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添乗員になった理由

旅行関係の仕事に興味を持ったのは、
祖母の影響が大きいです。
旅行が好きで月に1回は国内温泉旅行に行き、いろいろ話をしてくれてました。
本棚には日本の美しい風景の写真本が並び、
弟とよく見ていたものです。

それともう1つ「兼高かおる世界の旅」
毎週日曜日に楽しみで見ていました。

バスガイドや旅行会社で働いたりはしたけど…
28歳になる直前に彼氏と別れたタイミング
「やっぱり添乗員として働きたい」
と思いたち添乗員派遣会社に登録。
国内添乗員を数年やれば気がすむだろう。
30過ぎたら転職と考えてました。
なので資格は国内旅程管理主任者しか取リませんでした。

それから1年もたたずに、海外デビューしないかとの声がかかります。
当時、海外添乗員の数が不足していたのです。
ちょっと悩んでから、やってから考えようと怖いもの知らずの私は海外研修に行き、一般旅程管理主任者を取り、海外添乗員になってしまいました。
「チャンスかもしれないからやってみる」
って軽いノリで始めちゃいました。

いきおいでなってしまった海外添乗員
最初は本当大変でした。
行く国のほとんどは初めて。
VISA不要国が急に増え、
ツアーの行き先が様変わりした時代。
その国のツアー1本目なんて時もありました。

数年で気が済んだら辞めるどころか……
各国事情の勉強 → 添乗の繰り返し
瞬く間に時間が過ぎていきました。
 …光陰矢の如し…

インターネットもなかったあの頃…とにかく必死でした。
でもツアー担当者やお客様はその頃の方があたたかかった気がします。

少し考える時間が出来たのが、9.11そしてサーズと続き仕事が激減した時。

だけど、もうその頃はどっぷり添乗の世界に入っていました。
辞めて何が出来るの?という考えから変化することが出来ませんでした。

そんなこんなで気が付けば20年
あっという間の出来事。

私に海外を勧めた上司は後になってから、
「国内を数年で辞めようと思ってたでしょ」
と私に言ってきました。
見透かされていたんですね。

20年も続けられたのは
文句言いながらも添乗が好きだったから。
「もしも」はないけど、数年で辞めていたら、どんな人生だったのだろうって思う時も…。

後悔はしていません。
20年分苦しんで楽しんで良い経験でした。

ツライこともいっぱいあったけど、
生まれ変わってもまたやっちゃうかも!
この前、添乗仲間とそんな話をしてました。

「人生にムダな時間はない」
70歳まで働くとしたら、
残りあと20年の仕事時間。
どんなことがあるのだろう。
どんなふうになっていくのだろう。
ワクワクしますね♪
その年齢なりにいろいろ吸収して楽しんでいけたら最高!

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