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4-06「Dragons」

7人の読書好きによる、連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回はRen Homma「竜の鳴き声」でした。

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【前回までの杣道】

4-05 「竜の鳴き声」Ren Homma

4-04「龍の回想」葉思堯

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 廊下でマーティンに呼び止められた。授業手伝いの最中の彼は、私の肘をさすりながら、顔色の悪いナヤナを差し出す。彼女は騒々しい教室のなかで気分を悪くしたようだった。教室の子供たちは、英語で習う動物の鳴き声を力いっぱい複唱している。野獣のように。
 空き部屋に連れていく。どうしたの?頭痛い?お腹は?悲しそうにふてくされるナヤナは問いかけに答えない。薄暗く涼しい部屋のなか、匂い袋を嗅ぎ、冷たい水を舐める。それを交互に、ゆっくり繰り返す。
 休んだら戻れそう?と聞いても黙ったままだが、帰る?と聞くと首を横に振る。強く振る。午後の映画会を逃したくないのだろう。私はゴザの上、ナヤナの隣に手をついて座る。すだれの向こうの室外機が、竜の唸り声のような音をたてる。私はマーティンとのことを思い返していた。蛇の死体に触れるような、こわごわとした手つきで指を伸ばすまだ若い彼の欲望を。具合の悪い子供の隣で不埒な回想に耽っているなあ、と思うとおかしい。教室から「Hospital! Hospital!」張り上げる声の合唱が届く。先生は大声で次の単語を発音する。「Post Office!」
 開け放してある扉の向こうから、知らない顔がのぞいた。清潔な身なりの、痩せたガイジンで、薄い髪もきれいに整えられている。万人に開けられている場所とはいえ、実際にそのなかでまったく見知らぬ人と出会うなんてはじめてのことだった。
「この子供は、なんですか」部屋に入ってきた男は、ためらいのない声を発する。一語一語区切るような話し方。私は返事をする。
「この子はここの子です。気分が悪いので、休んでいます」
 男は頷くけれど、答えに満足しているようには見えない。ナヤナは深く息を吸う。ちょっと間をおいて、男は別の質問をぶつけてきた。
「ここの司祭は、どうしましたか」そうくると思った。私は堂々と答える。
「町の人は噂好きです。間違ったことは、決してありませんでした」
「間違い?」子供たちのはしゃぐ声がもう届いてこなくなっている。教科が変わったらしい。
「町の人が噂をしているということはわかっています。私たちに間違いがあったというような噂を」
 男は目を泳がせる。追及をやめた素振りを演じるが、手綱はしっかり握ったままなのだ。やり口はわかっている。ナヤナの小さい手が私の指を握る。戦わなければ平穏な生活を過ごせないのは、どこかおかしい。男はまた、別の質問を切り出す。
「あなたには、子供がいますか」
 なんてことを聞くんだろう。冷静でいるつもりだったが、「はい」と答える声の調子は荒く震えてしまう。

