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ドガやルノアールよりも人気のあった女流画家

1月14日は、19世紀フランス印象派の女流画家、ベルト・モリゾが生まれた日。エドゥアール・マネの絵画のモデルとしても知られ、夫はエドゥアールの弟ウジェーヌ・マネ。一人娘はジュリー・マネ。

(1841年1月14日 - 1895年3月2日)

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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モリゾの画風は自然の緑を基調としたものが多く、穏やかで母子の微笑ましい情景などが特徴的である。
女性が家の外を1人で歩くこともままならなかった時代に画家として活躍。
男性中心の19世紀における女性画家ということもあって、フェミニズム研究でのアプローチも多い。

フランス中部のブルージュの高級官僚の娘として生まれる。

母はロココ時代に活躍し「ブランコ」という絵で有名なジャン・オノレ・フラゴナールの孫娘。姉エドマとモリゾはレディの嗜みとして絵画教室に通うようになったものの、当時の美術学校は女性の入学を許しておらず、姉妹はルーブル美術館で模写をしながら絵の勉強をしていたそう。

モリゾは、美術界の中心だった「サロン」に反発するように結成された自由な芸術表現を掲げる印象派の創立メンバーの一人だった。

一緒に出展したドガやルノワールの絵は世間から酷評を浴びたが、モリゾの「ゆりかご」だけは好評を博し、パリの画壇に名を知られるようになった。絵の買取価格はモリゾの作品は平均にして250フランだったのに対し、ルノワールは100フランだった。

モデルを長く務めたエドゥアール・マネの愛人説もあるが、実際のところは、エドゥアールは、モリゾに対し、サロンの出品を反対し続け、彼女の才能を伸ばさなかった。対して、弟のウジェーヌはモリゾの絵を高く評価し、モリゾのマネージャーに徹して生涯支え続けた。

モリゾが生涯の伴侶に選んだのは、男尊女卑が当たり前の世にあって、芸術家である自分を全力でサポートしてくれる男性だった。

「私は、私を心から愛し、信じてくれる誠実な男性と巡り会えました。これでようやく積極的に生きていける」と後に語っている。


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