駅そばとちょっと大人になった私とそば湯。
久しぶりに駅そばを食べた。
ほんとはとろろそばが食べたかったけど、売り切れてたので山菜そばにした。
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小さい頃、週末は母に連れられて都内に行くことがあった。
埼玉とは言え、ど田舎だったので都内までは約1時間半。軽いプチ旅行。
そんなとき、たまに母と駅そばを食べてから行った。
仕事中のサラリーマンらしき男の人たちに混じって女性2人。ちょっと浮いていたかもしれないけど、母はそういうのは気にしない人だったし、私に至ってはドキドキ半分、嬉しさ半分だった。
なんとなく、仕事してる大人と混じって駅そばを食べてると自分も少しだけ「大人の仲間入り」した気がしていたから。
電車の時間に合わせて、さっと食べていく大人たち。
「おお、これが大人の世界か。」とぼんやり思いながらゆるゆると麺を口に運んでいた。
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駅そばを1人で仕切っているおばちゃんも凄いなあと思って見ていた。
場所によって違うかもしれないけれど、私の地元の最寄り駅では、おばちゃんが1人で駅そばを作っていた。しかも駅構内と駅の外、両側に窓口があるから、おばちゃんは引っ切りなしにあっちにいったり、こっちにいったりしていた。
たくさんあるメニュー全部覚えて、お皿も片付けて洗って、オーダーされて作って、お金の受け渡しもして、しかも電車の時間もあるという短い時間でその全てを1人でこなす。
たまに常連さんみたいな人とも一言二言交わしながら麺をゆでる。
「おばちゃん、すごいなあ」と思いながら私はまたノロノロと麺をすすっていた。
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何十年経って、なんか無性に食べたくなって先日ふらっと寄って食べてみた。
特別すごく美味しいというわけではないけれど、なんだか美味しく感じる。麺もつゆもたぶん普通なのに。別にトッピングの卵が特別卵ってわけでもないと思うし、山菜が採れたてのわけでもないのに。
「なんでだろうか…」
ゆるゆる麺をすすりながら考える。
やっぱり女性は少なくて、サラリーマン風の人や、ふらっときたおじさんがさくっと食べて「ごちそうさま」って言ってみんなすぐ出て行く。
「あ、思い出の味か。」
ふとそんなことを思った。
別に特別高いわけでも、すごく美味しいわけではないけれど、この味はかつて私が「ちょっと背伸びした大人の気持ちで母と一緒に食べた」という思い出の味に変わっていた。
子どもの頃の私の、もう二度と戻れない、少しだけセンチメンタルな感情と共に。
コロナで実家に帰れてないけど、次帰ったらそんな些細な日常をまた母と共有できたらいいな。
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相変わらず食べるのが遅くて、結局私よりあとに来た人も先に食べ終わって店を出て行った。
隣の人が出て行く前に「そば湯ちょうだい」といってそば湯をすすってから出て行った。
「頼んだらそば湯もくれるんだ!」
何十年も経ってからの新しい発見。
その日の私は温かいそばを頼んだからそば湯はいらなかったけど、正直に言うと初めて行く店で「そば湯ちょうだい!」ってなんか気軽に言う勇気がなかったりもして。
次行くときにはそば湯をさらっと頼んで飲める大人になっていたいなぁ。
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