必要以上に好きにならなくていいし、必要以上に嫌いにならなくていい
好きなもの、あるいは好きな人を、100パーセント好きと言いきれないことがある。
少し前にこのようなブログを書きながら気づいたのだけど、私は今まで、「好きであるはずのものを全力で好きになりきれない」ことに対して漠然と罪悪感を持ってしまうということが結構多かったなと思う。
それは対象が「人」の場合も同じで「この人、いい人なんだけれどちょっと無神経なところが好きになれないなあ」とか「悪気はないんだろうけれどなんかこの人のこういうところがイヤだなあ」みたいなことを他人に対して感じるたびに「そういうふうに感じてしまう自分は心が狭い人間だなあ」という発想になりがちだったのです。
でも気づいたのです。
そういうふうに感じてしまうのは、私自身が「100パーセント、ありのままの私自身を受け入れてほしいし好きになってほしい」っていう欲求があるからなんじゃないの??それを相手にも自分にも求めちゃうから、結果的に自分自身の首を絞めてるだけなんじゃないの?
ということに。
そのように気づいて、うっわーーーー恥ずかしいーーーー!!!!!そんなん!無理に決まってんじゃん!と思うと同時に、そうだよ、100パーセントなにかを好きになるってそもそも不可能だよ..?ということにようやく思い至ることができつつあるように思います。
部分的に共感できたり、部分的に好きになったり、部分的に嫌いになったりする。それが自然なあり方だと思う。それに往々にして、あなたのこと大好き!みたいなことを言ってものすごい距離を詰めてくる人って、何かのきっかけで「あれ?この人思ってたのと違う」ってなるとものすごい勢いで離れていく傾向が強いよね…と思ったりもしますしね。
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年末なのでなにか今年を振り返る的なことを書いた方がいいのかなあと思いつつ書き始めたらこんな内容になってしまいました..
そんなわけで、2021年の目標は「不要な罪悪感は手放していく」年にしようかな!(今考えました)。みなさま良いお年をお迎えください!
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