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【幻のホテル】 江戸ホテル

今日11月20日はホテルの日だそうですね。帝国ホテルが開業したことを記念して、という説を聞いたことがありますが、帝国ホテルの開業記念日は11月3日。それがどうして20日になったのか😅

そんな日に帝国ホテルの記事というのも釈然としなくて、逡巡した結果、日本のホテル史に残る貴重なホテルについて書いてみようと思います📝

江戸ホテル/築地ホテル館(1868年開業)

歌川広重 (3代目) - mfa.org, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76622718

江戸時代に竣工したホテル!(開業は明治元年)建てたのは、清水屋(現在の清水建設)創業二代目の宮大工棟梁

欧米からの強い要望で外国人専用の本格的なホテルを建てなくてはいけなくなったにも関わらず、倒幕間近の幕府は財政難。土地だけ提供するから、あとは自前でホテルを建て、オペレーションやマネジメントまでよろしく、との無茶振りを引き受けてのこと。

宮大工としての経験は豊富でも、資金調達なんて専門外。アメリカで資本経済を学んできたばかりの勘定奉行が、今でいう株式会社の形で民間に資金を募ればいいのではと提案し、なんとか金策をするのですが・・

出資金は、1口 100両。何口でも購入できて、利益が出れば年間配当は、1口につき100両!え!👀 配当利回り100%⁈  破綻が目に浮かぶけど、株式会社制度の知識が浅く経験もなかった当時は、それで何とかなると思ったのか・・

この時代、アメリカのホテルはすでにタップを捻ればお湯が出るし、シャワーだってあるし、トイレも水栓式だし、エレベーターなるものまである。おまけに単なる宿泊のための施設というだけでなく、社交の場としての機能も担っているという。

それに比べて、両とか勘定奉行とか幕府とか・・。最末期とはいえ、なんてったって江戸時代ですから。

そんな時代だから、外国人が利用するホテルを見たことがあるのは遣米使節でアメリカを訪問したことのある、ごくごく一部の役人だけ。そんな右も左も分からない中、資材や資金を調達して、人力で建てられたんだとか。感服✨

事業に賛同して出資してくれる有志も少なく、最後は明治新政府に借金をしてまで完成させたというのに、ホテルは2年足らずで廃業😢

結局、最後は借金返済ができずに政府が接収して帝国海軍の施設に転用することに。客室は学寮になるはずだったのが、接収後に起きた銀座大火でホテルは全焼。日本初の日本人がてがけた本格的なホテルだったのに、今となっては数少ない写真と錦絵でしか見ることができない幻のホテルに😢

お客さんこそ期待したほど入らなかったものの、建物の評判は上々だったし、外国人料理長の手による料理も本格的で、外国人からケータリングを依頼されるほどの人気だったんだとか。そしてこの料理長こそ、のちに”日本フランス料理界の父”と言われるようになるルイ・べギューさん✨

築地ホテルの閉館後は、横浜に開業した外国賓客むけホテルで初代料理長に就任するんですが・・。この時べギューさんの下で働いていたのが、のちに帝国ホテルの初代料理長となられる吉川兼吉さんなんだそう。

ホテルって建築にしてもお料理にしても、繋がっていることがたくさんで、その繋がりに思いを馳せるのもホテルの楽しみのひとつ✨


・トップの写真クレジット:ジョン・レディー・ブラック - 日本の美術 No.446 29ページ(オリジナルはThe Far East掲載の写真), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=115204375
・参考文献:永宮和,「築地ホテル館」物語,原書房,2021

新たな視点がもてたり、世界が広がったり、楽しい気持ちになりますように・・✨