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怒られたり注意されたりするのってイヤだけど、向き合ったら違う世界に行けた【職場編】

他人から怒られたり注意を受けたりすると、無力感、孤独感、無価値観、そういうのを感じちゃうんだ。それが嫌だから、できるだけそれらの感覚を避けようとして、自分らしくない言動をとることがある。多々ある。

【いい人】でいようとする行為がほぼそれ。頼まれたことは基本断らない、イヤな顔せず引き受ける、辛いときでも笑顔、身体がしんどくても休まない、などなど。

自分じゃない自分。他人から見て【いい人】に思われそうな自分。そんな自分のことが”いいやつ”だから好きだと思っていたけど、勘違いだった。

「嫌われずに済んだ」という安堵感でしかなかった。ただの"その場しのぎ"だった。

2024年のわたしから”あの頃”のわたしへ

それに気づいたのは雇われの社会人生活を始めて15年以上経ってから。この先は過去の仕事に悩む自分へ向けて書いてみる。もし当時の自分に届いたとしても、やっぱり社会人を15年経験しないと気付きを得られないかもしれないけどね。

言われてイヤな言葉=自分が自分にNG出していること

わたしが言われたくない・聞きたくないのは「遅い!」「早く!」「気が利かない!」「優しさがない!」という言葉たち。

これらを言われないように、無理して素早く先回りした行動と作り笑顔で仕事をしていたんだ。本来の自分とは別人格を演じているわけだから、終業後はヘトヘト。もうジャンクフードでも食べて、楽しい動画でも観て、心が落ち着いてからじゃないと寝れないわけ。やってられないわけ。でしょ?

でもね、そうやって自分を押し殺して働いていることに違和感を覚えたんだよね。そもそもなぜ働いているのかって、詰まるところ幸せになるためでしょ?お金稼いで欲しいもの買って食べたいもの食べて行きたいとこ行って会いたい人に会って…って、そうやって生きていきたいからでしょ?

なのにそれを達成するための手段【仕事】で不幸せを感じてたら、全然意味ないと思うの。だからさ、もう無理するの辞めたんだよね。

できないことは「できません」と言い、やりたくないことは「やりません」と言い、やりたいことは「やりたいです」と言うことにしたの。シンプル。

そういう言葉を使い慣れていないものだから、ちょっと雑な伝え方にはなっちゃったんだけど、上司や先輩たちに少しずつ自分の本当の気持ちを伝えるようにしていった。

子どもみたいな言い方で。
「やだ!」「無理!」「できない!」「やらない!」って。本当にこんな言い方。笑

口きいてくれなくなった先輩もいた。笑

それでももうやりたくないことはやらないと決めてしまったから、感じたことをそのままぶつけさせていただいた。その練習をさせてもらって感謝しかない。

もうね、素早く動けない自分も、先を見越して動けない自分も、優しくない自分もいるってことを認めることにしたの。それらが良くないこと、NGってしてるのは誰でもなく自分なんだよね。誰かにそう言われたとか、世間一般の常識とか、そんなん関係ない。許せてないのは自分。それを認めた。

許してはない。ただ、そういう自分の一面があるってことを認識した。それだけ。それだけなんだけど、それを行動に移したらラクになったの。「認識したよー」ってことを身体に教えたっていう感覚かな。その証拠として「『やりたくない』を他人に伝えたよー」っていう、そういう感覚。

わたしの伝え方はストレートすぎるけど笑、自分の好き嫌いや得手不得手を周りに伝えるようにしていると、自分の好きな仕事や得意分野が回ってくるようになるんだよね。

個人的には入社したてが1番伝えやすいと思っていて、自分の気持ちに気付いたらいちいち伝えるようにしていたんだ。そうすると、【遠慮なくハッキリ言うキャラ】みたいのが確立されて、その後の会社員生活がスムーズになる。

