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竜とそばかすの姫はディズニーへのアンチテーゼである

竜とそばかすの姫を映画館で観てきた
僕は結構細田守ラヴァーなのだが今作の総評としてはエンタメとしては満足、映画としては及第と思っている
この中途半端なモヤモヤを除物させるべく、
映画のテーマ、構造、細田監督のウィークポイント等々観ていて感じたこと思ったことを乱れ書いていく
※ネタバレしまくります、1回しか観てないので理解の甘い部分、記憶違いたくさんしてそうです

①美女と野獣ー映画の主題ー
あえて語るでもないことしれないがこの映画は美女と野獣をオマージュしている
主人公のアバターの名前はベルだし、竜はBEASTとも呼ばれ、彼の住む城には薔薇の花が咲き誇っている
ガストンにそっくりな正義漢が竜を追い回すのもきっちり本家を踏襲している(領主の威光よろしくスポンサーのロゴを背後に光らせている画はめちゃくちゃ面白い)
詳しくは書かないが物語も中盤まで美女と野獣の筋書きを丁寧にたどっている
なぜ細田は忠実に美女と野獣をわざわざUなどという大層な舞台で再現したのか
それは細田のやりたかったことがディズニープリンセスに対するアンチテーゼだからではないだろうか
かつて女の子の多くはディズニーにでてくるようなお姫様に憧れ、衣装を纏ったり王子様が迎えにくるのを夢見たりした
しかし現実では仮装を脱いだら制服に着替えなければいけないし、王子様はいつまで経っても現れず、マッチングアプリで恋人を探さなければならない
現実は自分の身一つでサバイブしなければならない
それを僕たちは理解している
すずが歌姫という仮装を脱ぎ捨て、ありのままの姿でそれでも逃げずに歌ったことで想いは竜に届いた
ネットが発達した今、たしかにtiktokやインスタを上手く使えば多くの人にちやほやしてもらい、お姫様のように扱われることも可能だろう
それでも、だからこそありのままの自分を曝け出すことは大事なんだぜ、お姫様になんかならなくても君は十分素敵なんだぜという、少し青くさいほど真っ直ぐなメッセージを僕は細田監督から受け取った


②ハウルの動く城
竜とベルの関係や会話はハウルとソフィを彷彿とさせる
竜がベルに触れるなと拒むシーンは怪物と化したハウルがソフィを拒絶するシーンとよく似ているし、ベルが竜に対して異性として見つつも母性で包み込む構造もソフィとハウルの関係に似ている
細田監督がハウルの動く城の監督をやる予定だったことも踏まえると、細田版ハウルの動く城でやりたかったネタが今作に隠されているのではないかと思わず勘ぐってしまう


③そばかすと痣
Uの世界では身体的特徴、また本人の内在的な性質がアバターに反映される
すずのアバターはコンプレックスのそばかすを、竜は背中に痣を浮かび上がらせている
仮想空間上のアバターは一般にモンハンの主人公やvtuberのようにリアルの容姿やコンプレックスとは無縁な、理想のキャラクターを造形できるがUではリアルと地続きなのが新鮮な仕掛けとなっている
そうしたアバターの身体的特徴はリアル同様心ないユーザーから貶められたり、その特徴をもとに個人を特定しようとする者も現れる
身体的特徴で醜美を判断すべきでない、それぞれが個性だと言われて久しいが綺麗事は大衆には受け入れられない
一方ですずは竜の痣から彼に惹かれ、痣が2人をつなぐ役割を果たす
大切な人のホクロやそばかすが可愛く見える、寡黙な男子の猫背の背中に惹かれるといったように、ときとして身体的特徴は愛おしい個性に映ることもある
身体的特徴が孕む2面性が仮想空間の中で描かれている点が面白い


④母を失った家族
母が事故死し、父と2人で暮らすすずの家と、虐待を受ける東京の父子家庭の家が劇中描かれる
母を失った父子の関係は対比の構図になっていて、すずは父に対しどう接せばいいか分からず、東京の家は父親が子に対しディスコミュニケーションな態度でしか接せず物理・精神的に抑圧してしまう
2つの親子の関係がどのような顛末を遂げるかは映画のクライマックスの通り


