見出し画像

時間がたりない話。

今週末は友人達と夏フェス、来週末は小中学校の頃の友人達と飲み会、その次の週末は写真教室といつもの友人と日帰り旅行、その次の週末は友人とキャンプ、その次の週末は東京旅行の予定が既にあります。

予定が無いと寂しいなと思うけど、ふと気付いたら毎週誰かと何かの予定を入れていました。
これで、陰キャだ引きこもりだと言ったら嘘になるような気がしますが、根っこは真っ暗なんですまじで。
予定があり過ぎて、夏フェスの予習は出来ていないし、友人に送った「飲み会のお店、予約しようか?」の回答は未だに返ってこないし、ツイステとチームラボの勉強はまだ出来ていないし、キャンプ場を何処にするか調べてないし、東京旅行の旅券を未だに予約していません。

また予定があり過ぎて、心の余裕がありません。ラジオはまだ先週のターンを聴いているし、読みたい本が順調に溜まっていっているし、旅行した時の写真や先輩と庭園に行った時の写真の編集もしたいし、未だにカップソース焼きそばも食べたいです。
フェスの次の日の月曜は有給を得たので、多分虚ろな目で何もせず家で1日過ごしていると思います。

それに、人へ返した言葉をふと思い出して、自己嫌悪に陥っています。
例えば、先輩に「車出すから一緒に行こう」と自ら提案した予定の場合、「車を出す私」にしか価値がないのかどうか、相手からみて「私と過ごす時間」には価値があるのか。
また、「宿泊費出すから両日遊ぼう」と自ら提案してオッケーを頂いた予定の場合、「本当は帰りたいけど、宿泊費が浮くならいいかな≒お金を出す私」にしか価値がないのか「そんなの関係なく、提案されたのでオッケーを出した」のか、不安になります。
人に遠慮なく声を掛けるくせに、いざオッケーが出てもなお不安でしょうがありません。どっちも車も宿代の話はせずに素直に「私に時間を頂戴な」と言えば良かった。そしてオッケーを貰えれば良かった。そうしたら、こんな事で悩まなくて済むのに。
自分で提案した付加価値に自分そのものの価値が負けているのではないかと思ってきました。文字にして自分が現在進行系でダメージを負っています。

究極「どこでも何でも付き合うよ」と言ってくれる人が見つかると良いな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?