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生涯を宝塚に捧げた、天才舞台人 〜天津乙女〜

10月9日は、宝塚の黎明期を支えた宝塚歌劇団団員、天津 乙女が生まれた日。(あまつ おとめ、本名鳥居 栄子 1905年10月9日 - 1980年5月30日)

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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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月組組長、のちに同劇団理事となった。芸名は小倉百人一首収録の僧正遍昭の歌より取った。

没後、宝塚歌劇団100周年記念の2014年に殿堂入り。

妹は雲野かよ子と池辺鶴子。いずれも宝塚の所属で、芸名の「雲野かよ子」は天津乙女と同じ歌に由来する。かよ子も天津乙女と同時に殿堂入りを果たしており、タカラジェンヌで唯一の殿堂入り姉妹となった。

また、弟の鳥居正一郎は阪急百貨店社長を務めていた。

東京市神田区小川町一番地(東京都千代田区)出身。

父は、尾張藩出身の鳥居政吉、母、静の長女(2男4女)として生まれ、ニコライ堂の鐘を聞きながら育った。

両親共に大変な芝居好きで、天津乙女は両親に抱かれて、よく、新富座で行われている劇団新派の芝居を見に行っていた。

宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)初の東京公演(大正7年)が行われた際の生徒募集に応じて入団。

歌劇「パリゼット」をはじめ、「棒しばり」「奴道成寺」など数多くの舞踊の作品に出演、日本舞踊の名手として女六代目の異名をとった。

昭和8年3月、新設された舞踊専科の責任者に転属して以来後進の指導に尽力し、多くのスター団員を育てた。

40年間にわたって日本舞踊に精進した功績が認められ、昭和33年に紫綬褒章を受章している。

1980年5月30日、在団のまま死去、享年75歳。


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