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アカシ

初めてピアスホールを開けたのは
15歳だったと思う。
両耳ではなく、左耳に2つ開けた。
深い意味はないけど、右へ倣えで
両耳にひとつずつがイヤだった。
氷で耳を冷やして、耳の後ろに消しゴムを当てて
安全ピンで開ける人が多かったけれど
その方法でも、ピアッサーでもなく
元町の小児科だか内科に行って開けてもらって
化膿止めの薬まで処方してもらった。

それから、何かしらの転機や
ここぞというときのお守りのように
自分で開けるようになり
ピアスホールは増え続け
社会人になった時点で
左耳が3つ、右耳が2つ。

指輪に関しての職務規定はあったが
ピアスについては"華美でないもの"としか
書かれていなかったので
プラチナのシンプルなピアスを5つ付けていたら
上司に、速攻で叱られた。
それからは、制服に着替えるときにピアスを外し
仕事が終わり、着替えるときにピアスをつける。
面倒ではあったけど、そのささやかなひと手間を
気持ちを切り替える儀式のように思っていた。

ファーストピアスは、好奇心と背伸びだったが
ひとつひとつのピアスホールは
何かしらの意味や決意の証だった。
でも、6個目と7個目と8個目と12個目しか
明確には覚えていない。
最後に開けた12個目のピアスホールは
2005年8月13日、土曜日
京急鶴見の駅で、電車を待っているときに
かなり強引に開けた。
ヘリックス(耳の軟骨)だったので
だいぶ手こずったけれど
今の気持ちを永遠に残したい!という想いだけで
ホームの薄汚れた鏡の前で、汗も拭わずに
ゴリゴリと証を刻み込んだ。

「正月休みに、話そう思てて。
  せやから来年の盆休みは、一緒に帰ろ。」

ふたりで未来を歩いていくという希望を
絶対に忘れたくなかった。

結果的に、お互いに仕事が立て込んで
なかなかタイミングを合わせることができず
生前に逢った、最後の日になってしまった。
今、ここで、この気持ちを残したいという
衝動に駆られたのは、偶然だとは思うが
左耳のヘリックスは、たいせつな証だ。

仕事で正装をしなければならないときや
MRIなどの検査で
一時的に外すことはあっても
あの日から、1日たりとも
12個目のピアスだけは、絶対に外していない。
お守りでもあるし
もはや、自分の一部になっている。

齢を重ね、12個もピアスをつけているのが
仰々しいように感じてきて
普段は、両耳にひとつずつと、ヘリックスの
3個だけをつけている。

ふと、塞がってないかな…と気になって
ものすごく久しぶりに
全てのピアスをつけてみた。
すんなりと入ったのは、7個。
後ろ側が塞がっていたピアスホールに
ポストが細めのスタッドピアスを
木螺子のように捩じ込んで
11個までは開通したが
残りのひとつのピアスホールが
右耳で行方不明で
先ほどから2時間以上
ポストで耳をなぞりながら
勘を頼りにプスプスとさしてみている。

アクセサリーの中で
常に身につけているのはピアスだけで
ピアスが、いちばん好きだ。
昔は、ゴツゴツした指輪をしていたが
今では、まったく身につけない。
ネックレスも、ブレスレットも
身につけなくなってしまった。
肌の上を滑るように纏うアクセサリーよりも
肌を貫くピアスのほうがセクシーだとも思う。
女性でも、男性でも
ピアスをしているひとに目がいく。
純粋にファッションとしてのピアスだとは思うが
自分のように、証のピアスホールを持つひとが
もしかしたらいるかもしれない。
少々の痛みを感じながら刻み込んだ証に
ささやかなエピソードがあるならば
聞いてみたいとも思う。

両耳分で売られているピアスを
たいせつなひとと
ひとつずつ分け合って
身につけるのが小さな夢だ。
初めてピアスを開けてから
ずっと描き続けている、小さな夢…。

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