「新人の分際で言いづらい…」という気持ちが芽生えるかもしれないが、イヤなことを許容して長く勤めてたのに、急に反対のこと言う方がしんどい。※作り笑顔でハイハイなんでもやるって言ってたのに「やっぱりやりたくないです。嫌いなので。」みたいな。

だから、早めにオープンマインドになっとく方がラクだぜ。

理不尽なことで怒られたら

わたしの責任じゃないのに。まだ教えてもらってないのに。それわたしの仕事じゃなくない?など、怒られた理由と不満は色々だけど、それはひとまず置いといて。

責任を負いたくない、自分に注目されたくない、自分を悪いやつ・ずるいやつだと思いたくない、そんな気持ちはないかと客観的に観察してみる。そうすると見えてくるんだ。あぁ、いるなぁって。そういう感情をもった自分の存在が。見たくないけど見えてきちゃうんだ。

理不尽だと思ったら、その気持ちを伝えてみるのがモヤモヤが残らなくてよい。冷静にな。
「そうなんですね。知らなかったです」
「そのお仕事の担当はどの部署ですか?」
「最終確認はどなたにしたらよろしいでしょうか?」
みたいな感じで。悲しみや怒りの感情が瞬時に襲ってくるかもしれないが、その感情事態も観察しつつ、状況を整理。

過去ではなく今・未来をみるのだ。

「あんなこと言わなければよかった」
「こうしていたらあんな風に思われなかったかも」
「あの人、ちょっとおかしいんじゃない?」
そう思って不満を募らせると思うけど、あんまり意味ないよ。でも、湧いてきた素直な感情だからそれも観察しといてな。

イヤな出来事を避けるのではなく、受け止められる自分になる

イヤな出来事(人と関わることで体験するイヤな出来事)を避けるのは簡単だ。誰とも関わらず、引きこもっていればいい。

だけど果たしてそれは幸せなのだろうか?引きこもり生活もやったけど、ちっとも楽しくなかったぞ?傷つくことはなかったけど、”あたたかい何か”もなかった。

わたしは雨の日にお昼寝をするのが好きだ。雨自体はイヤじゃない。だけどピクニックを予定した日に雨が降ったら悲しい気持ちになる。同じ雨の日でも違う気持ち。

だから雨自体に良いも悪いもなくて、そのときの自分の見方・受け止め方次第。

ちょっと脱線した。

誰かの言葉に傷ついたのなら、悔しいけれどそれは自分が気にしていることであって、周りにバレたくないと思っていること。言われたら辛いからもう言われたくないだろうけど、自分が自分に対してその気持ちを変わらずに持ち続けていたらまた言われるぞ。

でもそんな自分を否定したりジャッジする必要はなくて、ただ「わたしはわたしのことをそう思っているんだなぁ」って認識すればいいだけ。

んで、悲しかったのなら、その感情を1~2分味わって泣いたり文字に起こしたり言葉にする。そこにフタをせず、感じ切るのだ。フタしても後でまた出てくっから、フタはあまり意味がない。

得意な仕事だけがまわってくる

自分の気持ちに素直に過ごしていると、そんなわたしを否定する周りの言葉が減ってきたんだ。

「(もっと)早く」と言われることはほとんどなくなり、スピードが求められる場面では、その仕事が得意なスタッフが変わってくれるようになった。スピーディーな仕事が得意なスタッフにも苦手分野や嫌いな仕事はあって、それらの仕事がわたしは好きだったから、うまいこと役割分担できたんだよね。

自分の好き嫌い・得手不得手を周りに伝えることが良くないことだと思っていると、それを伝えるのに勇気がいるけど、上の立場の人からしたら言ってもらった方がありがたいみたいなんだよね。

こんなこと言ったらどう思われるだろう?って不安になる気持ちはわかるけど、考えても仕方ないから考えないで伝えてみよう?そしたら面白い展開になると思うよ。

働ける場所はそこ以外にもたくさんある。嫌われても怒られてもいいから伝えてみな?本気で変わりたいならね。

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