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夜光珠の如き美しさといわれた女優 〜八雲恵美子〜

8月15日は、戦前の松竹蒲田を代表するスター女優、八雲 恵美子(1903年8月15日- 1979年1月13日)が生まれた日。本名は玉野 千代子。後芸名は八雲 理恵子。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。

後に実業家となる。

単に美人の枠で括ることが憚られるほどの美人で、
「夜光珠※の如き美しさ」と評された。

主演作「東京の合唱」「不壊の白珠」は世界中で上映されている。
今年は生誕120年。
大阪府大阪市北区相生町(現在は都島区)の旧家の出身。
幼少の頃から長唄、清元、生田流琴を習い、
奥伝を許されるほどの腕前だったという。

しかし、10代後半で全てを捨てて恋人の後を追い、上海へ。
数年後に帰国し、両親に詫び状を送るも実家には戻れず、
身についた芸事を活かして芸妓になり、
花柳界で人気を得た。

市川荒太郎、東愛子夫婦の力添えで
映画デビューしたのは1926年。

島津保次郎、五所平之助、小津安次郎、野村芳亭、清水宏に気に入られ、松竹の看板女優になった。

そのうちの島津、五所監督には求婚もされている。
八雲の出演作は100本ほどあるが、
フィルムは15本ほど現存。

活躍期間は10年余りで、引き際も潔く、1938年に引退。
第二次世界大戦後は、実業家に転身。

化粧品会社を創立して社長となり、
その後貿易会社の社長になった。
1979年、心不全のため死去。享年75歳。

※夜光珠:暗夜に光を放つという宝珠。特に昔、中国で、隋候が蛇を助けて、その蛇から授かったと伝えられる玉をいう。


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