今思うと奇跡的な展開でした。

ビッグウェーブが来ていたのです。乗るしかありません。

私はジャカランダと古民家を見に、日南まで行くことにしました。


そして私が日南に行く前に、
家の購入の手続き&支払いは終わらせる運びとなっていたのです。

家を見て、一目惚れしたのが五月の初め。同じ月には、購入手続きまで終わらせることになるなんて、すごいスピードで何かが動き出しているのを感じました。しかも予算内で購入できることになるなんて、まさにミラクルです。何者かに後押しされている様でした。

自分の直感を信じて
即決して
直ぐに行動に移す

彼がサーフィンを通して学んだことだと言っていました。


「いい波が来たと思ったら、乗るしかない。
一瞬の迷いがいい波を逃すことになる。
もう一度来るだろうと待っていても、
それ以上の波はそうそう来るもんじゃない。」


ハートの声に従って動き出してみました。

頭で考え始めたら
怖くなるだけです。

不安になっていくだけです。五月末、私は日南市に行きました。

青い海
青い空
道路わきにはフェニックス

南国そのもの

日差しも暖かく、宮崎県日南市
こんな所に住めることになるとしたら·····
そう思ったら本当に嬉しくなりました。

そして、初めて彼の一目惚れのお家に連れて行ってもらいました。

なんと言うか、昭和の時代の懐かしさ

彼が一目惚れしたのもうなずけました。

近所を歩いて散策

どのお宅もきちんとしていて、お花が沢山咲いていました。とても静かなところです。ずっといたい、そう思わせる何かがありました。


二人で住む家が手に入ったのです。それも、
あっという間に。

問題は山積みでしたが、とにかく前進することにしました。


『彼は今まで慣れ親しんできたものと、これから欲しいとおもっているものとのどちらかを、選択しなければならなかった。

自分をしばっているのは自分だけだった。

あせってもいけないし、いらいらしてもいけなかった。

もし、衝動にかられて先を急ぐと、神様が道筋に置いてくれたサインや前兆を見落としてしまうだろう。』
アルケミストより


「世間」に怯えることはありませんでした。

親とか親戚とかもあんまり気になりませんでした。

だからと言ってお互い家庭のある身

色々なことが頭を過り、浮かれてばかりでいたわけではありません。

私も彼も真剣でした。先に進んだら後戻り出来ないことはわかっていましたから。

折り合いをつけて、妥協すれば続けることの出来る結婚生活

今更波風を立てて、危険な冒険に出ることもないんじゃないか?

ラインで交流しながら、年に数回会えればいいんじゃないか?でも二人ともそんな中途半端なことは、出来ませんでした。


心ここに在らず、うわの空

そんなままで、結婚生活を続ける方が、相手に対して失礼だと思ったのです。


「一緒になろう!」

そう言われOKしてから直後のLINEのやり取りが、保存されていました。


『「愛に生きたいって
魂は叫んでるけど、
自分の中のエゴが
邪魔してるのと、
自分の選択に確信が持てないのとで、
揺れ動いてるよ。
愛とエゴのせめぎあい…
最終的には「勇気」なのかな?
僕は勇気を出せるように頑張るよ!」


「確信って難しいよね。」

「理想を先に知ったがゆえの難しさ、いろいろ摩擦はあっても平凡に生きていこうと思えば生きていける(かもしれない)現状の家庭…
でも、そこに安住するのは間違っていると愛の法則は教えている。」

「悩むよね。何を恐れてるの?何でも希望が叶うとしたら、
どうしたいと思う?
どういう状態になりたいのかな?」


「妻や子供たちを傷つけるかもしれないことだよ
でも、それはどうにかなるとも思ってる
やってみなきゃ分からないとも思ってる
勇気がいちばん必要だと思ってる
時を待つことも必要だと思ってる
何でも希望が叶うとしたら、恵水華さんと小さな家で暮らしたい!」


「私も、夫が悲しむだろうなってそう思うとね。
〇〇さんの心が変わるんじゃないかって
いう不安もあるよ。
もしかしたら、今は、あばたもえくぼ。
恋に恋してるのかもしれないし」


「う〜ん、僕はそんな子供じゃないと思ってる」


「現実世界で暮らし始めたら、
こんなはずじゃなかった、って、思わないかな?」』




一緒になること自体を迷っていた訳ではありませんでした。

進む方向は決まっていました。あとは、いつ、どうやって?


