見出し画像

フリーダ・カーロ~生涯身体の苦痛と闘い続けた女性画家~

皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


7月6日は、メキシコの芸術家、フリーダ・カーロことマグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロンが生まれた日。(1907年7月6日 - 1954年7月13日)

メキシコの現代絵画を代表する画家であり、
民族芸術の第一人者。

メキシコシティの近郊出身。

写真家の父ギリェルモ・カーロと
母マティルデ・カルデロン=イ=ゴンサレスの三女として生まれた。

父は、ドイツ、バーデン・バーデン出身のハンガリー系ユダヤ人だったため、
フリーダはのちの作品にはナチスを意識したものも制作している。

フリーダが6歳のとき、急性灰白髄炎にかかり、
この影響で右腿から踝にかけて成長が止まって痩せ細り、
これを隠すためにズボンやメキシコ民族衣装のロングスカートなどを好んで着用していた。

1925年、通学に使用していたバスの交通事故で、フリーダは重傷を負い、
後遺症で背中や右足の痛みに生涯悩まされた。

が、ここで痛みと病院での退屈な生活を紛らわせるために
本格的な絵を描くようになったという。

1951年の作品『父の肖像』には
「私は父ギリェルモ・カーロを描くものなり。
父はハンガリー・ドイツ系の出にして、芸術家であり、職業写真家である。
心ひろく、知的で、その人となり貴く、勇敢にして、
60年の長きにわたっててんかんに悩めるも、
休みなく働き、ヒットラーに歯向かった。
敬愛する娘フリーダ・カーロ」とあり、
若き日の父親への感謝の念を贈っている。

1954年、ひっきりなしに苦痛に見舞われていたフリーダは
肺炎を併発して死去した。享年47歳。

父と同じように生涯、病気との闘いの中での芸術活動であった。
最後の絵は「人生万歳」。

「人生万歳」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?