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むだい4

今でも誰にも見せない長文メモを認めては放置して、という生活を繰り返しているのに、何故noteは三日坊主で辞めてしまったのかを顧みた
非公開にしていた当時のnoteも再度公開したりなどした
そういえばnoteを始めてすぐ辞めたあの時期って、元恋人との同棲を解消して引っ越したりバタバタしてたなあ

料理をするのが好き
作っている時はリラックスできるし、音楽やラジオを垂れ流しながら調理しているとあっという間に時間が経つ
チラシを見て今日はあのスーパーでこれが安いなと考えながら買い物をするのも日常の密かな楽しみだったりする
冷蔵庫内の食材を見て今日はこれ明日はあれと献立を考えるのも左程苦ではない
使い切った時の達成感の方が大きいまである
身内や同居人達に料理を振る舞うといつも美味しいと言って食してくれている
自分自身手料理には程々の自信があり、程々の味の保証をしているし、趣味と言える程度には何でも失敗せずに作れていると自負している
自炊に対する自己評価はそこそこに高く、それなのに自分の作った料理はどうにも味がしない
「美味しくできた」と感じ取ることはできる
それが最初の一口や二口で終わってしまい、後は食べ切るまでの作業と化してしまう
友人とそんな話になり、ふと調べてみたら
「自己肯定感が低いとそういった現象が起こることがある」らしい
なんとも悲しい人生だ

元恋人と同棲をしていた頃、かなり張り切って料理をしていた気がする
元恋人は過去に結婚生活をされていて、その頃の元配偶者は料理が苦手だからと、お惣菜や魚のお刺身を買ってよく食べていたと聞いていた
比べて自身の家庭は悲しい程にお金がなく、その上両親共に調理師免許を持っていたので、外食をするなら作った方が安いと言われてある程度大きくなるまでスーパーの惣菜すら買わないような家庭環境だった
おかげで高校を卒業するまで外食に対するハードルがかなり高く、ファミレスやファストフード店でもうれしかったなあ
そんなのはまた別の話なので割愛
自身の作った料理で誰かが喜んでくれて、その上でお金を無駄に使わないなんて最高の贅沢だとすら思っていた
ありがたいことに手料理を振る舞うと「美味しいよ」という言葉はくれていた
それをモチベーションに頑張っていた
毎日大人2人分の量を作っていた筈なのに、おかずを少しだけ残されることが増えた
残った物は翌日食べるとして、でもそれだけでは足りないから新たにおかずを作って出す
そうするとまた残り物が増える の無限ループ
それならば作る量を減らせばいいと思われるだろうけど、中途半端な野菜の端材を更に別のメニューで調理するというのはかなり難しく面倒だったし、食材を思い通りに使い切れなかった時に自炊のモチベーションが下がってしまうという自炊に対する躁鬱みたいなものがあった
そうして冷蔵庫の片隅に追いやられた日々の残り物達は元恋人の手を介して取り出して温められることはなく、新しいおかずを作っては自身で残飯処理(もしくは自身の手で処分)をするような生活が続く
限界だった 誰の為何の為に料理をしているのか
毎日美味しいと投げかけられた言葉は本当に本心だったのか
その後数ヶ月程は殆ど自炊をしないという生活に移行
一緒に家にいる時間も減り、コミュニケーションを取ることもなく、程なくして同棲が解消された

苦しかった話、無限に書けるなあ
こんなメンタルだったらそりゃあ自分の料理の味なんてしないですね
いつかはいただきますからご馳走様に至るまで美味しいと思えるような精神状態になりたい

今日は同居人に「おでんを作ってほしい」とリクエストしたら快く振る舞ってくれた
他人のご飯は味がして美味しくて、うれしさで胸が苦しくなった
定期的に誰かの作ったご飯が食べたいな

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