イギリスの小説家、エミリー・ブロンテ
皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。
長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
7月30日は、イギリスの小説家、エミリー・ブロンテが生まれた日。
(1818年7月30日 - 1848年12月19日)
ブロンテ三姉妹としても有名で、
『ジェーン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテ(三女)、
『アグネス・グレイ』を書いたアン・ブロンテ(五女)、
エミリーは、四女で、唯一の長編小説『嵐が丘』を書いた。
とび色の美しい目をした背の高い女性で、
大きなマスティフ犬を可愛がっていたそう。
『嵐が丘』のヒースクリフとキャサリンのラブストーリーは
何度も映画化され、「世界の三大悲劇」の1つといわれている。
1848年結核で死去。享年30歳。
エミリーの生きた19世紀前半のイングランドは、
馬が移動の手段だった時代であり、
動物は人々にとって身近な存在だった。
ブロンテ家も、鷹のネロや、
ガチョウのビクトリアとアデレードなど、
様々なペットと暮らしていた。
エミリーはアイリッシュ・テリアのグラスパーを始め、
何頭かの犬を熱愛すると同時に、厳しくしつけた。
なかでも獰猛な性格で知られたマスティフ犬の「キーパー」がお気に入りで、
キーパーが村の犬とケンカをした際、
果敢にもエミリーが止めに入ったという逸話がある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?