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細田は世界を描けないし、新海は他者を描けない



僕は新海誠ラヴァーだ(ついでに細田守ラヴァーだ)
鬱屈とした中学生ライフを満喫していた冴えない伊藤少年は秒速5センチでガンハマりしたクチだ
そういうわけですずめの戸締まりを観てきたのでよければ妄言にお付き合いください

れっつごー

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消化不良なところ①本作のテーマ

本作のテーマはなんだろうか
観る人によって解釈は様々あるだろうが妥当なところとして「喪失との対峙」ではないだろうか
すずめは母の喪失を抱えており、因縁のある地震という災害の扉を「戸締まり」することで乗り越えていく、
この話を3行でまとめるとこんな感じになるだろう
非常にシンプル、故に噛みごたえはあまりない
理由は明快で、すずめが向き合うことになる過程は旅を通して非常に丁寧に描かれているものの、そこで得た様々な経験を通してすずめがどんな葛藤を抱え、悩み、どんな変化が生まれたが見えないのだ
ESで見栄えがいい経験はたくさん書いてあるのに、そこから何を感じ考えたかが全く見えてこない就活生みたいだ

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消化不良なところ②成長の不在

本作はガールミーツボーイの物語のツラを被っているが構造としてはボーイミーツガールの方が近いように思う
つまり、出会って恋に落ちた相手は(もしくは2人の間には)障壁を抱えていて、それを乗り越えるべく協力する形で主人公が活躍する物語だ
この障壁が世界に影響を及ぼすと、いわゆるセカイ系になる
最終兵器彼女であり、新海作品でいうとほしのこえと天気の子である

ガールミーツボーイは僕の観測範囲内だと、障壁が主人公内にあることが多く悪い意味ではなく自己本位の物語なのに対し、ボーイミーツガールは自己犠牲が付きまとう他者本意だ
なので本作は構造としては昔ながらのボーイミーツガールではあるが、性別のみを逆転しているというのが僕の解釈だ(君の名はと同じだね)
その結果草太は(少々?)ポンコツで、そのせいですずめが恋した草太の魅力もイケメンというところ以外言語化されておらず、すずめが突き動かされる原動力としては説明不足だ

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消化不良なところ③細田は世界を描けないし、新海は他者を描けない

これは本作、というより近年の新海3作品と細田の竜とそばかすを通して感じたことだが、新海と細田はそれぞれ致命的な欠点があり、故に彼らはいつまで経ってもポスト宮崎駿のままでおそらく今後も同格に並ぶことはないのだということを痛感した(くどいようだが僕は新海ラヴァー兼細田ラヴァーだ)

まず細田は実世界の解像度が致命的に低い
仮想空間やファンタジー世界の描き方、ことビジュアルにおいては世界トップといえるのだが、実世界で起きている社会問題(竜とそばかすだとネグレクト、ルッキズムなど)が大味で取ってつけた感が半端じゃない。どうせ社会に関心の矛先が向いていないのだったら扱わなきゃいいのに、回を重ねるごとに社会問題をテーマに織り交ぜるようになり、大概が失敗しているように見える
あなたは好きなもんだけ描いてくれよ、あと脚本つけてくれよと願わずにはいられない

一方の新海は他人の描き方が超粗い
リアルなタッチの風景にキャラクターの、その内面のデフォルメ化されたペルソナが浮いてペラペラに見える
新海はもしかしたらかつて陰キャの、どちらかと報われない側の人間だったのかもしれないと思う
なぜならそうした人物の描き方は抜群に巧みだからだ(秒速の主人公のことを言っています)
直近の新海の描く、陽キャな主人公と、それを囲む性善説な人々は、新海自身が心の底ではそんな人いないと信じているのが現れたかのように、キャラの厚みがなく、リアリティに欠ける

奴らは顔も良くて境遇も恵まれていて、きっと人並みに悩んでいるつもりだろうが大した悩みじゃないんだろう
それに比べてオレは...妬ましさから理解を拒絶した陰キャの目に映る陽キャたちがスクリーンできゃっきゃとやらせるのは、それがスポンサーや代理店の、そして観客の要望だとしても身売りしすぎやしないか

結局彼らは自分たちがよく見えないものを、ニーズに応えようと無理やり描くが故に、商品しか作れなくなってしまっている
彼らと宮崎駿の差は才能じゃない
外野が何を言っても、オレはこれが作りたいんだとつっぱねるマッチョさ(とそれを強いプロデュース)の不在が、彼らを今の地位に甘んじさせている最大の要因だと僕は考える


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よかったところ①魔女の宅急便のオマージュ

竜とそばかすが美女と野獣のオマージュだとしたら、本作は魔女の宅急便のオマージュではないか、断言するがこれは妄言である
猫と知らない街に行き、そこでいろんな人に助けられて、逆に周りの人に幸せを配りつつ、なんとか生きています
少々無理やりだが上のように書くと共通点は多そうではないか
付け加えるなら荒井由美のルージュの伝言をドライブで流すシーンは明らかに作為的だと感じた(以降の懐メロが好きという設定はこのシーンの後付けのようにも思えた)
魔女の宅急便は少女の成長という普遍のテーマを描いた作品で本作ともテーマとしても共通点があり、こうしたオマージュは好意的に受け取れた

