人生に必要な昼寝
土曜日から今朝まで、神社へ転職のお礼参りをするのと、祖父母に顔を見せに関西に行った✈️
土日は京都で大学の友人と会い、日曜の夜から神戸の祖父母の家で母と合流。
京都では、久しぶりの人々と会えていい時間だった。
🐟🐟🐟
月曜は朝から叔母が明石の「うおのたな」に連れて行ってくれて、商店街でタコの天ぷらを食べ歩きしたり、夕食の刺身や焼き魚を買ったりして、最後に明石焼きとアイスを食べた。
私はこの叔母に小さい頃から懐いていて、幼稚園教諭で手先が器用な叔母は祖父母の家でよくリースづくりなどの工作を一緒にしてくれた。
叔母の結婚が決まった時、保育園児だった私は「もう遊んでもらえなくなる!」と危機感を抱いて「けっこんはんたい!」と強く主張したのを覚えている。自分のことしか考えてなくてかわいいね。
🐟🐟🐟
叔母と解散して、Instagramでずっと気になっていた雑貨屋さんに行くことに。
雑居ビルの一室にある店内はアジアンファンシーでツボすぎる!心の中の女児が小躍りした。
妖精みたいにかわいいオーナーさんにお会計をしてもらいながら購入したものについて少しおしゃべり。
こういうとき「旅先で出会った店員さんとかといい感じに盛り上がりたい」という憧れはあるものの、そういうことは別に得意ではないので無理しなくていいや、と腑に落ちている。
「Instagramでずっと見てたんです〜」とか「どうやって仕入れてるんですか?」とか聞けばいいのかもしれないけど、まあ別にいいのだ、店員さんと仲良くなれなくても。
🐟🐟🐟
いつめんのMちゃんは、どんな場所でも、たとえ国外でも息を吸うように人とのつながりをつくれる人。本当にいつも瞬く間に人との距離を縮めているので感心する。こういうコミュニケーションの天才を近くで見ていて、少し前までは見習わねば、と思っていたけど、最近は「こういうのは得意不得意だからな」と思えている。
今回は京都でMちゃんと合流して、日曜日は2人で街ブラしてたのだけど、彼女はふらっと立ち寄ったお寺の住職さんと1時間くらい話し込んでいた。
何を話してたの?と聞くと、お寺のビジネスから死生観とか悟りについての話にまで及んでいたらしく、話しているうちに泣いてしまったのだそう。
さすが一瞬にして自分を開示し、相手も開示させる天才だ。
その間、私は何をしていたかというとお寺のだだっ広い畳に寝転がって微睡んでいた。
帰り道、「住職との出会いは今Mちゃんに必要だったんだねぇ〜、必要としてる時に必要なものが来るもんだ」みたいなことを言ったら、
「じゃあればさしには今お昼寝タイムが必要だったんだね〜」と言われた。
そうそう、庭の緑をぼんやり見ながらうとうとする時間が私には今一番必要だった。
🐟🐟🐟
話は戻って、祖父母宅に帰った後にも、この世で一番気持ちいい昼寝をした。
エアコンも暖房も必要ない晴れた6月の午後、平日。清潔な布団に寝転んでいると眠気が襲ってきて、持っていたスマホが滑り落ちる。
頭には、①夕食までにスーパーで(私が飲むための)ビールを買ってきて、②ヤングコーンを焼いて、という母に頼まれた2つの用事が思い浮かんで「あ〜、やらなきゃ」と思いつつ眠気には勝てない。
「寝ないと」と思うほど寝れなくなるのと反対で、「寝ちゃだめだ」と思うとより眠くなる。
いい塩梅の軽さの"寝ちゃだめ"な用事が睡眠導入のスパイスになって、1時間半それはもう気持ちがいい昼寝をした。こういう快眠パッケージを販売したいくらいだ。
起きたらヤングコーンは母が焼いてくれていた。
イオンにビールを買いに行った🍺
🐟🐟🐟
火曜日の朝、家に帰る私を祖父母と母が見送ってくれた。
祖父が手を振りながら、「いいことがいっぱいありますように」と言ってくれた。
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