スキャットの魔術師、サラ・ヴォーンとジャズの黄金時代
3月27日は、アメリカの女性ジャズボーカリスト、サラ・ヴォーンが生まれた日。(1924年3月27日 - 1990年4月3日)
オペラ歌手にも匹敵する幅広い声域と、豊かな声量を兼ね備え、大胆なフェイクやスキャットを取り入れた歌唱力を持ち味とした。ジャズ・ボーカル史上ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人と言われている。
【生い立ち】
ニュージャージー州ニューアーク出身。
大工で、ギターとピアノを演奏するアマチュアミュージシャンであった父と教会の聖歌隊で歌っていた母の間に生まれる。7歳でピアノとオルガンを弾き始め、聖歌隊で歌う。15再前後には、地元のクラブで年齢を偽ってピアニストや歌手として仕事をするようになった。そして音楽活動に集中するために、高校を中退。
【世界的なジャズ・ボーカリストに】
1942年、アポロ・シアターのアマチュア・ナイトで優勝したのをきっかけにプロの歌手となる。1947年に「It's Magic」が初めてのヒット曲となり、大型新人として注目を集める。歌手でトランペッターのビリー・エクスタインに影響を受け、当時最先端のモダン・ジャズであったビバップのスタイルを歌唱に活かした、モダン・ジャズ・シンガーの先駆けとなる。
1960年代にはビートルズのカバーや、日本では特に知られる「ラヴァーズ・コンチェルト」をリリースした。
ジョージ・ガーシュウィンの作品を集めたコンサートを行い、1981年にエミー賞を受賞。1982年に発売されたライブ盤『ガーシュウィン・ライヴ』は第25回グラミー賞(英語版)で最優秀女性ジャズ・ボーカル・パフォーマンス賞を獲得し、自身初のグラミー受賞を果たした。
1990年4月3日、カリフォルニア州の自宅で肺癌のため66歳で死去。
【エピソード】
ヴォーンがLAに住んでいたころ、よく地元のジャズクラブの客席にヴォーンの姿があったのだとか。さまざまなジャズのライブをお客さんとして楽しんでいたよう。
来日した際、大阪にあった老舗のジャズクラブ、セント・ジェームス(St.james 現在は閉店)にも、ヴォーンが立ち寄り、一時間ほど、ピアニストの田中武史氏のピアノを聴いた後、
「歌ってもいいか?」と聞いた後、1時間あまりにわたり、歌ったそう。どれだけ、歌が好きだったかわかるエピソード。
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