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君のこと

2005年12月3日土曜日
君は、旅立った。

たったひとりで
部屋の中で
病に命を奪われた。

亡くなったと推定される時間の4時間前には
いつものように間の抜けたメールをくれたのに
何も言わず
たったひとりで世界から消えてしまった。

本当は
その翌日の日曜日に会いたいと誘われていた。
でも、行きたいライブがあったので
また今度、にした。
ライブに行かず、家を訪れていれば
蘇生できたかもしれないし
第一発見者になっていたかもしれない。
もしかしたら、ギリギリのところで救えて
一緒に年を重ねられていたかもしれない。

もしも、タイムマシンがあるなら
2005年12月3日の午前3時50分頃に戻って
今度は来ないんだよ!!と
メールを返す自分の肩を
ガクガクと揺さぶって伝えたい。
2005年12月2日に戻れるなら
土日はふたりでゆっくり過ごそうと
提案するように、滾滾と言い聞かせたい。

たらればを言ったらキリがない。
今度とお化けは出たことがない。

今度はなくても、お化けでもいいから出てこい。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も
今も、想っている。

仕事の都合で、何日も泊まり込みになったり
個人携帯が持ち込めない現場もあったので
メールの返事がないことを
さほど不思議には思わなかった。
君がいなくなるなんて考えもしなかった。

携帯電話の履歴を見たご家族は
親密な関係にあることは、直ぐにわかったけれど
どう伝えたらよいのかわからなかったらしい。
携帯電話には呼び名で登録がされていたので
手帳に残されていた連絡先と
結びつけることもできなかった。
それよりも
ご家族自身が、事実を受け止めきれず
突然の不幸に対峙することで精一杯だった。

君は、無断欠勤などしたことがなかったので
職場の方が不審に思い、ご実家に連絡し
大阪から来たご家族と、職場の方と同席して
息絶えた姿で見つけられたのが12月6日。
解剖などを終えて、大阪のご実家に戻り
ひっそりと葬儀が行われたのが12月9日。

12月9日から二日間、自分は大阪にいた。
御堂筋線のホームで地下鉄を待ちながら
「なんか近くにいそうな気がする、なんでだろ」
と、メールを送っていた。
君の身体が荼毘に付されているなんて
微塵にも思いもしなかったけれど
確かに、電車で二駅ほどの距離の
ごく近くにいた。

さすがに
メールの返信がこなさすぎて心配になった。
誘いを断ったことを、実は怒っていたのか
それとも、何か気に触ることを言ってしまったか
ほかに好きなひとができたのか
そんな心配ばかりをして
別れたいと言われたらどうしようと
なかなか電話をかけることができなかった。
でも、このまま年を越すのも…と
勇気を出して電話をかけた。
電波の届かないところにおられるか──の
ガイダンスの音声が流れた。
電源が入ってないということは
やはり仕事だ、とすこしだけ安堵した。
本当に電波の届かないところにいっているなんて
まったく思いもしなかった。

年が明けてから
もう一度、勇気を出して電話をかけた。
呼び出し音が鳴り、知らない女性が出た。
驚いて切りそうになったが
少し畏まって尋ねたら、君のお姉さんだった。
そして、君がもういないことを聞いた。
職場の休憩中だということが意識から飛ぶほど
その場で、膝から崩れて泣いた。
その後、仕事に戻ったが
このあたりから記憶がすっぽりと抜けている。

スケジュールを見返すと
この日から三ヶ月以上
アホほど仕事を詰め込んでいた。
何かをしていないと
精神が保てなかったんだろう。
張り付けたような抑揚のない笑顔で
闇雲に仕事を熟し
帰宅をしたら猫に食餌を与え
ラムネのように睡眠薬を齧り
喉を鳴らしている猫を抱いて、無になって眠る。
一ヶ月もしないうちに体重が10kg近く落ち
周りには随分と心配をかけてしまった。

偶然という言葉で簡単に片付けたくないが
運命というには、大袈裟すぎるかもしれない。
お姉さんと電話で話した数日後に
滅多にない出張で、横浜にみえると言う。
ほぼ、同時くらいに
『会えませんか?』と発していた。

お姉さんの存在は聞いていたが
お逢いするのは初めてだった。
当然、お姉さんも自分の顔を知らない。
でも、待ち合わせ場所のホテルのラウンジで
目印や合図もなく
引き寄せられるようにわかった。
物腰のやわらかそうな雰囲気が
君によく似ていた。
「目がパッチリした人が好き言うてたから
すぐにわかったわぁ。」
と、お姉さんは微笑んだ。

まず、日曜日に会いたいと言われていたのに断り
一番に気づけるはずだったことを
心から詫びた。
すぐに駆けつけることができなかったことも
本来であれば、自分から大阪に出向かなければ
いけないことも、ひたすらに頭を下げ続けた。

「たぶん、あの子は自分が亡くなった姿を、一番に見られたくなかったと思います。
私も両親も、貴方の記憶の最後に残るあの子の姿が、あの姿ではなくてよかったと思うてるんです。」

