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父親の言うことは正しい?

転職活動で方向性が定まらず悩み中。

大人になった今でも親の何気ない言葉に胸が締め付けられ、息苦しくなることがある。
関係性が悪いとか親が嫌いとかそういうことはない。愛情を受けていることは感じるが私の欲しい言葉をもらえず親の価値観を擦り付けられているような感覚。

〜幼少期〜
家は自営業で知らない人がよく家にきていた。だらしなくしていると親に怒られ、いい子でいるとご近所さんに褒められ自然と「いい子でいること」を大事に守ってきた。

父はお客さんの前では優しく、家族には厳しい人だった。人のためにお母さんが怒られていた所を何度もみていた。わたしには姉が2人いるが長女はよく父と喧嘩していてその様子が怖すぎて逆らう気にもならなかった。「いい子でいること」は自己防衛につながっていたのだ。

「いい子」でいることはあまり苦ではなかった。自分がちょっと我慢すれば喧嘩にならないし、褒められるから。でもほんとは苦じゃないと自分に言い聞かせていたのかもしれない。ちょっとずつ積もった我慢・自制がどんどん自分の中で膨らんできて発散する場所がわからなくなって自分を低く見積もるようになった。

「いい子にしていないと自分は価値がない」
「こんなことで怒られて…自分はダメな人間だ」

人格形成には幼少期の出来事が大きく影響しますがその通り「いい子でいなきゃ」の呪いがバチバチに自分のウィークポイントになっています。


〜現在〜
そんな自分を変えるために親元を離れ、一人暮らしをし親との距離を保つことで関係性を維持できていますが半年に一回くらいやってくる父からの何気ない一言のボデイーブロー。泣

なにが嫌かって父はいつも人として良い存在であることにこだわるのです。父自身悪い人でもなければ良い人でもありません。

人として正しくあるべきという価値観の押し付けが自分の不甲斐なさを際立たせます。

転職で悩んでいた私は「そんなことがあったのか、大変だったな」と共感してくれるだけでいいのに「その考え方は相手のことを想えていない」と正論。

そんな時はいつも悲しくなって無性に涙が出てきます。「やっぱりわかってもらえなかった。」「怒られてもないのにこんなことで涙がでるなんて弱いなぁ」次から次へ幼少期の思い出が良くないものばかり浮かんできます。

父に求めているのはアドバイスではなくどんな自分でも認めてくれるんだという安心感だと感じました。

いまだにありのままの自分の存在を認めてもらえないと感じてしまうからです。そうなると親になにか相談しようと言う気にもならず、当たり障りない会話で終わらせてしまいたくなります。

でも最終的にはありのままの自分を認めてほしいと思うからこそ、自分の意思決定を大事にし、「ほら、大丈夫だったでしょ!」と言えるよう行動していきたい。

父親が安心感のある声かけを習得する未来は希望的観測でしかないので自分の殻を破る方が得策だなと。笑


父親だから、姉妹だからと無理に納得してもらわなくていいんだと思います。そして自分の意見を家族に強要することも出来ません。

「自分は自分」
大人になった今だからこそ経済的にも自立し、出来ることが増えました。行動の責任も自分です。貴方を縛るものはなにもありません。

ゆっくりでも自分の意見を主張できるよう心を育てていきたい。そのためにまず自分の行動を変えていきます。自分の意思で。後悔のない人生にするために。

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