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君は漂う海月のように

めずらしく仕事が早く片付いたので
溜まっていた振替休暇を消化しようと
半休を入れた。
浮き足立って、そのことをメールすると
長くかかっていた仕事がちょうど片付いて
午後から休みを入れたので連絡しようとしていた
と、すぐに返信がきた。
お互いに、変則的なシフトの
不規則な仕事をしていて
気づけば三ヶ月以上、逢っていなかった。
有楽町と川崎、お互いの職場の真ん中あたりで
落ち合おうと決めた。

二人とも、なぜか、海月が好きだったので
日々の疲労でガサガサになった心身を潤すべく
品川水族館に行こうと、移動しながら決めた。
鮮やかな彩りの魚には目もくれず
閉館までの間、ただ、海月を眺めていた。
一言二言、話をしたかもしれないが
おそらく、たいした話はしていない。
ふわふわと漂う海月と、息継ぎをするように
時折見つめた君の横顔しか覚えていない。
まわりの人が見たら、将来の約束をした二人には
到底見えなかったと思う。
下手したら
これから別れ話が始まるのではないかと
思われていたかもしれない。
それくらい、普段から
二人きりでいるとき以外は、会話は多くない。
言葉を交わさなくても、充分わかりあえていたし
沈黙に気を遣わなくてもよい、信頼感と安心感が
二人にはちょうどよかったのだ。

閉館後に食事をしようと
適当に目についた店に入った。
毎日、欠かさずメールでのやりとりはしていたが
顔を見るのは久しぶり。
自分が仕事帰りに出向くことはあっても
逢うのは休みの日が多く
仕事モードの姿を見るのは初めてだった。
レストランの煌々とした灯りの下で
あらためて素敵なひとだな…と見惚れていたら
視線に気づかれ、見過ぎだと怒られた。

食事を終え、ゆっくり歩きながら駅へ向かう
もうすぐ駅に着くあたりで
「帰るん?」と聞かれた。
「明日、仕事じゃん?」と答えたら
休みを取ったと言う。
「来るやろ?」と
自宅沿線のJRに向いていた体を
君の暮らす家のある京急のほうへ引っ張られた。
「明日7時半には出るよ。起こさないようにするし
寝ててもいいけど。」と、答えると
微笑みだけを寄越した。
「八丁畷にな、ちっさい猫がおるん。
一駅手前やけど、歩いて、猫見ながら帰ろ。」
嬉しそうに、足を早める姿が愛おしかった。
多忙を物語るように
乱雑になった部屋で並んで座り
天井から吊るされている
海月の飾りを眺めていた。

「来年のお盆は、一緒に帰ろ。天津飯、食べさしたいねん。」
「休みの希望は入れるけど暦通りには取れないと思う。あと、いつも言ってるけど、天津飯は、蟹アレルギーだから食べられないよ。」
「そうなん?東京の天津飯やから無理なんちゃう?大阪のは味が全然ちゃうし、大丈夫やと思うで。」
逢うと、3回に1回は、天津飯の話がでる。
実家の近くに、とても美味しい天津飯を出す
中華料理のお店があって
それをどうしても食べさせたいらしい。
そのたびにアレルギーで体調を崩すと説明するが
味が違うから大丈夫だと言い張る。
お約束のコントのようなやりとりを
繰り返すことすら、楽しくて、愛しい。

シングルのベッドに、同じ形でまるくなって
ぴったりとくっついて眠る。
寝つきが悪く、睡眠薬が手離せないのだが
先に眠りに落ちた呼吸に合わせていると
すんなりと眠れるのが不思議だった。
背中にしがみついている傍らの愛しい温もりは
どんな薬よりも効果が高く、安心で安全だ。

朝、布団にくるまったまま
「角のパン屋さんのサンドイッチが美味しいねん。買うて、お昼に食べたらええと思うよ。」
と、言っていたので
言われた通りに玉子サンドを買い昼食にした。
美味しかったので、お礼を兼ねてメールをしたが
返信が来なかったので、まだ夢の中なのだろう。

君は
猫のように気まぐれに甘え
愛しさという爪痕を残す。
君は
犬のように忠実に愛を捉え
自由に心の中を駆け回る。

君は漂う海月のように
いつのまにか消えてしまった。

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