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現実に潜むピエロ

これから話すのは、ちょっと怖い話。

でも、とても大切な話。

先日、全米で大ヒットしたホラー映画『IT~それが見えたら終わり~』を見た。

見たことがある人もいるかもしれないが、話のあらすじはこうだ。

ある街では、27年に一度、町の人々が行方不明になったり、事件や事故に巻き込まれるという怪奇に見舞われる。

映画の舞台は1989年。主人公「ビリー」の弟「ジョージー」が雨の日に遊びに行ったまま失踪してしまう。

ジョージ―の失踪に納得がいかないビリーは、原因を探っていく中で、町に「ペニー・ワイズ」というピエロの姿をした恐ろしい悪魔が住んでおり、町の人たちを捕食しているという事実を突き止める。

自身もピエロに狙われながら、友人たちとともにジョージーを探し出し、ピエロと戦う決心をする。


ITの物語から見えてくること

この物語に登場するピエロ「ペニー・ワイズ」は、非常に狡猾で血も涙もない悪魔である。

子どもたちをさらうため、彼らが大好きなピエロの姿をし、言葉巧みに誘い出すのだ。

好奇心旺盛なジョージーには、なぞなぞや彼が興味を持ちそうな話題を持ち掛け、「僕は友達だよ」と言う。

いじめられている少女には、「僕もこの姿のせいでみんなに馬鹿にされるんだ」と言う。

そうやって子どもたちの警戒心を解き、子どもの方から寄ってきたところで彼らを連れ去る。

そうして連れ去られた子どもたちは、ピエロの住処である洞窟の中で、みんな魂を盗られ、意識がなくなり、肉体は宙に浮いているのだ。


ペニー・ワイズの賢いところは、無理矢理子どもたちを連れ去るのではなく、「彼らが潜在的に求めている友達」を演じるところだ。

また、ビリーや年長の子どもたちは、「お友達作戦」にはひっかからないため、彼らの恐怖心や正義感を刺激して、自分の屋敷におびき寄せる手法を取った。

こうして、ピエロは子どもたちの「望み」を見抜き、それをエサに子どもたちが自ら自分の元へやってくるように仕向けるのである。

そして、「望み(=一瞬の快楽)」を叶えてやる代わりに、魂を盗る。

これは、多くの悪魔が使う手法だ。


「IT」の物語は、壮大な例え話だとわたしは思う。

(感じ方は人それぞれなので、今回はあくまでも「”わたし”というフィルターを通して見えてきたことである」ということを前提に読んでほしい。)

確かに、わたしたちの世界では、人が突然いなくなったり、子どもがピエロにさらわれたりなんてことは早々ない。

そんなことがこの日本と言う国で、白昼堂々、頻繁に起これば、それこそ大問題だ。

しかし実際に、本質的には似たようなことが、日常の中にごく当たり前に溢れている。

わたしのブログは「スピリチュアル」がテーマなので、今回はその分野に焦点を当てて、警鐘を鳴らすことにする。


スピリチュアルの落とし穴

2023年。世は、空前のスピリチュアルブームである。

「スピリチュアル」という大きな分野で見れば、その市場は約2兆円にのぼる。

SNSの普及により、何の資格や知識も持たない者たちが、やれ占いだ、やれコーチイングだ、やれセラピストだ、とスマホ一つでカウンセラーもどきのようなことができてしまう時代だ。

わたし自身、占い師として2兆円市場の片隅で細々とやっている身であるがゆえに、それを揶揄するつもりはない。

SNSを駆使すれば、「やりたいこと」を叶えるインフラが整っており、占い師だろうが何だろうが、誰もがなりたかった自分になれるチャンスが与えられているということなのだ。

これは素晴らしいことであり、人々が「自分」を生きることの意味を真剣に考え、人生についてより濃い何かを求めているということになる。


しかし、市場が大きくなっているということは、それを単なる「金儲け」に使おうとする人もいる、という現実をわたしたちは知っておく必要がある。
(ここで言う「金儲け」とは、人を騙して金銭を搾取することと定義する。)

しかも、この「スピリチュアル」という分野の特殊な性質上、その「金儲け」の本質が見え辛いのだ。

なぜならば、スピリチュアルビジネスの多くは、「天界」「宇宙」「守護霊」「エネルギー」「愛」「自分軸」「5次元」「アセンション」など、目に見えない存在や概念を取り扱う分野であり、そのほとんどが、信じるか信じないかはクライアントに委ねられるからだ。

つまり、目に見えないからこそ、なんとでも言える世界であり、騙されている方はそのことに気付かずに、どんどん泥沼にハマっていく…という危険性を孕んでいる。

そんな性質があるがゆえに、この世界で最初は純粋な気持ちで始めたことが、器に見合わない富や名声を得てしまったがために、悪魔に魂を売り渡したか…と思うようなスピリチュアリストたちも多く見てきた。

彼らの手口は巧妙であり、あたかも彼らの発信が世界の正義であり、正解であると思わせる。

そのビジネスセンスと巧みな話術にはあっぱれと言わざるを得ないが、そんな彼らの術中にハマって、大切な人との縁が切れてしまったり、人生路頭に迷う人々を何人見てきたことか。

しかし、そんな人々に対して彼らは冷たく言うのだ。

「それは、あなたが自ら選んだことでしょう」

と。


ピエロを演じるスピリチュアリストたち

さて、話を最初に戻そう。

「IT」では、ピエロが子どもたちを言葉巧みにおびき寄せ、「友達だよ」と言いながら魂を盗り、彼らの肉体を自分の屋敷に浮かせて閉じ込めていた。

ここで察しがいい人は気付いたかもしれない。

「奪う」ことが目的のスピリチュアル「もどき」は、これと全く同じ構造なのだ。

ピエロの言葉はあらゆる方面からあなたを誘う。

選民意識を煽る言葉
「あなたは選ばれています」
「特別な才能があります」
「人と違うのは、あなたが宇宙出身の魂だからです」
恐怖心や焦燥感を煽る言葉
「〇年までに5次元にアセンションしなければ、生き残れません」
「このままでは日本は終わってしまいます」
聞こえのいい甘い言葉
「あなたには課せられた使命があります」
「あなたは目覚めているので大丈夫です」
「目覚めていない人を救うのはあなたです」
美しい存在を利用した言葉
「あなたには龍や天使がついています」
「守護霊があなたのインナーチャイルドを癒すのを手伝っています」
「あなたは神々に守られています」

スピリチュアルをやっている人ならば、いつかどこかで聞いたことがあるセリフのオンパレードだろう。

これらは、表面上はあなたにとって利益がある言葉に聞こえるかもしれない。

しかし、その言葉の先にある、彼らの最終的な目的が重要なのだ。

彼らの目的や矛先が、あなたを彼らに依存させ、考える力を奪い、彼らなしでは生きていけないように、永遠に彼らにお金を注ぎ込むようにさせるためだったら?

それらの言葉はすべて、彼らの底なしの承認欲求、名誉欲、金銭欲を満たすためだけの呪いになってしまう。

だからこそ、クライアント側も「本物」を見極める目が必要なのだ。
(「本物」の見極め方については、また別の記事で話すとしよう。)

話は戻るが、「IT」の中で、なぜ魂を奪われた子どもたちが宙に浮いていたのか?

