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見て見ぬふりのツケ

私はなぜか大学が卒業できなくてめっちゃ焦るという夢をちょくちょく見る。


その夢の時期は大学四年生の秋頃。友だちと話しているとふと何かを忘れていることを思い出して焦る。
「あっ、卒論全く書けてない」
「どうしよう、完全に手遅れだ!」
思考は停止し、額からは冷汗を流し絶望感に襲われる。


となると目を覚ます。ああ夢だったかと安心する。

この夢は30代後半から見るようになり、アラフォーの今頻度が多くなっている。

実際の大学時代は全く問題無く卒論も完成して難なく卒業している。なんなら最後の方は友達の卒論を手伝っていたくらいだった。

この夢を見た朝は考えてしまう。なぜ自分はこういう夢を見るのか。なんで頭は自分にこんな夢を見せるのだろう。

自分の勝手な解釈は、身体が老化の方向に入ったことを必死に訴えているのではないか、というのが今のところ。

30代後半に入り、分かりやすく身体に変化が現れ始めた。

傷の治りは遅くなり、白髪も増え、疲れやすくなった。メンタルの方も感情を抑えるのが難しくなった。それでついイライラすることも増えた。こういったメンタルのイライラは身体や頭脳の反応が鈍くなったからだと思っている。

それなのに、食べ物は相変わらずハンバーガーやポテトチップ、コーラと言った身体に負担の大きいものを相変わらず好み、つい食べてしまう。

自分が思っている身体の具合の認識と実際の身体の老化具合にズレがあり、自分自身で齟齬を起こしているようなものだと思う。

なるほど、この夢は自分の脳が私に必死に「あなたの体は衰えていますよ!限りあるものなんですよ、大事に使ってくださいね」と訴えているのだ、と受け止める。

この解釈に至ったのは、2ちゃんねる創設者のひろゆきさんが紹介する「壺の話」に出会ったのも大きい。

この話の教訓は壺の中に詰めるものには順番があること。大きな石を1番先に入れなければ、後に入れる事は出来ない、と解く。

もしかしたら自分はとっくに「石」を入れるべき時期を過ぎているのに、まだ「石」を手に入れようとしているのでは?という深層心理もあるかも知れない。

半分あきらめて生きる。
内田樹の研究室 |  2014-05-14 mercredi

人生、半分取れれば良しとする。まだ表の自分が受け入れたくないことを忘れないよう、ここに記してリマインダーとしたい。見て見ぬふりをせずにちゃんと前を向いて進めるように。

以上、中年の私の些細な悩みごとでした。

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