状況をすべて聞きたいという気持ちもあったが
知るのがこわいという気持ちも、正直、あった。
なによりも、思い出して言葉にすることで
辛い思いをさせたくなかったので
詳細な状況は聞かなかった。
病名を聞く限り相当な苦しみの中だったと
想像できる。
冬とはいえ、発見までに数日経過していたし
ひどく寒がりだったから
おそらくエアコンは
入れっぱなしだったであろう。
その場に立ち合ったお母様は、葬儀が終わった後
ショックと心労で
入退院を繰り返しているらしい。

「年賀状をいただいた方には、お葉書をお出ししたんですが、ほかの方には、どう連絡したらええんかわからもんで、携帯を解約せずに持っとくことにしたんです。
履歴を見て、貴方には、すぐ連絡せなあかん!と思うたんですが、どう言ったらええもんかわからんくて…。
母が入院したり、いろいろとバタバタしてて、やっと電源入れたとこだったんです。
電話、かけてきてくれて、ありがとうね。」

ありがとうね。の言い方が
君とまったく一緒だったから
泣かないでいようと決めていたのに
我慢できずに涙が落ちてしまった。

盆と正月には、必ず実家に帰ってはいたけれど
写真嫌いで、家には学生時代の写真しかなく
遺影は、職場の方が持っていた
プリクラを引き伸ばし、随分とぼやけていた。
焼き増しした遺影と形見を
お姉さんからいただいた。
急拵えを物語る遺影の君は
作り笑いがぼやけていて
哀しみが滲んでいるように見えた。
携帯のカメラでも嫌がったので
ほとんど写真持っておらず
当時の携帯のカメラの画素数が低く
ぼやけた写真しかなかったが
保存していた数枚の写真全部と
10秒の動画を、その場でお姉さんに送った。

お姉さんと別れた後、形見としていただいた
君が一番好きだったCDを開けてみた。
君の部屋の匂いがして
堪えていた涙が一気に溢れた。
泣いている場合ではない。
匂いが消えてしまわないようにしなくては…と
慌ててジップロックを買いに行き
すぐ使うんで、とテープを貼ってもらって
早足に会計を済ませ
速攻で、CDと写真を密封した。

百箇日法要で納骨されたあと
お墓に参りに行った。
お母様が体調を崩されていたので
ご実家には伺わず
最寄駅でお姉さんと待ち合わせて
案内していただいた。
その後
通っていた幼稚園、小学校、中学校、高校
大学にも連れて行っていただいた。
幼稚園は介護施設に変わっていたけれど
壁のタイルは幼稚園の当時のまま残されていて
何を描いたのかわからない絵と
幼い文字の署名が残っていた。

「天津飯、行きましょか。」
お姉さんの言葉に、思わず笑ってしまった。
いつもふたりで話していたことを伝えると
「なるほろ」と、お姉さんが言った。
これも君の口癖で
なんでなるほどじゃないんだろう
と、いつも思っていたので
また笑ってしまった。

道も覚えたので、時間ができると新幹線に乗り
お墓参りに行っていた。
お墓の上に、ポツンと束子が置かれていて
墓地のものなのか忘れ物なのかがわからず
連絡をしたら、お父様の置き忘れだった。
事前に連絡をすると
お父様が掃除や草むしりに精を出すことを知り
ご負担をおかけするのが申し訳なく
それからは、連絡せずに行くことにした。

のちに、お母様から
"貴方には貴方の幸せがあるので早く忘れて欲しい
貴方の幸せを願っています"
と、いう旨のお手紙をいただいた。
自分が君を想うことでご家族を苦しめたくない。
でも、忘れることなんかできない。

"自分の幸せはふたりで過ごした
時間があることです。
その幸せがあるから、生きていけます。
誰かと、幸せになることがあるかもしれませんが
その日が来るまでは、この幸せが支えです。
心の中で、生き続けていく幸せです。"

正直な気持ちを手紙に書いた。
お母様からの返事は
"本当は、ずっと忘れないでいて欲しい。
時間が経てば、家族以外は
あの子を思い出すことも少なくなるでしょう。
でも、貴方には、ずっと忘れないでいて欲しい。
いつも、いつも、本当にありがとう。"
と、あった。

こっそり、お墓参りに行っていることを
お母様だけが気づいていた、と
お姉さんが教えてくれた。
お姉さんが「なんでわかるん?」と聞くと
お花でわかる、と答えられたそうだ。
店頭で組まれている仏花ではなく
君が好きな色や似合う色を選んで
仏花を作ってもらっていたことも
花粉症だったから
花粉のない花を選んでいたことも
お母さまは見抜いていた。

自分は君の最期のひとであることを
誇りに思っている。
逢うことも、触れることも
声を聞くこともできない。
でも、君から別れ話を切り出されることも
絶対にない。
永遠の恋人なのだ。

もうすぐ17年が経つ。
黒のフレームに
ブルーの布団カバーの君のベッドで
目を覚ます夢は何度も見ているが
君の夢を見たのは、たったの一度きりだ。
七夕だって年イチだし
閏年やオリンピックでも4年ごとにあるのに
なんとも薄情な永遠の恋人だ。

携帯に残っていた10秒の動画に
「絶対ちゃうなぁ、無理や…」
と言う、君の声が残っている。
カメラを避けて、顔を背けているけれど
はにかんだようにふてくされる君の表情を
見ない日のほうが少ない。

たいせつな、たいせつな、君のこと。

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