それはきっと、魂を奪われ、支配されてしまったら、自分の足で立って歩くことができなくなるからだ。

ピエロの欲とエゴのために搾取されているとも気付かず、それを「愛」だと信じて疑わず、誤ったスピリチュアルに両足を突っ込んだ人々がどうなるか…。

その末路は容易に想像できるだろう。

だからこそ、何事も盲信せず、常に自分を冷静に俯瞰して見ておくことが大切なのだ。

そこで、もう一度、自分を振り返ってみよう。

・誰かの情報だけを鵜呑みにしていないか?
・それらの情報が取れなくなったと想像したときに、恐怖するか?
・「アセンションできない」などの情報によって、不意に不安になったり焦りを感じたりすることはないか?
・スピリチュアルな能力について異常な執着がないか?(霊能力がほしいとか、特別な何かを開花させたい…など)
・スピリチュアルな存在について異常な執着がないか?(守護霊が誰なのか知りたい、天使の言葉を聞きたい…など)
・あなたのスピリチュアル観によって、家族などの近しい人たちと疎遠になってないか?
・「目覚め」や「アセンション」をしなければならないと焦燥感に苛まれていないか?
・「あの人は悟っている」「あの人は次元が低い」などの差別意識を持っていないか?
・物事がうまくいかないことや、周囲の人と揉めることを「自分は人とは違うから」と納得させていないか?
・「愛」「感謝」などの言葉を利用して、現実的な問題から逃げていないか?


これらに多く当てはまる人は、軽い「洗脳」状態にあると言っていい。

言い換えれば、地に足が着いておらず、魂を半分抜かれ、相手に主導権を渡している状態だ。

ピエロに魂を奪われた子どもたちのように。


しかし、これらに当てはまるからと言って、不安になる必要はない。

なぜなら、あなたは今、この文章を読んでいるからだ。
(ここにきて、一番胡散臭いことを言ってしまうことを許してほしい。)


この文章に辿り着いたあなたは、きっとそんな自分に気付いている。

違和感を感じていることに気付いていながら、それでも信じたいものがあったのだろう。

これまで積み上げてきたもの、信じてきたものに疑いを持つこと、そこから抜け出すことは、誰だって難しい。

これまでの自分を、時間を、価値観を、否定するような気持ちにもなるだろう。

しかし、実際はそうではない。

あなたはただ「経験」したのだ。

自分に嘘をつくことの苦しさを。

それによって大切な人を失うことの切なさを。

信念に疑いを持つことの強さを。

あなたは辿り着いてしまった。

魂が解放を望んでいるのだ。

もう嘘は付けないんじゃないか?

この文章を読んでいるということは、あなたはもうその段階に来ている。


奪われるのをやめなさい。

誰かに憧れて自分を否定するのをやめなさい。

誰かの考えにすがるのをやめなさい。

誰かを救わなきゃと思うことをやめなさい。

そして、大切な人に愛を語りなさい。

愛を語りたいと思う大切な人を増やしなさい。

それだけでいい。

それが、本当の愛の道であり、本当のスピリチュアルな生き方だ。


ピエロたちが恐れているもの

ピエロなスピリチュアリストたちは気付き始めてる。

人々が、自分の道化に気付いて、近い将来に自分の基盤が幻の砂の城のように消えていってしまうことに。

彼らが最も恐れるのは、あなた方が「本当の意味で」自分の足で立って歩くこと、彼らを必要としなくなること。

スピリチュアリストを語りながら、彼らは仮面を取って、素顔を見られることを恐れている。

「本当の自分」「恐怖に支配された孤独な自分」を知られることを誰よりも恐れている。

悪魔によってもたらされた偽物の豊かさの代償を払うことを恐れている。

そこに、彼らの言う「自分軸」などというものはなく、「人からどう見られているか?」「悪く言われていないか?」「世間の評価はどうか?」「冨や名声に繋がるか?」そればかりを考えている。


ここまで悪口垂れておいてなんだが、わたしは、彼らを責めはしないし、批判もしない。

彼らは彼らの正義と信念に基づいて行動しているのだ。

それが今世での彼らの学びでもある。
(死んだあとにどんな報いがあるかは想像もしたくないが。)

それは、どんな活動であろうとも、この”地球”では尊重されるべきである。

そういう掟なのだ。


しかし、残念なことに、悪魔と言うのは往々にして非常に魅力的だ。

その罠にかかってしまう人が後を絶たない。

そして、全てが上手くいかずに困り果て、泥沼な心理状況を抱えてわたしのところに相談にくることもしばしばだ。

結局、光のように装っていても、中身が闇ならば、そこに心酔した人も闇に覆われてしまう。

脅すわけではないが、そこにとどまっていては、あなたが本来持っているはずの美しい才能は、花開くことなく終わるだろう。

才能なんてものは、探すものじゃない。

そこにあるものだからだ。

ずっと自分が持っていたもの、それが才能だ。

スピリチュアルな能力とやらに憧れて、本当の才能を潰してしまうことが、果たして本当にこの世のためになるのか?


