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言葉に意味を乗せないこと、そしてその効能について

1

背広の皺を綺麗に伸ばしている。離婚した妻と結婚する前に大阪梅田で買った、1万円ほどのスチームアイロンで皺を綺麗に伸ばしている。
なぜ背広がくたびれていたら困るのか、それは私には分かりかねるが、私の勘では、背広がくたびれているとビジネスパーソンとしての信頼が得られないからだろうと推測している。
ただこれはあくまで私個人の推測であって、もしかしたら世間的には間違っているかもしれないし、合っているかもしれない。まあとにかく私は今、スチームアイロンで、私が仕事で困ることのないよう、スーツの皺を伸ばしている。
ではなぜ私が仕事で困ったらまずいのだろう。
これも私には分かりかねるが、結婚していた当時なら「妻がおり、家庭があるからだ」と、なんとなく答えただろう。なんとなく。これで人に納得してもらえるだろうと思い、回答していただろう。実際は特に何も思っていないのだが、人に納得してもらえることに正解は潜んでいるので、「私が仕事で困ったらまずい理由」として他人が思わず頷いてしまうような、そういう素晴らしい回答をしていたと思う。
でも今は私は一人なので、仕事に困って何がまずいのか、あまりよく分からない。
なんと答えたら他の人にわかってもらえるだろうか。

だから私は機械である。私は、もう機械である。相手が期待している答えを綺麗に打ち返す、マシーンである。私の意見はみんなの正解である。本当のことなど、もう何も思っていない。本当に思っていることが、もう自分でも分からない。
ただ、人から間違いを指摘されたり、共感されないことが怖く、そして恥なのである。だから私は、人の反応に怯えながら、答えを返すのである。

2

妻に家を出ていかれてから、随分経つ。10年は経つだろうか。分からない。でも、妻が置いて行った冷蔵庫が最近壊れたので、もしかしたら10年ではきかないかもしれない。
最後、冷蔵庫は変な音を立てながら、しばらくしていきなり壊れた。音をたてて動いている間、冷蔵庫はいろんなものをダメにさせた。音を立てていても、私は、まあいけるだろうとのんびり冷蔵庫を見ていた。年季の入った冷蔵庫が奏でる奇妙な音も、どこか音楽として楽しんでさえいた。でも、そしたら、いきなり使えなくなった。悲しくはなかったけれど、妻と結婚したばかりの頃、二人で大阪梅田に生活用品を買い揃えに行った時の様子を思い出した。
妻は優しかった。妻はどう考えても私のことを大切にしてくれていた。妻は私が好きだった。私はそんな妻を落ち込ませたくなかった。だから私は、やはりいつものように正解を探し、そしてそれを示した。大袈裟なくらい、私は示した。落胆だけはさせたくなかった。

その壊れた冷蔵庫を引き取ってもらう時、私はお金を支払った。壊れた冷蔵庫でも、分解して、その部品単位で見ればお金になるものもたくさんあるはずで、そんな部品の宝庫である冷蔵庫をわざわざあげるにも関わらず、引き取り業者は私にお金を支払わせた。

壊れたものを引き取ってもらうにはお金がかかる。

それにしても、なぜ妻が家を出ていったのか、私には分からない。不思議だなと思う。
喧嘩もしなかった。言い合いもしなかった。なんとなく暮らしていたら、知らぬ間に帰ってこなくなった。
いなくなる前日に妻と何をしていたのか、あまり思い出せないが、何もなかったと思う。なぜだろう。なぜ妻は家を出て行ったのだろう。なぜだろう以上の思いが特にないのも、どうしてだろう。私は、何を思うのが正しいのだろう。
誰もいない部屋では、その正しさを問う相手もいないわけだが。

時計の針の音だけがするリビングで、窓の外に映るビル群を見ていた。夕方の7時も過ぎているというのに、夏の夜の始まりは遅かった。どこか寂しく、何かしたかったが、何もすることがなかった。
早く時が経って欲しかった。早く寝る時間になって欲しかった。私にはすることがなかった。
何もすることがないということがさらに私を寂しくさせ、私はもう、機械だった。誰かがいて初めて、その人にとっての正解が生まれ、だからこそ私はその人にとって正しい意見を言い、その人にとって正しい何かをする。そういうマシーンだった。私は、本当の奴隷だった。
誰かに見張られ、縛られないと、何もすることのない、ただの奴隷だった。誰かの反応に怯えることで、私は私としての機能を果たしていたのだ。
もう私に正解を期待する者などいなかった。私は一人だったし、ただの40を過ぎた奴隷だった。

3

チャイムが鳴った。私には知り合いももういない。誰のなんの用事だろうと思い玄関の扉を開けると、そこには引き取り業者がいた。前にも見たことがある、あの引き取り業者がやってきた。
「いくらでしょうね。」
彼は笑いながら、唐突に私にこう告げた。私は笑われるようなこともしておらず、引き取りを依頼した覚えもない。なんのことだかわからなかった。

「三千円になります。」

業者は私が三千円であることを示した。私にもよく話が分からなかったのだが、つまり私は三千円であって、本当に三千円らしかった。
そしてそれは私が会社からもらう額より遥かに安い額だった。月収どころか、時間給よりも安い。
私は優秀ははずだった。ある程度有名な大学を卒業して、大手上場企業に入社し、コツコツと頑張ってきた。何も間違っていないはずだった。常に正しい選択をしてきた。誰が見ても羨む、常に正しい生き方だった。
だから私は探していた。私につけられた額に対しての正しい反応を、ずっと探していた。
私は優秀なはずだった。優秀な、選ばれた機械なので、やれば、必ず、できるはずだった。

引き取り業者は私を持ち上げた。
彼に持ち上げられている時に見えた私の部屋の景色は、ただのゴミの集積だった。そこに何の愛着もなかった。思うべき感情など何もなく、こう思いなさいと指図する者もやはり誰もいなかった。
私は何も抵抗せず、何も言わなかった。私は機械だった。正解がわからなかった。

あなたは引き取り業者にお金を支払う。
「壊れたものを引き取ってもらうにはお金がかかる。」

4

【日報】
今日、回収作業を終えた。みんなが恐怖している。
みんな同じ言葉を掲げ、同じように祈りを捧げている。
みんな不安を解きほぐすよう、何度も何度も、同じ言葉を互いに差し出し合っている。
共感される言葉を口にすることには快楽がある。だからみんな同じ言葉をずっと使っている。いつも、どこかで、以前誰かが言った言葉をずっと誰かが口にしている。だからいい言葉は循環している。そしてまた、快楽も循環している。
思っていないことを口にする。微塵も思っていないが、良いことを口にしてみる。それは癖になる。そして、いつしか共感されないものは消されていく。みんなから受け入れられるものだけが、確実に、強く、存在するようになる。そこに曖昧さはない。本物のマイノリティは存在しない。少数の多数派が存在しているだけで。
知らぬ間に我々は、共感されないことを恥だと思わされている。共感される言葉が言いたくて仕方がない。共感されないことを発信することに怯えてもいる。

だから、正解から外れるのが怖いなら、意図的に外しなさい。無駄でどうしようもない間違いだけが、我々を救ってくれる。

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