お前の日記なんて誰も読みたくないんだよ

タイトルは自分で考えたものでなく、上記の動画の中にある一節である。


さて、そうした前提を踏まえた上で、日記を書こうと思う。

2024年5月22日(水)

8:30、起きた。

とある方の配信ライブに参加したが、なんか違和感を覚えた。

そして、気持ちが落ち込んだ。

相手方がある話なので、詳しくは書かない。

その後、気持ちの落ち込みを何とかしようと、LINE通話できる相手を探し、お話を聞いてもらう。

そして、その後わたしは溜まっていたルーティン作業に取りかかった。


毎朝、わたしは昨日にやったことをすべて記録に残してる。

都度都度、あったことは直後に紙のノートに手書きで書いている。

それをさらにDAISOで売ってた「やれたこと記録ノート」というのに書き写している。

起床時間と就寝時間。その日の出費金額。睡眠時間。タバコの喫煙本数。あとは、その日にあった出来事などを簡単にまとめて書くようにしている。

自分は病気でどこの医者に行っても取り合ってもらえない状況にあり、とりあえず医者に渡された「睡眠日誌」というものに睡眠時間と薬を服薬した時間をメモするうちに、いつの間にか他の記録も残すようになってしまった。

その作業を二日間、出来てなかったので、知り合いに話を聞いてもらって、気分転換が計れたタイミングで「今しかない」と思ったので、それに取り掛かった。

作業を終えた後、自分の今の状況を変えるためには何が必要なのかを紙のノートに書いてみた。

安易に他人の名前を出さない方が良いと思うので出さないが、ひとつひとつの事象は些細なことなのだが、「チリつも」という奴で、一個一個を除去して、心中の苦しみを取り除くしかないと思った。

自分が現在、困っていることは、外に出ることが怖いという現象。これは先週の病院で倒れた(病気の発作と思われる)ことに起因するものと思われる。

となると、家の中に滞在する時間が長くなるのだが、自分は指が痺れて、出来ることが少ない。指が使えなくてもストレス発散する方法はたくさんあるのだろうが、たとえば映画見るとか本を読むとか。

しかし、集中力の低下のせいで、そうしたことをしてても気分が晴れない。

・・・となると、誰かと喋ってる時間が一番気楽ということになるのだが、平日の昼間に暇してる人なんて、主婦とかなら話は別だが、そう多くはない。

そんな時、わたしはつい携帯を触ってしまう。

携帯の向こう側には、どんな事情を抱えてるのか知らないが、わたしと同じように暇を持て余してる人が結構いたりする。

しかし、ネットに埋没しすぎると、これがまたメンタル的に良ろしくない。

世の中には自分の知らない世界がたくさんあるのだなと感心させられるのだが、語弊を恐れずストレートに書くと、ど底辺の本当にどうしようもない世界があったりする。

仕事や趣味を持ってる人なら、そんなおかしな人は相手にしなければいいのだが、こちらも暇を持て余してる。

なるべく自分と共通項のある人を探して、相手してもらったりしてるのだが、それでも何故か諍いのようなことが起こって、そうしたことで気に病んでしまったりする。本当にしょうもない世界だ。


・・・で、辿り着いた答えが「ネットから姿を消す」という結論だった。

しかし、だからといって、携帯に入ってるアプリを消したところで暇であることは変わらないと思う。携帯をなるべく触らないとか、そうした選択肢もあるのだが、自分は極端な性格なのかも知れない。

いったん姿を消して、また一日後に姿を現したりなんかしたら、それこそ笑い者にされるだろうし、それでも自分の苦しみが消えないなら消すしかない。とりあえずは様子をみようと思った。


で、いったんやることをやり終えたので、メシを食って、昼寝をかました。

目覚めたのは、18時半だった。

寝れば不安感はいったんリセットされるものと思ったが、あまり効果はなかったようだ。

そこでまた話し相手を求めてしまった。

運よく同じように時間を持て余してる人がいたので、その人と長時間、話をした。

わたしはここには、おいそれと簡単に書けないような過去のトラウマ的経験を未だ忘れられないでいて、その人は真摯にその話に耳を傾けてくれた。

通話を切り終えると、三時間も経っていた。

あの一件でわたしは五年以上、苦しめられているわけだが、「そんなもん、早く忘れた方が良い」という結論になるのだが、それでも忘れられないことというのは誰しもが抱えてる、いわばありふれた話なのかも知れない。

が、わたしの中でそれは重要な事項で、忘れる努力をしても、病気のおかげで痛みが酷い日なんかには、その記憶が蘇ったりするので、本当にやっかいだと思っている。

「おいそれと簡単に書けない」話なので、文脈なんかも自分としては大事で、それを全部語り尽くそうと思うと、三時間も時間を要してしまった。

「苦しみ」や「トラウマ的」と書いた以上、それはわたしにとって、許しがたい話であることであることに間違いはないのだが、ひとしきり話を終えたあと、わたしは聞き手になってくれた人に意見を求めた。

「憎しみという感情についてはどう思うか?」

「それらをどういう形でアウトプットするのがいいと思う?」

確かそんなやり取りをしたような気がする。

結論としては、小説なような形にするのがいいのではないか?という結論に至った。

同意した。


こんな長い時間をかけて、その話をしたのは初めてで、わたしの心は穏やかになったはずなのに、通話を切った時点で、まだ食欲が沸かなかった。

「どうしよう?」

そう思って、また携帯を覗いてしまったのが、失敗だった。

わたしは配信ライブで「食欲がない、どうしよう」というようなことをコメントで書いた。

わたしは慢心していたのだろうか?

