昔から僕は他力本願な人間だったらしい
今、9割他力1割自力プロジェクトをやっている。
1割の地力は組み合わせて新しい市場を作るだけ。残りはすべて他力に任せる。ビジネスなら集客、クレーム担当、セールス、マーケティング、リサーチ……
昨日、二つの記事を書いた。実験した。結果は自分の予想通りだった。僕があなたに提供する商品は「未来から現在までの流れ」とはっきりわかった。
なぜ過去→現在までのまとめはワクワクしないのか、よーくわかった。
さて本題。今日の昼、姉と甥っ子が遊びに来た。
姉貴たちと一緒にご飯を食べた。
姉と母が話をしていた。
姉と甥っ子が帰った後、母は僕に言った。
「姉ちゃん、昔話していたわ。
あんた(僕)はいじめられなかったのは、私(姉)のせいなんだよっていった。
あんたは昔からぼーっとした人間で、姉ちゃんはもちろん、
姉ちゃんの友達もあんたを見守っていた。
覚えてないかもしれないけど、あんたは3歳の時に素っ裸で海に行こうとして、●●ちゃん(いとこ)が見つけなければ、今頃死んでいたんだよ。
あんたは昔もそして今もこれからも迷惑をかけている。
でもあんたの生き方は他力本願で、周りに恵まれているんだ。
だからあんたはお世話になった人たちに感謝する生き方を、
何か返せるものがあったら恩を返す生き方を送りなさい」
幼い頃の記憶はあまり覚えていない。
僕は昔、いじめを受けていたけど、今となってはほとんど思い出せなくなった。思い出せるのは僕を傷つけた相手の名前だけだ。
どういう顔だったかも思い出せなくなった。
記憶力がなくなっているのかもしれないし、無理やり引っ張り出す必要もない。
僕は一時期、借金が膨らみホームレス生活も味わった。
それでも周りの力によって助けられた。
僕は生きているというより生かされていると実感している。
それでいて何もできない自分が申し訳なく思う日々だった。
何か恩を返すとしても、僕は何も浮かばない。
ただできることは「ありがとう」と頭を下げるだけ。
僕にできることがあったら、僕はやるだけ。
僕が今こうして自分の内面から生じた気付きを言葉にしているのも、いろんなピンチをすくってくれた「見えない存在」に感謝しているからかもしれん。
心にいる「彼らにとって楽しいこと」を行う。もちろん犯罪をのぞいて。
昔の僕は何でもかんでも自力にこだわりすぎていた。
「全部自分でやらなくちゃいけないんだ。他人に迷惑をかけちゃいけないんだ」
思って生きてたけど、気が付いたら他人に迷惑かけまくりな日々で、
迷惑をかける自分にいつも苛立っていた。申し訳ないとも思っていた。
しかし色々本を読み体験していくうちに考え方が変わる。
「迷惑はかけて当たり前だ。俺も迷惑をかけるし、同時にかけられる。
俺は他人に利用されるし、同時に他人もきちんと利用する。
他力本願を主体に生きていいや。自力でできることを減らしていこう。
もっと他力に任せて生きてみよう、いや、他力で生きる」
今企画している事柄は昔の僕の生き方を思い出す内容にもなっている。
追記:10年前の知人と会って改めて自覚した他力本願
さっきまで10年ぶりに知人と会った。若い頃、仕事でお世話になった片田。色々話をしていると、僕は相手の話をほとんど聞いて、時にこたえるだけ。僕は聞いているだけで癒されるという。
相手と話をしていると、僕はやっぱり他力本願で生きていたんだな。何もかも自力でやんなくていいんだなあ。僕は相手の話を聞いている。そして相手にとって僕と出会うこと、僕に話を聞いてもらうことで、すでにおいしい対価を得ている。僕からは何かしらあふれているのかもしれない。
そして一つ浮かんだ。
僕があなたにあれこれ語るよりは、あなたが僕に語るかのような文章を書いたほうがいいのかもしれない。僕としては自分からいろいろ語りたいんだけど、それは球兄するということで、普段はあなたが僕に伝えたい内容を記事として書いたほうが、なんか面白い企画が浮かんだ気がする。
「あなたが僕に伝えたいこと、記事で代弁します」みたいな感じ。この大便でキャッシュポイントが一つできそうだ。
うまく言えないけど、僕は企画を通して考え方を変え、
同時に姉そして姉の友達やいとこから多大な世話を受けていた、
あの頃の自分に戻ろうとしているのかもしれない。
9割他力1割自力、企画についてはこちら。
人はここに惹かれるんだなと実感できたきっかけがこちら。
読んでくれてありがとう。僕があなたにできるのは「ありがとう」ただこれだけ。
後こちらも読んでいただくと、僕は感謝する日々=他力本願の根本を送っていると気づかされる。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます