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漣、という字のこと。

この字をみて、昨年急逝した大杉漣を思い浮かべる人は少なくないだろう。今回はこの字のもう一つの読み方について、ここに覚え書きとして残したいと思う。

まずは簡単な字解をしておこう。この字は見てのとおり「水(さんずい)が連なる」と書く。訓読みにすれば「さざなみ」。何ともわかりやすい字である。

「さざなみ」の意味については解説するまでもないが、「小さな波」「細かに立つ波」を意味する。漢字一文字で「漣」と書くほかに「小波」「細波」の表記もある。こうやって見ると、「さざなみ」とは単純なつくりの単語であるのがおわかりだろう。

ところで、「君が代」の歌詞に「さざれ石の巌となりて」とある。この「さざれ(漢字にすると「細」)」こそ「さざなみ」の「さざ」の元の言葉であり、「さざなみ」は本来「さざれなみ」であったそうだ。

「さざれ」も元は濁らず「さされ」と読んだらしい。因みに「笹」もこの「さされ(細)」が由来だというが、これ以上掘り下げるとテーマから逸れてしまうので、語源についてはここまでにしておく。

さて、その小さな波の集まり「漣」を使った熟語がある。これもまた単純に「漣」を連ねただけだが、「漣漣」と書いて「れんれん」と読む。

これは、涙がとめどなく流れるさまを意味する。実は、この「漣」という字には、「水が連なる」の意から派生して「涙が連なって流れるさま」という意味もあるのだ。

また、感情がかき乱されることを「心に漣が立つ」とも言う。この類語には「心乱れる」「ざわつく」「気持ちが揺れる」など多々あるが、これらに共通する意味は、「乱れる」と「揺れる」であろう。不意の出来事や悲しみに遭遇し、心の落ち着かないさまを、水面が揺れ乱れて漣となるさまにたとえているのだ。

私はこの言葉について考えたとき、ある詩の言葉を思い出した。

(前略)
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ
(後略)

茨木のり子「みずうみ」の一節である。

もし、心の底にそんな湖があるのだとしたら、涙がとめどなく溢れるとき、その水面にはたくさんの漣が立つのではないか。

「田沢湖のように深く青い湖を/かくし持って」いて、簡単に揺らぐことのない、静かな心の持ち主も、悲しみに囚われればきっと心に多くの漣を立てて涙を流すだろう。

私にはそんなイメージが浮かんできた。

このほか、和歌では「さざなみの」が「滋賀」「大津」など近江国の地名にかかる枕詞となるほか、波が寄ることに因んで「寄る」「夜」へと続く枕詞としても用いられるそうだ。

以上が「漣」にまつわる小ネタだが、最後に蛇足としてもう一つ。

「漣」は「さんずい」に「連なる」と書くが、正式には「連」のしんにょうの点は2つある。

同様にしんにょうの点が2つとなる漢字は多数あるが、「漣」のこの点に関して言えば、零れてしまった涙のひとしずくに見立てれば、きっともう二度と間違えることはないだろう。

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