母親の話から気づいた「金運は一種類とは限らないのでは?」
連投。どうしても語りたいことがあったからだ。
さっき母が金の管理をしていた。そこで僕とお金の話になった。
すると母は面白いことを述べた。
僕の父親はお金が入ってくる人だという。人生メチャクチャ困ったことはいろいろあったけど、それで父親に手を伸ばしてくれた人はたくさんいて、仕事に困ることはなく、お金にも困ることは全くなかった。
しかし父親は人に騙されやすい傾向があり、長年騙され続けてお金を吸い取られる生き方を送っていた。
一方母親もお金に困る生活を送っていなかったという。しかしくいっぱぐれがないかと言ったら違う。収入がストップして困ったときはあったけど、家計をやりくりし、ぎりぎりのところでなんとか困らず住んでいた。母親は父親と違って、不当な要求には正面から戦う力があった。
父親と結婚した後、母親は父親から金を吸い上げる連中と戦い、見事勝利を収めた。知り合いの霊能者に見てもらったとき、僕の父親が母親と結婚していなければ、今頃保険金か何かで最後は殺害されていただろうと述べていた。
父親はとても甘い人だ。うちの子供を含む孫の要求をあれこれ聞いて、孫から舐められる一方、子への教育上から父親にダメ出しを行ったとき、孫は父親(じいちゃん)をかばう。
じいちゃんはほいほい孫の要求を聞く、そして姉が叱る。すると孫は言う。「ママ(僕の姉)が悪い」、その次は「ばあちゃん(僕の母)が悪い」、笑いが絶えないし、僕らは言う。「じいちゃん、孫にかばってもらえてよかったね」
こういう姿勢があるから、父親は金を巻き上げられた。そして巻き上げる連中と僕の母が戦った。僕の母は「それはそれ、これはこれ」であり、今の僕を創るうえでも大切な人であり、僕の分析の一端は母親の分析癖にあると思っている。
母は僕に言う。
「お前はおかしい、なんでお前が私の元に生まれたのかわからない」
しかし僕が母を観察すると、ツイッターといったSNSをやっていないにもかかわらず、道新やテレビの報道に対して、かなり懐疑的な見方をしており
「メディアの言うことが必ずしも善とは限らない。むしろおかしい。普通に考えてありえないしおかしい」
僕が子供のころからはっきり別の見方を持っていた。
なので、僕から見ると「この母にしてこの僕あり」だ。
父親は「お金と仕事について、次から次へと引く手あまた」だけど、優しすぎて物事を複雑に考える力が弱いので、第三者から騙され、金をよく巻き上げられる人だった。
母親は一時期収入に困っていた時があったけど、何とか家計をやりくりしつつ、毅然とした態度をとって「敵と戦う」覚悟を持っており、お金の管理をきちんと行っている人だった。
母が語る父の傾向を述べたとき、僕は行った。
「もしかして金運って一種類じゃないのかも」
父親の金運は「蛇口」としての金運だ。
蛇口とはお金の出る口であり、お金が入ってくる状態を示す。
母親の金運は「バケツ」を示す。蛇口ではない。
蛇口からいくら水がこぼれても、すくってあげる役割、ため込む役割がないと意味がない。父親は蛇口としての金運がよかったけど、バケツとしての金運はほぼない(穴が開いてひどい)状態だった。
そこでしっかりした穴の母とくっついたわけだ。蛇口からこぼれる水をしっかりため込み、いざという時に使うバケツとしての金運。
僕の両親はなかなかいいバランスなんだなと気づかされた。
じゃあ僕の金運は何だろう……僕も母に似てるので、バケツとしての金運かもしれない。いや、あるいは金運を逃すホースの役割かもしれない。
金運が流れるといっても悪いことじゃない。前にツイッターで2000万円稼ぎ1500万円を即日ホストに三井だ女の子がいた。彼女は限界いっぱいまでため込み、パーッと使った。人の使い道なのでどーでもいいけど、ホースの役割は「欲するところに水を提供し、潤いを与える」という意味で、これも一種の金運だと思っている。
金運は一種類だと思っていたが、もしかすると金運も場合分けができるのではないか。そして場合分けに沿って「足りないもの」を「余っている」人とくっつけば、困ったことは起きないんじゃないか?
場合分けができたからといって、どうコマを進めればいいかと言ったら、現時点でわからない部分もあるけど、少なくとも「自分の金運、どの金運が強く、どの金運が弱いか」を知れば、自分にはない金運を理解したうえで、持っている人に声をかければ……というより本能が働いて声をかけるだろうと思っている。
まあ、こんな話を書いて何が知りたかったのか、僕の潜在意識から何を引きずり出し、顕在意識の僕に気づかせたかったのか。僕はよくわからない。
ただ金運は一種類じゃない。
僕は気づかされた。金運をひとくくりにするのでなく、
蛇口としての金運は優れているが、バケツとしての金運は弱いと分かれば、仕事や趣味において「自分として最大限発揮できること」がわかるのではないだろうか。
どーだろう。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます