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忘れられない5月3日

2009年5月2日
16年ぶりに再結成したユニコーンを観るために
さいたまスーパーアリーナに行った。

運良く取れたアリーナ席で
緞帳を見ただけでも昂り
誰かにトンっと肩でも押されたりしたら
落涙してしまうのではないかと思うくらいに
懐かしさに満たされていた。
キャパの小さなハコで観ていた頃は
自分が幼かったこともあり
カッコよくて楽しそうなお兄さんだった彼らが
16年ぶりにアルバムを発売し
3万人近い観客の前に立つことが
ただただ感慨深かった。

ライブの1曲目はひまわり

緞帳にシルエットが映し出されたまま始まり
少ししてから真っ赤な緞帳が落ちた。
歓声とともに現れる揃いのツナギ姿を見たら
確実に泣くと思っていたら
石川遼くんのコスプレでめちゃくちゃに笑った。

再始動で発売されたアルバム曲はもちろん
往年の名曲も組み込まれたセットリストで
Wアンコールのすばらしい日々は
解散前の最後のシングル。
二度と聴くことが出来ないと
自分の中で勝手に封印していたけれど
今日に繋げてくれたことが何よりも嬉しかった。

自分から湯気が出ているんじゃないかと思うほど
興奮した状態で会場を出て
電車の時間を調べるために携帯の電源を入れると
知人からのメールを受信した。

清志郎さん、亡くなった

たった1行のメールに
崩れるように座り込み、涙が溢れた。

前日に友人がCHABOさんのライブに行っていて
びっくりするほど急いで帰ってたんだよね…と
聞いて、なんか用事でもあったんじゃない?と
特に気に留めることもなく聞き流していて
病院に駆けつけるためだったなど
微塵にも思っていなかった。

泣きながら電車に乗り
泣きながら歩き
帰宅してからも泣き続けた。

翌日の5月3日も
ユニコーンを観に行く予定だったが
何も考えることができないほど
何もかもが涙と一緒に流れて
自分が空っぽになっていた。
ひとりだったら行かなかったと思うが
友人と一緒に行く約束をしていて
チケットを自分が持っていたので
行かないわけにはいかなかった。

さいたま新都心の駅で友人と合流し
スタンド前方だけど、角番で扉にも近かったので
どうにもならなくなったら中座すると
予め友人に断りを入れ、入場した。

客入れのSEが、RCサクセションだった。
自分だけではなく、多くの人が泣いていた。
もう二度とこんな大きなハコで聴けない哀しみと
メンバーやスタッフさんの愛ある心意気に
始まる前からタオルがびしょびしょになるほど
泣いて、泣いて、泣いた。

何事もなかったようにステージは始まる。
ステージの上のユニコーンは
いつも通りカッコよく、楽しくはしゃいでいる。
日本のロックが好きな人なら
普通ではいられないであろう日に
いつも通りでいる強さに胸が打たれた。
ひまわりで始まり
この日のWアンコールは開店休業。
のんびりとした曲調とふんわりと優しい詞が
とても暖かく感じた。

終演後のSEは
RCサクセションのスローバラード。
ほとんどの人が退場の足を止め
さいたまスーパーアリーナに響く
清志郎さん独特の艶のある歌声に
それぞれが想いを寄せていた。
曲が終わると、自然に拍手が湧き上がった。
公演中に向けられた拍手より大きく感じた。

2009年5月3日 19時19分に残したメモに
スローバラードがかかってる
泣かせんな、ばか
と、書いてあった。

CDや自分で編集したMD、ライブで
何度も聴いてきたスローバラード。
忘れられない5月3日のスローバラード。



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