てっきり優しい言葉が返って来ると思ったのだが、相手方は「本当に喰えないなら、病院行けば?」と一蹴された。

確かに正論である。

そして、相手はわたしが匿名でコメントしたことを卑怯だと罵り始めた。

これは、わたしの精神衛生上よろしく無いと感じたので、その場をすぐに去った。

しかし、その場所には複数の人がいて、親しくさせてもらってる人もいたので、場の空気を乱してしまったことに対して謝罪した方が良いと思って、再びその場所に戻った。

そして、再び匿名で謝罪をしてみた。

ところが、先ほどわたしのことを罵倒してきた男は「匿名であることは卑怯だ」と議論めいたものをふっかけてきた。

わたしは本当に悪意なく、軽率にコメントをしただけだったのに、そのことがわかってもらえないようなので、仕方なく匿名を外して、自分のアカウント名でコメントをしてみた。

そして、コメントで延々と書いても仕方がないので、オンライン上で直接話し合いをした。

その男はだいぶ酔っているようだった。


まあ、さっきは書かなかったのだが「◯にたいほど、苦しくて・・」と書いた文言も、その男的には気に食わなかったようで、そうした心理状態にあるのは嘘ではないのだが、誰だか分からない形でそれを書いたことは卑怯・・というか、おちょくってるだけのように見てとれても仕方がない話なのかも知れない。

そうした誤解を解くためにも、話し合いをした方が早く場はおさまる。そう判断したのだが・・・。


その酔っている男は自論を述べしまてたくるタイプの男で、心が弱り切っているというこちら側の気持ちなど関係ないと言った感じで、ひたすら長く、自分の思うことを喋り続けた。相当、酒が入っていたことも関係あるのだろうが。

わたしとしては詫びを入れたいだけの気持ちで話し合いの壇上に上がったのだが、相手はその◯にたい理由を聞きたいと言い始めた。

しかし、つい先ほど三時間もかけて話した話をまた再度するのは大変なことだし、何より相手もそこまでは望んでないだろう。聞いてられないと思うし、普通なら。

だから簡潔に、言える範囲で言えることを言ったのだが、それでは相手は納得しなかったようだ。


「もうそんなことは忘れて、楽しく話をした方が良くないか?」という意味のことを長い時間を掛けて、また喋り始めた。

先ほどあんなに自分のことを煽っておいて、次は普通に楽しく話をしましょう。

そんなことを言われても、こちらも心が弱ってるし、おまけに煽られた直後だし、そんな簡単に気分を切り替えることは出来ない。

そして、その男の話は長い。

これは下手に言い返すと時間がかかるな。そう思ったわたしは、その男が話してる間は、うなずくことも止め、顔が見えないのをいいことに本を読み始めた。

その間、わたしはずっと無言を貫き通した。

実に無駄な時間だった。


わたしも最初は悪気はなかったし、謝罪の意を述べたくて、その場に来た手前もあったので、ずっとその場に居続けた。無言で。

そして頃合いを見計らって、その男の話に調子を合わせてみた。

そうすると相手も気分を良くしたのか、「明日も仕事あるし、落ちるわ」と言って、その場を離れた。

同じタイミングでわたしもその場を離れてもよかったのだが、その場に残った他の人にも悪いと思ったので、残り続けた。

あくまでわたし目線の話だが、場の空気は悪くなっていた。

そこでわたしは責任感を感じたので、積極的にその場に居た人たちに話題を振ったりなどした。

なんとなく空気も和んだ感じになり、時間も午前3時を過ぎた頃だったので、解散することになった。

そんな一日だった。



締めに入ると、三時間もかけて説明して、ようやくわかってもらえるような話が出来て、気持ちも穏やかになったようなのに、自分の軽率な言葉でそんなことになってしまった。

しまった。

わたしは一体、何をやっているんだろう・・・そんな気分になった。

ネットの向こう側には色んな人がいて、リアルでは話しづらいような話を身内同士で語り合って盛り上がったりなどしている。

そんな中、先ほど書いたような言葉をいきなり書かれたら、怒りの感情を発動する人がいても、何もおかしい話ではないと客観的な視点から見て理解は出来る。

しかし、わたしが心のうちに抱えた苦しみの行きどころはどうすればいいのだろうか?


この記事のタイトルは「わたしには文学なんて出来ない」でも良かったんだけど、そもそもわたしは自分の人生をテーマにしたものをいつかは小説みたいな形で書きたいという思いは、ずっと秘めていたし、おまけにこんなに長いものを書いているものだから、それが出来ると慢心していたのかも知れない。

他人が読んだとしても、一つも面白く感じられないようなものをこんな長文でしたためているこの状況からジャンが得ても、そのように思う。


まあ、確かに。

「お前の日記なんて誰も読みたくない」という言葉の通りに「お前の人生なんて興味ない」。「お前の苦しみなんて俺には関係ない」。そう思う人が大半だろうし、自分が逆の立場ならそう思っていたかも知れない。


ということは、わたしの苦しみなんて誰も興味がねえんだよ・・ということと同義になり、そして。

ついさっき起こったことを面白く書けてない自分は、苦しみのことなんて、まったく他人にとって興味のないことだし、口に出すべきではなかったのかも知れない。

という結論になる。

しかし、わたしも人間だ。

いい年をして、悪態を別の場で喚き散らすのもどうかと思うし、最後に自分の好きな曲の動画を貼って終わろうと思う。






追伸

ちなみにこの記事を書き終えた後、自分はどんな心理に移ろうのか、自分のことながら予想もつかない。

現在、朝の4時51分。

まだ晩メシは未だ食えてないし、なんかこうなったらもう意地でも喰わないでやろうか?そうして、救急車に運ばれたら、それがお前の本望か?と言った気持ちもあったりするのだが、とりあえずわたしの心は未だとっ散らかったままで、次の瞬間に何をするかは、わたし自身にも分からない。

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