まだ家を購入する前の話です。

このLINEのやり取りのすぐあとに、日南の物件に巡り会いました。

「恵水華さんと小さな家に住みたい!」

そう宇宙にオーダーしたら、現実になったのです。

五月の末に家を手に入れて、
三ヶ月後の八月末には一緒に住み始めることにしました。

三ヶ月

この三ヶ月間は、希望と恐怖が交互にやって来ました。


自分たちがやろうとしてることに対する確信はあったものの、
それを行動に移すには、とてもエネルギーを要しました。

様々な乗り越えなければならないものがありましたが、それを可能にしたのはやはり、「恋愛感情のパワー」があったからだと思います。

そして、助けになったのが「愛の法則」でした。


ネットで読める内容のものでしたが、彼は書籍を買い求めて、
読み込んでいました。

赤線まで引いて、真面目に勉強しています。重要なところは、※まで。

共感した箇所をシェアし合ってみると、同じところに感動してたりしました。

二人とも過去に苦い経験をしていますから、全てを鵜呑みにしたりはしません。

自分の琴線に触れたもの、自分の感性を信じて、腑に落ちた内容をゆっくりと咀嚼しました。


そしてこれからやろうとしていることは、
常識的に考えたら受け入れられる話ではないということも覚悟の上、
それでも魂の望みのために闘うことに価値があると思えましたので、
自分たちを信じることにしました。

『愛の法則』より
「愛の法則から見たカップルにおける不実」

「しかし、全世界を敵に回そうとも、闘う価値はあると言っておこう。

 愛の感情のために奮闘することは、霊的進化と幸福の基盤となるので、それに勝る動機は存在しないのである。

愛のために闘うことを決意した者は、愛する類魂に再会する時に、至福という一番大きな報酬を得て、思う存分、愛を感じ味わうことができるのだ。

人間の利己的な足かせのせいで、その試みにおいて肉体の命を失ってしまったとしても、またそのために物質界で成就できなかったとしても、今生で蒔いた種は霊界で褒美として刈り取ることができると確信すべきである。


 反対に、自分の感情を抑圧して否定して、そのための努力をせず、我慢して愛のない関係を保つことを自分に課した者は、勇気がなかったことですでに苦しんでいるが、今後の転生では、今生でペンディングとなった課題を克服しに戻らなければならない。』


八月末までの三ヶ月で乗り越えなくてはならないこと、彼は仕事を辞める決意をしていました。

日南の家から通えない距離ではなかったのですが、
家のリフォームを集中してやりたいという思いがあったんだと思います。

そして、一緒に暮らす私との擦り合わせの時間が必要だという考えもあったようです。

いくら惹かれあっている者同士であったとしても、それまで別々に暮らしていた二人が一緒に暮らすとなったら、分かり合える時間、一緒にいることに慣れる時間が必要です。なんせ数回しか会っていないんですから・・・


その事を疎かにしたまま、仕事に追われる忙しい日々を送っていたのでは、リフォームも二人の関係も中途半端になってしまう。

彼の潔い決断でした。

仕事を辞めて一年間ぐらいは私と一緒に家のリフォームや野菜作りに没頭したいと考えていたようです。
彼の直感、決断する力、行動力、そして、潔さ。ここに私は惹かれたのです。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

手放すものを潔く手放して、
本当に手に入れたいものに集中する。

賢い選択だったと思います。


ですけど現実問題はカッコイイことばかり言ってられませんでした。身一つで韓国から来る私を受け入れて、そして家族に対しても責任を持つ。やはり一番の不安は経済的なことです。
お金のこと·····
周りの人間関係のこと·····
これからの事·····

考えたら不安材料はいっぱいありました。

そこで不安に押しつぶされてしまうか、「勇気」を持って行動できるか。

ビッグウェーブに乗ったら、
あとはバランスを崩さないように楽しむだけです。

二人の生活を始めるまでの数ヶ月間のことは、正直あんまり思い出したくない記憶です。

兎にも角にも

色々な葛藤がありましたけど、二人で決めたその日に一緒に暮らし始めることになりました。

何年間も空き家だった家は、ボロボロです。壁紙は剥がれ、カビだらけ。庭は、まるでジャングルのようにツルで絡み合っています。

そんな家を修繕しながら暮らす。それが二人に相応しいように感じました。

ボロボロに傷ついた心を、二人で修繕するように・・・


第十二章  あれから五年が過ぎました。

ジャカランダの花が咲くここ日南市に移り住み、早五年が過ぎました。

ボロボロだった家も、何とか人が住めるようになりましたし、ジャングルのようだった庭も、季節ごとの花を咲かせて、目を楽しませてくれます。
一年を通して次々と順番に花が咲くのを眺めながら、元の家主さんの庭に対する愛情を感じました。



梅の花が終わると、次は真っ白い木蓮が咲き始めます。

赤と白の椿も咲き、
四月にはソメイヨシノ
五月にはツツジ
藤の花、菖蒲
水仙や
ウコンの花も綺麗です。

金木犀の花の香り

山茶花
南天
千両

一年を通してお庭を楽しめるようにちゃんと考えていたのでしょう。

まだまだ手入れが行き届かないのですが、
思いを引き継いで、お庭を愛していこうと思っています。

そして、二人の花“ジャカランダ“も仲間に加わりました。

風に揺れている紫色の小さな花びらが夏を運んで来る六月

世良さんも是非ジャカランダが満開に咲く日南市南郷の      『ジャカランダの森』に足を運んでみてください。 

ジャカランダの花の咲く季節に南郷のコンサートホールで 世良さんがアコギで『ジャカランダ』を唄っている姿をイメージしながら・・お待ちしております。

これからもお身体に気をつけて、ご自愛下さい。        

ずっと、ずっと応援しています。ありがとうございました。

                     敬具

                吉日     世良公則様

#世良公則 #日南市 #ジャカランダ

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