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愚痴を言う人が不幸者だという認識は大間違い

「勉強するメリットって何ですか?勉強したって幸せになれるとは限りませんよね」

少し前に生徒さんからこんなことを言われました。勉強したら幸せになれるのか。彼の言い分はこうでしょう。

勉強した人たちが幸せそうに見えない。
だから、勉強しても幸せになれない。
つまり、自分が勉強しても幸せになれない。

ということだと思うんです。

これは確かにそうなのですが、一面的だな、とも思います。

勉強して大企業に入社して社畜になるのって幸せなの?ってことなのだと思うのですが、それはその人それぞれだからわかりません。

そういういわゆる成功のエスカレーターに乗っている人が何か愚痴ることがあります。「今の会社は労働時間も多いし」「結構ブラックだよね〜」みたいに。

とはいえ、「だから彼らは不幸なんだろう」「自分は大手に入るのはやめよう」と結論づけてしまうのは早計だと思います。

愚痴を言う目的は一つではありません。

愚痴を言う目的は「今の自分の境遇への不満を口に出す」ことだけではありません。

ある意味で愚痴って「防衛策」なんですよね。

「いい大学を出ていい会社に入っていい給料をもらって俺は幸せ」というのがその人の本音だとして、これを誰彼構わず言えるでしょうか?

言えません。嫉妬されるか、集られるか。

メリットがないんです。

だから、例え幸せだとしても「俺は幸せだな〜」なんて言えません。もし相手が高卒で中小零細企業に勤めているとしたら余計に言えません。相手によってはマウンティングだと思われて恨まれる危険性があるから。

つまり幸せの表明はリスクなんです。

高校生の頃、テストが返却されると友人は「やば〜い!今回もひどかった〜!」と言って点数を教えてくれませんでした。

私がたまたまヤマを当てて100点を取ったとき、友人は「私も100点なの」とこっそり教えてくれました。その友人は奨学金をもらうくらいに成績優秀者であることを、それまで隠していたのです。たしかに成績優秀者で奨学金をもらえるという事実は隠しておいた方が安全でしょうね。

友人は、私が「ライバル」という立ち位置に立ってからは、勉強の話をしてくれるようになりました。

私が未婚のとき、友人たちは夫の愚痴をよく言っていました。家事をしないとか、仕事人間で遅くまで帰ってこないとか。若かりし頃の私はそれをそのまま真に受けて「じゃあなんで結婚したんだろう」と思ったりしました。

ですが、私が結婚してから彼女たちは、今の夫といて幸せだ、的なことをたまに言うようになりました。

何が言いたいかっていうと、人は基本的に自分の幸せを語りません。幸せの表明はリスクが大きいから。

ですが、「同じステージにいる人間」には、幸せの表明をすることがある。同じステージの人間なら嫌味に聞こえてしまうリスクが低いし、共感してもらえる可能性もある。

「大企業入っても大変なんだよ〜」
「いい大学入ったけど勉強キツくて〜」

その言葉だけを真に受けると真実を見失ってしまいます。彼らが幸せなのかどうかは同じステージに立つか、絶対に文句を言ったり恨んだりしないという安心できる関係を築くまでは、話してもらえません。もちろん、そうでなく「自分幸せなの〜!」と平気で表明できる人もいますが、レアだと思います。

だから、頑張っても幸せになれないという認知は、物事の一面しか見れていないだけだと思います。

子どもたちがこういう愚痴を聞いたら「そうか、幸せじゃないのか」と思うのも無理はないでしょう。子どもたちに「愚痴の目的が一つではないこと」を理解させるのは難しいと思います。

私たち大人はもっと子どもたちに幸せの表明をしないといけないかもしれません。

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