⑤父親
家族の話でも触れたが本作では2人の対照的な父親が出てくる
すずの父親は完璧だ
反抗期のような娘との距離を詰めすぎず開けすぎず、娘が決意をした時は優しく言葉をかける
細田監督が自分の子供に将来こうやって接したいんだろうな感が満載なのはご愛嬌だと思う
一方恵と知の父は作中悪役として描かれている
弟にはうるさいと暴力を振るい、執拗に兄を無価値だと罵るシーンは見ていて気持ちいいものではないだろう
しかし彼も描かれないところで苦悩があることは想像がつく
妻がなんらかの理由でおらず、兄はネット漬けで弟は自閉症気味だ
仕事も相応の地位でプレッシャーも大きいのだろう
これまで仕事で大成するために育児を妻に任せ、子供たちともろくにコミュニケーションを取ってこなかったがためにどのように接せばいいのか分からないのだろう
要は余裕がない中、彼自身も困惑しているのだ
彼の立ち振る舞いはとても褒められたものではないが、僕たちは恐らくすずの父親からよりもこちらから学ぶことが多いのではないだろうか



⑥ただ立ち向かう
すずが東京の兄弟の父親に立ち向かうシーンが面白かった
少年漫画の主人公のように力で圧倒するわけでも、ラノベの主人公のように言葉遊びのような諭しをするわけでもなく、サマーウォーズのように仲間と一緒に立ち向かうわけでもなく(歌うシーンでやっていたが)、すずは単身敵の陣地に乗り込み、無言で相手の暴力にも怯まず立ち塞がる
父親がそれに恐れをなして逃げ帰るのは少々ご都合主義的ではあるが、監督がやりたかった耐える強さみたいなものは今までのアニメや映画の主人公とは異なる姿で新鮮に感じた

⑦田舎の仲間と都会の孤独
細田監督の映画にサマーウォーズ以降都度都度描かれる田舎賛美が今作でも垣間見れた
関わる人が皆優しく、主人公たちを応援してくれる
対照的に東京は、おおかみこども、バケモノの子に続き、皆他人に関心がなく冷たい街として描かれる
こうしたステレオタイプで一面的な描き方はあちこちでどうせ叩かれているので褒めるポイントを探そう
僕としてはサマーウォーズ同様ど田舎の建物(今回は木造の校舎)と不釣り合いなハイテクPCという画は細田監督の発明だと思う
現実の主人公たちが都会の子供部屋でパソコンをカチカチやっているというだけではあまりに画が弱く、せっかく仮想空間の華麗なCGで感動させた観客の心も離れてしまっただろう
ど田舎から世界を変えるというプロットのためのお膳立てとして監督としても泣く泣く都会をあのようにしか描けなかった、と信じたい


⑧自己犠牲
先に語ったように父子の関係が対比構造になっているように、母とすずも対比構造になっている
自分を置いて見知らぬ子を助けるために命を捨てた母をすずはずっと理解できなかった
しかし自分もほとんど見知らぬ兄弟を救うために、仮想空間上の自分のアバターの命を投げ打つことになる
この自己犠牲を厭わず目の前にある命を救う血とでも言うのだろうか
すずはこの経験によって母を理解し、父と向き合い直すきっかけへと繋がる


⑨歳の差恋愛
映画の中で様々な年齢の離れた相手への恋心が語られる
親友のひろちゃんはお爺ちゃん先生に密かに気持ちを寄せているし、婦人歌唱団の1人は留学中に中学生へ恋心があったことを思い出深く語っている
すずと恵も言わずもがなである
キャラクターに意味ありげに語らせた歳の差恋愛が映画において意味を持っていたかは疑問が残るというのが正直なところだ
穿った見方だが、物語終盤のすずと恵の関係を肯定したいがために周りに類似ケースを並べているだけな気もしている
おおかみこどもで獣姦だと叩かれたからだろうかとか思ってしまった


⑩鯨ー意味深で実は意味なんかなさそうなメタファーー
細田の中で鯨は何の象徴なのだろうか
サマーウォーズのオズの中でなつき達に祝福を与えるオズの主として描かれた
今作の鯨は大量のスピーカーを背中に積み、すずを乗せ歌を届ける姿は旧約聖書で異教徒に改修をもたらす手助けをした鯨のオマージュとこじつけられなくもないが、恐らく単に監督が鯨の造形を好んでいるだけというのが実際な気もする


細田守という監督は、監督自身の体験と戻らない過去への憧れ(失った青春、結婚や子育てなど)を映画にダイレクトに落とし込む作風だが、卓越した映像表現も伴ってポスト宮崎駿などと祭り上げられ売れすぎてしまった人のようにも思う
今後エンタメ性も維持しつつ、さらに奥行きのある作品を作ってくれることをいちファンとして願うばかりだ

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