「あなたのため」は自分のため 教育者が陥りやすい依存の罠
ある教育者が、月に相当稼いでいると自慢していたので、どうやっているのか聞いたことがあります。
その人の答えは、こうでした。
「自分がいないとダメな状態を作って、長期前払い契約を結ぶ」と。
自分がいないと、何もできない状態。言い方が悪いですが、依存させるということですね。
依存は善か悪か
商売のゴールを「お金儲け」に設定するのなら、それもある意味正解かもしれませんね。
しかし、教育のゴールとして考えるなら、これは果たして正解でしょうか?
教育のゴールは、相手を自立させることです。
ここに異論がある人は少ないでしょう。
しかし、多くの人が、わかっていながら、それを実践できていない現状があるのです。
教育の目的には、短・中期的には、試験などの大切な局面で生徒さんがひとりでも実力を発揮できること。
長期的には、生徒さんが社会で輝けるようにすること。
指導者は、いつまでも生徒さんと共にいるわけにはいきません。
代わりに試験を受けてあげることもできなければ、代わりに人生を歩んであげることも当然できない。
その目的において、生徒を依存させるというビジネスのやり方、指導方法には、疑問を抱かずにはいられないのです。
依存が起きるメカニズム
なぜ依存が起こるのか。原因は指導者の「無価値感」にあります。
「自分は何のいいところもない」「必要とされていない」という感情を心の奥に持っているとき。自分を頼ってくる誰かがやってくる、無価値感が癒されます。
必要としている人がいると、自分が無価値な人間ではないことが証明されて、安心するのです。
教育者は特に、この罠にはまりやすい。
もし、教師として教壇に立ったとき、誰も自分の話を聞いていなかったら、どう思いますか。
不安になりますよね。
殺伐とした教室の中。誰も自分の話を聞いていないのではないかと不安になる。
指導力不足の教師だとレッテルを貼られるのが怖い。生徒から下に見られていることがプライドが許さない。心の中は不安でいっぱい。
そんな中、見渡したら、自分の目を見て話を聞く生徒が一人いた。
その時あなたは、どう思いますか。
救われるような気持ちになりませんか。
教育者の心が満たされていないとき、無価値感を感じているとき、自分を頼ってくる生徒がいたら。その生徒に対して特別な感情を抱いてしまうのも無理はないでしょう。
このように、依存の背景にあるのは、無価値感や自信のなさです。
生徒を依存させてビジネスをしている人は、ビジネスのためというよりも、自分の無価値感を癒すためにやっているのでは?と私は思うのです。
無力感を生徒に向ける教育者
かつて私の近くにも、そういう人がいました。
私に毎日のように連絡しては、あれはどうなった、これはどうなったと確認してきたのです。
最初は熱心な教育者かと思っていましたが、正直、四六時中の連絡は迷惑でした。私にも指導がありますし。
聞けば、その人には家族がおらず、仕事の虫のような生活をしていたそうです。
私は気づきました。この人は、自分の無価値感を仕事に、私に向けていると。
気がついて離れましたが、すでに相手は依存気味でしたから、大変なエネルギーを要したのです。
なぜ、そんな心理がわかるのかというと、何を隠そう、私もそうだったからです。
「先生がいないと…」という言葉に困りながらも、心のどこかで癒されている自分がいたのでした。
必要とされている実感が、嬉しかったのでした。人間というのは、無力ですね。
依存的な人の見分け方
しかし、自分自身もこの罠にはまったことがある人間だからこそ、言えることがあるのです。
気をつけなければならないのですが、依存欲のある指導者というのは、無自覚でやっていることがほとんどだということです。
口は上手で、綺麗事を言うのも得意です。
「あなたのために」と言ってくる人は要注意。
あなたのためという美しい言葉をタテに、自分の欲求をぶつけてきます。私はあなたのことをこんなに考えているし、こんなにあなたのために頑張っているのだ。だから、良いなりになれと無言の圧力を送ってきます。
そう、無言。相手は無自覚でやっている可能性が高いのです。
タチが悪いです。
教育の難しさ
教育というのは本当に難しい。
そういった、ある種の歪みのような感情や、自分の弱さと向き合わなくてはならない。
そして、つねに戦わないといけないのです。
依存しているうちは、自分目線でしかないのです。
口では「あなたのため」と綺麗事を言いますが、自分の無価値感や自信のなさを指導を通じて癒しているだけなのです。
彼らを、真の教育者と呼べるのでしょうか。
指導力だけでなく、心も絶えず鍛えていく必要があるのです。
人を指導する立場にある人は、依存させたい欲求、支配欲が出すぎていないか、セルフチェックしてください。
指導者を選ぶ立場の人は、相手の自尊心が本物なのか偽物なのかを見極めましょう。
私にも、まだまだ、学ぶことが多いようです。
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