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スズランと母を愛した少年が成功した理由

1月21日は、フランスを代表するオートクチュールデザイナー,クリスチャン・ディオールが生まれた日。(1905年1月21日 - 1957年10月24日)

活動期間は1947年~1957年までの11年。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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裕福な実業家の家に生まれたクリスチャン・ディオールは、外交官を志して政治学院で勉強するが、なぜか画廊を開設。

コクトーやダリなど多くの芸術家と親交を深めるも、1930年代の世界恐慌の影響で職を失い、これを機に、友人からデッサンを習い、帽子のデザインのスケッチが好評を博したのを機に、服飾デザイナーを志望するように。

1946年、リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で独立し、パリ・モンテニュー通り30番地に「クリスチャン ディオール オートクチュール メゾン」が誕生。

彼の創造の着想源となったのは、幼少時代を母と過ごしたノルマンディー地方、グランヴィル。温暖な気候で牧草の生育に適した土地であることから国内の牛肉およびカマンベール・ド・ノルマンディをはじめとした各種チーズも生産されている。

舌平目、カニ、ムール貝や帆立貝など豊富な海産物、果物類は、リンゴや洋ナシも多く生産され、シードルやカルヴァドスが世界的に有名。

また、花と庭を愛した母マドレーヌは、常に優雅に装い、幼いディオールにとっての憧れだった。幼い頃から花々に親しんだ彼は、老舗ナーセリーのカタログの植物名を暗記するほど園芸好きな少年で、自身の庭園でデザイン画を描くこともあったよう。

ディオールにとって、彼の幸せな幼少時代の象徴となった邸宅のバラ色とグレーの組み合わせは、シックでエレガントで、クチュリエ・ディオールが好んで使ったカラー・コーディネイトにもなった。また、スズランやバラなど、庭を飾ったお気に入りの花々は、今でもディオールのデザインの随所に使われている。

彼が名付けた「ニュールック」といわれるデザインは、ふんだんに布を使って作られた女性らしいシルエット。第二次世界大戦で疲弊し、傷ついた女性たちに、自信や勇気、そして夢を与えるものであった。

グランヴィルの邸宅跡は、現在はディオール美術館として公開され、また庭園はグランヴィル市の公園となっているそう。

花はディオールに夢を与え、花をイメージした優雅なシルエットのドレスが一世を風靡し、モード史の新たなページを開いた。

「ありがたいことに、この世界には花がある」とは、クリスチャン・ディオールの言葉。


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