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やりたいことがありすぎる、と思っていたけど、要するに飽きっぽいだけかもしれない

やりたいことがいろいろあるけど、なかなかできない、と今まで大体いつも思っていた。

でも本当にそうだろうか?

今までの人生を振り返って、行動パターンを見てみると以下のようなことが多いことに気付いた。

①やりたいことがあるとする(仮にこれをここではAと呼ぶ)。最初は、なにこれ楽しいーすごいー!とか言いながら時間を忘れてのめり込む。
でもそのうちその楽しさが次第に薄れて、飽きる。飽きる、って言ってしまうと語弊があるかもしれないけど、要するに停滞期に入るって言った方がいいかもしれない。飽きるのにはその時々で理由が違うけれど、自分の知識および実力不足だったりで思うように事が進まないとか、自分の状況的にうまく時間が作れないとか、複数人で行う作業の場合、他の共同作業者の人との連携がうまくいかないとか、コミュニケーションをとるのが億劫になるとかそんなのも含む。これを、ざっくり総称して「飽きる」とここでは呼んでいる。

②そこへBというものがあるよ、という情報を目にする。Bもやってみたいな、と目移りする。今度はBに興味の対象が移る。Bにのめり込む。

③Bにのめり込むうち、やがてAのことを忘れる(完全に忘れるわけではなく、そういえばAもやりたいと思ってたんだっけ・・ていうか、なんでそもそもAをやりたいと思ったんだっけ?みたいな感じになる。やりたいと思ったときの気持ちを思い出せなくなる)。にもかかわらず、Aをやりたかった気持ちは本当なのよ!嘘じゃないの!と自分自身の気持ちを騙そうとして事態をややこしくする。

だからつまり何が言いたいかというと、その瞬間瞬間での一番やりたいことは一個しかないんじゃないかということ。だから「やりたいことがいっぱいあるわけじゃないよね」と、自分の立ち位置を認識することがまず必要になってくる。
Aが思い通りに進まないのはなぜか?という理由を掘り下げたり、きりのいいところまで進めて続きはやらないことにする、とか方法を決めるために一度立ち止まることを恐れない。

そもそも「やりたい」という気持ちはどういうときに起こるか

自分が物事に興味をもつときのパターンは、その時によるけれど以下のような場合が多い。

①他の人がやってて楽しそう、自分もやってみたい
②現状抱えているつまらなさやストレスを解消してくれそうに見える
③これができたら他の人にすごいって言われるかも
④これができたら○○に役立つかも

これらの複合型もあるけれど、だいたいこのような場合が多い。①は比較的フラットな純粋な欲求、②は現実逃避型、③と④は頭で考えて別の何かを手に入れるためのある意味打算的なものだ。

現実逃避や打算的であることが必ずしも悪だと言いたいわけではない。単にこれら①~④をすべて同じ「やりたいこと」というハコに入れてしまうのは、そもそも違うのかもしれないということ。なぜやりたいのか、その辺の気持ちを自分で把握しておく必要があるし、それによって、その時による優先順位も決めやすくなるだろう。

ちなみに私の性質

私の性質として、大まかに、人に頼るのが下手・考えたり言語化するのに時間がかかる・失敗を引きずる・切り替えに時間がかかる、といったものがある。だから例えば誰かからアドバイスをもらったにもかかわらず、その頼った人との相性が悪かったり説明がよくわからなかったり自分の意向と違ったりして事態が好転しないと途端に混乱したり落胆したりしがち。

だからやりたいことがうまく進まない、停滞しているな、というときはこの辺りの自分の性質を思い出して、ああそうだ、私ってこういうとき停滞しがちなんだっけ、と自分の思考パターンを思い出すことで抜け出せそうな気がする。

ではどうするか

今一番したいのは何なのか、ということを把握することが大事だと思う。そのために、自分の気持ちを自分で整理する時間を定期的に取ることが大事だなと思う。そういう意味で、文章を書く習慣ってすごく大事ですね。あと、人と話すことも大事ですね。カウンセリングとか相談とか身構えたものではなく、近しい人と雑談をすることで、何かのヒントを得ることもあるので、リフレッシュの時間を持つことが大事かなと思っています。

あと必ずしも現実逃避的な「何かをやりたい」という気持ちや、これをやって他者に認められたい、という気持ちが悪だとは全く思わない。現実から逃避(離れる)ことによって、余白が生まれて、行き詰まりを解消するヒントになる場合もあるし、誰かから承認されることがエネルギーになる場合だってあるから。こういった力もスパイスとしてうまく使えるようになりたいな。



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