もう一度、その眠そうな目を見開いて、しっかりと考えるのだ。


何もしなくても

これまで、スピリチュアルだ才能だとほざいてきたが、実は、これを読んでいるあなたは、「何もしなくても」地球のアセンションとやらに多大なる貢献をしていることに気付いているだろうか?

3次元から5次元にアセンションしなくては…と焦っていた君。

あなたは、楽しみにしていた旅行で、自分が新幹線の中にすでにいながら、「新幹線はどこ?見えないよ!」と泣いている子どものようだ。

人はしばしば、そのようにして自分が実際にいる場所が分からなくなる。

ましてや、
「アセンションしなければ死にます」
とでも言われた暁には、すでにアセンションしているのに、「できていない」と思い込む。


こんなに残念なことがあるだろうか?


そもそも、我々が何もしなくても、あと数年もすれば地球は勝手にアセンションするのだ。

これは、決定事項なので、今後揺らぐことはない。

だから焦らなくていい。あなたが好きなように生きていればそれで問題ない。

極端な話、あなたが一日中寝ていたって、地球はアセンションするのだ。

置いていかれるなんてこともない。あなたの人生なのに、誰があなたを置いていくものか。

だから、安心して、あなたが本当に「こうしたい」と思う道をいけばいい。

それがスピリチュアルな仕事でなくてもいいじゃないか。あなたが「楽しい」と思うことが一番なのだ。


わたしは、人並み外れた霊視力や直感力を持っていながら、いわゆる社会人として普通に、好きなことで給料をもらいながら暮らしている人々をたくさん知っている。

彼らは、目の前の人が不安になるようなことは言わず、夢を語り、他者を励まし、出会った人に勇気を与える。

正直、「スピリチュアル」のスの字すら口にしない彼らの方が、似非スピリチュアリストよりも、よっぽど世の中と人々と地球のアセンションに貢献しているように思う。

わたし自身、これから「占い師」という職業を離れたとしても、彼らのような生き方をしてきたいと強く思っている。


おわりに

驚くなかれ、前章までの文字数はなんと5,761字に及んだ。

なんと壮大な悪口だろうか。

いや、決して悪口のつもりで書いているのではない。

わたしは常々、「ちょっと危険なスピリチュアル」が世間で力を持つことに危機感を覚えていた。

そして、実際ににっちもさっちも行かなくなって、駆け込んでくる人々を目の前で見ていた。

だから黙って見ていられなくなったのだ。

それを黙って
「それも彼らの学びだから」
と冷酷に突き放すことが、果たして愛だろうか?


しかし、少し前までは、声を上げてもかき消されていたのだ。

だが、今は違う。確実に風向きが変わった。

これを読んでくれているあなたを始め、「それはおかしい!」と思う人が増え、また至る所で発信し始めた。

それこそがまさにアセンションってやつなんじゃないかと思ったりもする。


気を付けてほしいのは、最初にも述べた通り、わたしがここに書いていることですら、「わたし」という肉体・価値観を通して発信している意見に過ぎないということ。

決して鵜呑みにしてはいけないし、反対の意見があるのも当然だと思っている。

だから、あなた自身の考えを大切にしてほしい。



例えで出すのも烏滸がましいが、かつてお釈迦様は仰った。

「わたしの教えに常に疑問を持ちなさい。そして、納得するまで問答しなさい。」

と。



それが自分を大切にすることであると同時に、誰からも支配されない本当の自由が手に入る、唯一の道だと思う。

ここまで読んでくれて、本当にありがとう。


最期に、わたしから一つ、あなたに魔法をかけよう。

『あなたの人生は、これから素晴らしいものになっていく。

悩みや苦しみでさえも、全てあなたの魅力を引き出す手助けをしてくれるだろう。

あなたは、自分を心から信じることができる。

大切な人たちとともに、最期の時がやってくるまで、人々に貢献し、愛し愛される人生を送るだろう。』

これからのあなたの歩みに最高の祝福を。

ありがとう。

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