「具合どう?」言いながらマーティンがやってくる。彼の登場に、ちょっと腹が立った。遅いじゃないの、というような。
 マーティンは男に対し、うれしい偶然に出くわした顔をして、私は裏切られたような気になる。思い違いをしていたのかもしれない。男は、私たちを探りにきた人物ではないのかもしれない。マーティンは、さっきよりやわらかくなったナヤナの表情を見るとすぐ教室に戻った。男はまた質問をする。
「この子は、なにを嗅いでいますか」
「この匂い袋には、丁子、竜脳、白檀*が混ざっています。気持ちが落ち着く匂いです。仏教徒がよく使うもので、価値のあるものです」答える声に弁解の調子が混ざる。
「ほかのものを嗅いでいるのではありませんか」男は暗く笑う。今度は私から質問する。
「あなたにはお子さんは?」
「いいえ」男は白人らしく肩をすくめる。「欲しかったのですが」
「失礼な質問でしたか」
「いいえ。子供がいないので、でたらめを楽しむことができます。人生にはさまざまな出来事がありますね」寄越すウインクが薄ら寒い。
 私は、衝動的に、マーティンとのことをしゃべってしまいたくなっていた。そばにナヤナが、小さな子がいるから、思いとどまれた。
 ところが彼女は、残った水を一息に飲み干すと、急に立ちあがって、なにも言わず教室へ駆けていく。「走らないで」背中に呼びかける。
 私は少し考えてから、
「今日は月に一度の映画の日です。昼食のあと、子供たちみんなでアメリカ映画をみます」自分の手を見つめながら説明した。
「ディズニー映画ですか」
「今日は『ジュラシックパーク』です」
「あれは怖いでしょう」少し笑ったあと、男は咳払いをして、やはり唐突に、別の話をはじめた。「亡くなった司祭には、夫人が残されていますよね」
 私は思わず、手放しかけていた警戒心を握り直した。どういうつもりでいきなりそんなことを確認するのか。
「ええ、善良な人ですよ」私は短く応えた。
 室外機の唸りの奥に、チョークが黒板を叩きつける音が混ざっていた。
 男は打ち明けた。
「私は、彼女の前の夫です。私は彼女を、亡くなった司祭に奪われました。昔のことです」
 数か月前、司祭の死の直前に、司祭夫人は、司祭の日記を発見した。いすずのダッシュボードにそっけなく置かれていたその日記は、彼女の知らない言語で書かれていた。彼女は匂い袋の中身を溶かし、料理に加えた。司祭は苦しんだ。彼女は司祭に牛乳を渡した。司祭は亡くなった。
 この男はそのことを知らないはずだ。

「もちろん、私がここにきていることには関係ありません」男は気持ちよさそうに続ける。
「昔のことは昔のことです。そっとしておきたくても、そうさせてくれないものもありますがね」
 私は溜息をついた。思わず言葉がこぼれた。
「私たちも、町の人に穿鑿されるのにうんざりすることがあります」
 私の声を隅々まで確かめるように、男はじっくりと頷いた。そして諫めるように言葉を繋ぐ。「しかし、探られることに慣れている人にとっては、なにかを完璧に隠し通せたら、それはそれで退屈かもしれませんね」
 私があっけにとられているのを見て、男は笑い声をあげた。
「思い当たることでもあるのですか。私はただ、一般的な話をしました。そんな顔をされるとは」しっかりと笑う。私はすっかり無責任な気分になる。一緒に笑ってしまう。
「あなたは誰なんですか」ついにそう尋ねた。
「I'm just a bad විදේශිකයා」男は答える。彼は、英語講師の代行で一日だけ駆り出された、隣の教区の部員でしかなかった。

 昼食のあと、マーティンと上映準備をした。あの人のこと、町の人間なのかと思って私、失礼な態度をとってしまったかも。彼は大笑いした。暗い部屋のなか、プロジェクターの真っ白い光を浴びると、壁には輪郭のはっきりした影が落ちる。体を寄せあう二人も影絵になる。彼は私の舌に、それまで舐めていた飴を乗せた。

 映画が流れる。勝手に甦らされた恐竜たちが人間を襲っていく。襲え、噛みつけ、食べてしまえ。私は恐竜の味方をしながら眺める。微笑みさえ浮かべながら。


*
丁子(チョウジ)
・・・チョウジノキの蕾。香辛料、生薬としても利用される。鎮静・鎮痙・抗炎症作用があり、殺菌力と防腐性にすぐれている。

竜脳(リュウノウ)
・・・竜脳樹の精油を結晶化したもの。鎮静作用があるが、飲み込んだ場合には有毒で、脂溶性であるため脂肪分を含むものとの併飲は禁忌である。

白檀(ビャクダン)
・・・ビャクダン科の半寄生性の常緑小高木。爽やかな甘い芳香が特徴で、熱を加えなくても香りを発する。古くから香木として利用されている。

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次週は5/16(日)更新予定。担当者は屋上屋稔です。お楽しみに!

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