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愛と苦悩の美しきセックス・シンボル〜ジーン・ハーロウ〜

3月3日は、アメリカのセクシー女優、ジーン・ハーロウが生まれた日。(1911年3月3日 - 1937年6月7日)マリリン・モンローが登場する以前の代表的なセックスシンボルだった。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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ミズーリ州生れ。1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」の女優部門で第22位に選出されている。

【女優としての生涯】

16歳の時に資産家の息子と駆け落ちして結婚。ロサンゼルスへ引越して、新婚生活をスタートさせたが2年で離婚した。その間に、銀幕デビュー。知人に誘われてのエキストラ出演だったが、離婚後、本格的に女優を目指すようになった。

大富豪ハワード・ヒューズが莫大な製作費を投入した超大作『地獄の天使』(1930年)のヒロインに抜擢されて大ブレイク。19歳だった。

『プラチナ・ブロンド』(1931年 監督:フランク・キャプラ)は、主役のロレッタ・ヤングの役名でもある「Gallagher」というタイトルだったが、ハワード・ヒューズの要請でハーロウの輝くばかりのブロンドからヒントを得た『プラチナ・ブロンド』に変更され、映画は大ヒット。街はハーローそっくりの女性で溢れたそう。そして、「プラチナ・ブロンド」はハーロウの代名詞に。これは後にマリリン・モンローに継承される。

【セックス・シンボルというストレス】

私生活でもセックス・シンボル視されることへのストレスから、かなり早い時期からアルコール中毒となり、その結果、腎臓を悪くし、26歳で早世した。

【結婚と恋愛】

生涯で3回結婚、その間、妻帯者だったクラーク・ゲーブルとの恋愛も。また、最後の婚約者だった俳優ウイリアム・パウエルはハーロウ亡き後、その死が訪れるまで常にその墓前に命日の誕生花である白いクチナシの花を47年間、ずっと絶やさなかった。

【ジーン・ハーロウの墓碑】

ドビュッシーと同時代のフランスの作曲家シャルル・ケクランは、ジーン・ハーロウの大ファンだったそう。彼女の死を悼み「ジーン・ハーロウの墓碑」( ÉPITAPHE DE JEAN HARLOW)という曲を作曲。



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