サンジェルマンの輝ける知性ーシモーヌ・シニョレー
3月25日は、フランスの女優、シモーヌ・シニョレが生まれた日。(1921年3月25日 - 1985年9月30日)陰のあるヒロイン、また娼婦役で強い印象を残した。女の哀しい宿命を演じたら、彼女の右に出る女優は世界中探してもいないといわれた。
【出演作】
『肉体の冠』(1952年)
『嘆きのテレーズ』(1953年)
『年上の女』(1959年)
『これからの人生』(1977年)
【受賞】
『年上の女』 1959年
アカデミー賞主演女優賞、カンヌ国際映画祭女優賞、ベルリン国際映画祭銀熊受賞
【生い立ち】
ドイツ・ヴィースバーデンにて生まれる。
ナチスによるフランス統治の間は、父がユダヤ人であるということを隠して働いていたという。父はロンドンに逃げ、シニョレは母親や弟たちとパリに置き去りにされた。
【サンジェルマンの知性の輪】
第二次大戦下、ドイツ軍占領下のパリで、セーヌ左岸のサンジェルマン・デ・プレのカフェでは、画家のピカソやスーティン、哲学者のサルトルや作家のボーヴォワールなど知識人が集まり、新たな芸術や解放の哲学について、白熱の議論を交わしていた。
その輪に一人の若い娘が加わった。のちに女優となるシニョレ。素晴らしい人々の議論に参加することで、彼女はそこで生まれ変わった。このとき、シニョレは20歳だった。
気丈なシニョレはドイツ軍の目を盗み、家族を養うために英語を教えたり、事務員などをして働いた。仕事の合間にはレジスタンスを支援、”知性の輪”にも加わる。
家族を援助するため、また演技に興味を持ったために1942年からエキストラとして映画に出演し始めた。
カフェで多くの映画人と面識を得た彼女は大戦終了後、エキストラから始め、47年、「宝石館」で頭角を現す。更に最初の夫となるイヴ・アレグレ監督の「デデという娼婦」に出演、注目を浴び始める。
50代に入る頃から実年齢以上の老け役を演じることが多かった。56歳で主演した「これからの人生」では老け役で鬼気迫る演技を見せ、60代になっても銀幕で演じ続けた。
【私生活】
1947年に映画監督イヴ・アレグレと結婚し、長女で女優のイザベル・アレグレをもうけたが2年後に離婚。1951年にイヴ・モンタンと再婚。戦後、フランス共産党党員としのデモや活動に夫イヴと参加。社会問題に関心の深い一面があった。
1960年、二人はマリリン・モンローとアーサー・ミラーが住んでいたビバリーヒルズのホテルに滞在し、モンタンとマリリン・モンローの関係が不倫に発展し、彼女は深く傷ついた。そして自殺を試みた。戻ってきたモンタンに「あなたを愛している。でも、もう恋していない」と告げた。離婚こそしなかったが、シニョレは一人で歩き始めた。こうして、二人は彼女の死まで離婚せず、生活を共にした。
【晩年】
1985年9月30日、「安らかな気持ち」という言葉を残してあの世へ旅立った。享年64歳。 パリ ペール・ラシェーズ墓地で安らかに眠っている。
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