今日も飛行機に手を振ろう

1人で映画を見る。

なんでも1人でやってきたつもりだったけど1人で映画を見たことなんてなかったなと思う。

65で定年してからジムに通い始め、そこからダンスをするようになり生活が一変した。世の中にこんな楽しいことがあったのかと思いながら、夫を誘って毎日ジムに通っている。同じジムに通っていても別のことをしているというのが実に居心地がいい。

娘が戻ってきた頃、毎日家でひたすら泣くだけの様子をただ黙って見てるのが正直苦痛で夜の散歩に誘っていた。小一時間でも歩くことで少しはスッキリしている様子の時もあれば、ずっとグズグズと泣いてる時もあった。

人にはこんな風に泣ける場所が絶対に必要で、この子にはここがそうなのだとしたら親としてこんなに幸せなことはないなと思う。どんなときも寄り添うと決めたけど、どうしていいか途方にくれる時があって、ふと空を見たら飛行機が飛んでいた。
そのとき思わず手を振っていた。

あの日も行ってらっしゃいと手を振って見送ったっけ。こんな日が来るなんてなあと正直思う。でも誰も悪くないのだった。彼もこんな風に泣ける場所があったらよかったのに。あの頃のわたしも泣ける場所がなかったから、彼の気持ちはよくわかっていた。できることなら助けになりたかったけどできないこともあるのだ。それは他の誰かがやるだろうから彼の頑張りもちゃんと覚えておこうと思う。誰も悪くないから、いつかまた笑える日を信じてそれまでこうして一緒に歩く。

「なにしてんの?」と後ろから娘が言う。

「飛行機に手を振ってんのー。いつかどっか旅行しようか。グアムとか!」返事を期待せず能天気にそう言ってみた。

ここを居場所にして、元気になったら好きなだけ飛び立っていけばいい。帰って来た時からそんな風に思っている。ただ何もできないで寄り添うことがどれだけ苦しいことか今は分からないだろう。それでいい。たまにつまらないことでケンカしたりしながらこの時期をやり過ごそう、そして飽きるまで踊ろう。そう決めている。

何年も前に突然姿を消した親友の甥っ子を思い出す。ある日突然いなくなって今はどこでどうしているか分からない。生きているかどうかも。どこでなにをしているのだろうか。あの子もどこかで居場所を見つけたのだろうか。

明けない夜はない、夜明け前が一番くらい。絶対に口には出さないけど、そう強く願う。

そんな毎日から5年も経っただろうか。

そのあと突然海に行くと言い出し慌ててついて行ったりした。結局銚子で海鮮丼を食べて帰ってきた今思い出すと笑い話だけど、そのまま海に落ちたらどうしようとそのことしか頭になかった。
そう言う日々を少しずつ抜けて、いつのまにか元気になっていた。

人がやることだから、必ずどこかで許せる日が来る。許すことで解き放たれるのだ。

最近はほとんど一緒に散歩に行くことはない。
あの頃の面影もなくすっかり立ち直り、毎日を明るく過ごしているのをみて、それ以上に願うことはもう何もないのだった。

「見たい映画があるんだ」というと
「一緒に行きましょうか?」と珍しい返答があったので、すぐにでもスケジュールを決める。

自分の親と出かけるということはわたし自身はほとんど無かった。背を向けて生きて来たからだ。なにかやりたいことをなんとなく口にするとそれを覚えていて誘ってくれることに少し後ろめたさを感じながら、最近やっと素直に楽しめるようになってきた。

その帰り道「映画ぐらい1人で見れるようにならないとね」と言うと「そうだね」と帰ってきた。

この歳でまだやったないこともあるもんだなと思いながら、空に飛行機を見つける。
昼間見ると小さな虫みたいなのに、夜になると突然夢を運ぶ光に見えてくるから不思議だ。

長い時間を生きて来た気がするけど、なんとなくあっという間だった。人生まだ半分と言いたいけど、それはなかなか難しいだろう。それでもこの人生で今が1番楽しいと感じられるこの日々の幸せを噛み締めていつかあの飛行機に乗るよと思いながら、今日も飛行機に手を振るのだった。

おわり

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