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よかったところ②セルフオマージュ

意図的に新海作品のセルフオマージュを挟んできたのはファンサービスが効いていて嬉しかった
電車を見送る少女の構図、お決まりの鳥と共に天空から街を見下ろすカット、君の名はの楽曲使用、、
いやぁ、いいよね
過去作のキャラクターをちょい出しするといったこれまでのわかりやすいオタク向けのサービスは、なんというか製作陣のしてやったり顔が見えすぎてて好みではなかったが、カットのオマージュとかはオタク心をくすぐる

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よかったところ③Z会方式

さて、話は変わるが新海が言の葉の庭以降取り入れている、スポンサー企業のロゴ商品を映画内に出す、という手法が面白い
これは一歩間違えればアニメの世界観をぶち壊し、一気に現実に戻す引力があるため、僕の知る限り他にやっている監督を知らない
他にやっている監督を知らないし、この手法に名前があるかも知らないので僕は勝手にZ会方式と呼んでいる(言の葉の庭でZ会の看板が印象的に描かれているのを見たのが最初だったため)
率直に言ってこれまでの新海作品、少なくとも君の名は。と天気の子に関してはこの方式はイマイチだった
理由は簡単で新海の作品は多くの場合現実の地理を舞台としながらもファンタジー要素を含んでいるからだ
だから映像の中の東京は、僕たちの東京と繋がっているけどあくまで並行世界の東京で、だからこそ美しいし不思議なことが起こるのだ
そんなエモーショナルな感情に浸っている中で、これみよがしにサントリー商品の缶やどん兵衛が見てくれと言わんばかりに出てくるとちょっと萎えちゃうじゃないか
これらは映画になんの作用も与えてなく、ただプロモーションをするためだけにその世界に存在しているのだ
そんな不純なものを自分の世界に置いておける感覚は理解できない(結果興行は大成功しているし、制作陣も代理店もスポンサーも観客もみんなハッピーなんだろうが、僕はそれでも気に食わんのだ)
そういうわけでこのZ会方式はアンチだったわけだが、今回ばかりは勝手が違うようだ

本作は3.11という実在した災害を中心に据えている
今までの新海作品は舞台装置だけ現実都市だったが事象は一貫してフィクションだったが、今回はリアルなこの現実で起きた出来事が映画の中でも起きている
もちろんファンタジー要素はふんだんに織り込まれているが、それらは映画の中の出来事が実際に僕たちの生きているこの世界で起きていないことの証明にはならない
震災を引き起こすミミズは僕たちの目には見えないのだから
このリアルとフィクションの境を曖昧にする作用を、本作はZ会方式が一役買ったと僕は感じた
これは舞台設定が現代と異なる宮崎作品にはそもそも生まれ得ない化学反応だし、大きな発明と言える(ただしあくまで本作に限る)

こうした点、特に③が新鮮で僕にとって本作は結構印象に残る作品だった


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全体を通して

公開当初ツイッターで散々議論を呼んだように、本作はテーマを災害(しかも実際にあった)をテーマにしており、自覚的に挑戦的なテーマを選んだと思う
クラスで片親の子をいじっちゃいけないのと同じように、アニメで重いテーマをやってもいいけど、リアルとは線を引いてね、そこはわかってねといった空気が暗黙的にあってそれを破ってやろうという意気込みが感じられた
そういう空気の理由もわかる
アニメはデフォルメ化されるし、エンタメ色も実写よりどうしたって強くなりがちだ
つまるところポップすぎる媒体で、リアルで傷ついている人がいる問題を、それも今や売れっ子となった監督が扱うのは"軽い"んじゃないか、こんな批判が飛んでくることは監督自身わかっていたはずだし、実際あった

正直なところ、この批判を真正面から打ち返せる力は本作には見出せなかった
主人公含め震災で負った傷を現在も抱え続けている「重い」人物は出てこなかった(これは前述の新海の他者を描く想像力の不足が所以な気もする)
また監督自身の着地も薄味だったように思う
これだけ難しいテーマを考え抜いた上で、自分なりに言いたいこともう少しなかったんかい、とはなってしまう

上述の通り本作は弱点も多い
それでも、ぞれでも僕は本作を愛したい
ポスト宮崎にはなれないが、違う道を進んだ先の可能性を本作は示してくれた
それは他の商業主義作品にはない、商業主義を貫いたからこそ垣間見えた可能性だ
日本は大衆向けのエンタメ作品でないと配給もされづらい土壌がある
その中で新海は寵愛を受け続けるだろうし、かつその先の可能性を見せて僕たちを楽しませ続けてくれるだろう(そして時折失望もさせるだろう)
次回作にも期待したい

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