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才能が無くなりました

みなさん、こんにちは(*^O^*)お疲れさまです。

久しぶりに、書いてみたいと思います。

が、私には今、大変なことが起こっていて、ロクな文章にも、ロクな中身にもならないであろうことを、どうかお許しください。

最初に申しますが、実は私は、この年末に、夫の一言がきっかけで、才能が無くなってしまいました。

食事中に小説をいじっていたところ、夫に、「創作というのは決まった時間にきっちりやるものだ」とお説教されたのです。

その瞬間、私の頭の中からすべてが消えてしまいました。

物を書き始めた中学時代から、その日まで、四六時中何かをイメージして夢想しているのが当たり前だった私ですが、それがまったく出来なくなってしまいました。

はじめのうちは、夢想しようとすると、あーダメ! と自分でブレーキを踏んで浮かぼうとしていたものものをババっと蹴散らす感じだったのですが、それを繰り返していると、もう意志とは無関係に、夢想の種が膨らもうとするたびに勝手に風船が割れるようにパンと破裂するようになり、次第に浮かぶものが小さく細々となっていき、やがて何も本当に何一つ浮かばなくなって、完全に頭の中が真っ白になってしまいました。

夫は、そんな私に、油絵を描かせようとしました。今まで描いてきたキャンバスには、天才ベートーヴェンが描かれていました。
夫は「もっと影を濃く付けて、もっと良くしてごらん」と言いました。
それで書き加えていくと、、
天才ベートーヴェンではなく、そこら辺のオッチャンになってしまいました。
このときのショックは大きく、私はその場に崩れ落ちてしまいました。

何もできなくなった。料理もできなくなるかな? と思ったのですが、これは習慣づけられているので、絵とは違っていました。今までの「癖」で、出来るのです。計量スプーンを使わなくても、目分量でセンス良く味付けができる。それは今まで毎日炊事をやってきたからです。

それから、SNSもなんとか投稿できました。短い文章ですし、今までエク廃スレ廃のひどかった私ですから、今までの「癖」で書けるのです。センスは幾分落ちていると思われますが、フォロワーさんがたはどうお感じなのでしょうか。興味があります。

そして、カラオケはどうでしょうか。オンボロアパートに住んでいるので今はロクに歌えませんが、昔は周りの誰もが私は歌手になるんだろうと思っていたくらいに、自分で言うものでもないですが、わりと歌がうまかったんです。
歌も小説も似たようなもんでしょう? 歌も、歌詞の中の登場人物、あるいはそれを歌いこなすプロ歌手に、なりきって歌うことが大事です。小説も物語の主人公や登場人物になりきって浸りこんでイメージを広げていくことが大事でしょう。妄想することが出来てこそ、経験していない内容をも、非常にリアルに血肉を付けることが出来るのです。それが迫真の表現を産むのです。

その妄想ができない。だから、きっと歌も歌えないでしょう。若い頃に訓練はしましたが、それも病気や結婚で途絶え、もはや「癖」は無くなっています。
1月25日は私の誕生日なので、夫に無理を言って、カラオケボックスに連れて行ってもらおうと思っています。楽しむと言うより、鍛錬したいと思います。

今の私のように、何もかも無くなった時に助けになるのは、努力、練習、訓練、鍛錬、そこまでいかなくとも、習慣でもいい、そうして培われた「癖」なのだ、ということを、生まれて初めて痛烈に感じています。
「癖」は認知症になっても遺ります。もしかしたら何よりも強いものなのかもしれません。今の私は間違いなく「癖」に生かされているのですから。
悪いことをしてばかりの人には、悪いことが遺るし、善行が癖付いてる人には善いことが遺るでしょう。今からでも遅くないなら、私は善行の癖が付けたいものです。

さて、創作ができなくなって悲しみましたが、新しい人生と考えればいいのでは、と幾日も経ってみると考えられるようになり、現状、とりあえずリア充を満喫しています。

どうしても創作がしたいならば、絵のように、芸術性の高いものは無理でも、小説やカラオケなどなら、下手でもとにかくいじくり回していれば、なんかが出来るんじゃないか? という感じもしています。詩作などはとても無理ですけれども。短歌や俳句も難しいでしょうか。

それでもダメで創作に戻れなかった場合のことも、そろそろ楽観的に考えられるようになってきてます。

今の状態をよくよく考えてみると、頭が空っぽというのは、座禅中に似ているな、とふと思い当たりました。雑念というものがまったく無い状態ですから、禅宗的には良いことかもしれません。うちは実家も嫁ぎ先も曹洞宗ですから、ちょうど良いかなと。

無残な状態になった油絵も、「太郎ちゃん」とあだ名を付けて、かわいがるようになりました。
才能は無くなってしまったけど、今の時代、面白いことは他にたくさんあるし、プロではないのだから、飯の食い上げということにもさほどならないし、暢気なもんだな、と自分で自分を笑っています。

2024年は、元旦に地震があったりして(富山です)、どんな年になるのだろうかとおののきましたが、才能無い空っぽの自分との付き合いで始まり、そしてどう終わるのか?
一時的なものじゃないか、と良くしてくださる周りの方々には励まされていますが、実際にはどうなるのでしょう。

なるようにしかならない、という歌が去年のレコード大賞を獲りましたが、ホントにそうですよね。なるようになるでしょう。

文章がいささか心配ではありますが、この辺りにしておこうと思います。
読んでくださったみなさん、ありがとうございます(^^)/☆


藍崎万里子

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