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サイモン&ガーファンクルも讃えた引きこもりの天才詩人

12月10日は、アメリカ文学史の奇跡とよばれた詩人、エミリー・エリザベス・ディキンソン(1830年12月10日 - 1886年5月15日)が生まれた日。

享年55歳。

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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生前は無名であったが、残した作品は世界中で高い評価を受け、19世紀世界文学史上の天才詩人という名声は今や不動のものとなっている。

生前に発表された詩、10篇。死後、発見された詩、1800篇。

北米マサチューセッツの小さな町アマーストの資産家に生まれる。祖父が創立したアマースト学園に学び、マウント・ホリヨーク女学院に進学。1年で退学し自宅に戻り、自室で詩作に励むように。

病弱な母親に代わって家事をしながら、文学書を読みふけり、詩作に熱い意欲を見出した。アマーストから出て旅行をしたのは数回だけであり、マサチューセッツの外に出たのは一回きりだった。

何回かの恋愛を経たものの、一生独身を通す。

時代は南北戦争の頃、女性が自己表現するなど慎むべき時代、保守的な町でエミリーは、詩を書くことが生きがいだった。

内なる自由な大空に羽ばたいていた。

自然、信仰、愛、死などをテーマに、彼女の類まれな感性が、繊細な言葉で紡がれる。

私が共感した彼女の詩を、ここに。

If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robinUnto his nest again,
I shall not live in vain.
傷つく誰かの心を 守れたなら
生きてよかった きっとそう思える
生きる痛みを 和らげることが できたなら
苦しみを 癒やすことが できたなら
ぐったりした コマドリを
巣に戻してやることが できたなら
生きてよかった きっとそう思える

エミリーは、来客は同居の妹に任せ、大好きな庭仕事にいそしみ、足もとの虫から宇宙まで自然を入念に観察。丹精した花に詩を添えて友人に贈り、手作りのパンやクッキーを近所の子供たちにプレゼントしていたそう。

不治の病であったブライト病(腎臓疾患の一種)を患い、約2年半闘病生活を送った後、死去した。享年55歳。

エミリーは、葬儀にも事細かな指示を残しており、質素かつ詩的で美しい葬儀だったそう。

歌謡や韻律の要素と、詩が短いこともあり、歌との相性が良く、非常に多くの作曲家が曲をつけ、歌曲とされている。

サイモン&ガーファンクルは、「エミリー・エミリー」、「夢の中の世界」を唄った。

ウディ・アレンは短編集のタイトル「羽根むしられて」の中で、エミリーの詩と呼応させている。

映画『静かなる情熱』で私たちは彼女のみずみずしい感性を見ることができます。

資産家だったディキンソン家の屋敷。今は博物館に。

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