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1人でも苦手な人がいると関わるのをやめてしまいがち

タイトルと内容が合ってるようでそうでもない感じです。苦手な人には、せめて挨拶だけして終わればいいんだけど、顔を見るのも嫌で挨拶もしたくないって表情が強ばる自分は器の狭い人間です。

ついつい好奇心でなんか見てしまった。読むつもりじゃなかったのに「そういやあれ何だったの?」と気になって読んだら思いのほかぐったりした。

先日見かけた炎上ものの背景について、いくつかの記事を当事者が取り上げて書かれていた。あーなるほど…私はまたよく知りもせず、あっさり共感し、不快に感じてわかったような気になっていたと反省している。

こういう炎上系のものは、一方の主張だけを鵜呑みにしてはいけないことは理解してたつもりだった。所詮「つもり」なのだ。だって、ずっとそのことばかりに関心を向けていられないし、深みにハマっていくと疲れてしんどくなるのは目に見えている。「生きづらさや人の痛みがわかる人達なら、ここは居心地がいいかもしれない」って、その界隈に思いのほか期待してる自分がいたとわかり、少なからずショックでもある。同じような属性のなかでも、争うことはやっぱり避けられない。人間だもの。

差別とか偏見などを自分なりに解釈し、その都度アップデートを重ねて修正していき、日々気をつけていこうと考えている。時には、誰かに「それはやめたほうがいい」などと指摘を受けたり批判されたとする。こちらに誤りがあれば謝罪して、今後はどうしていきたいって真摯に向き合える人でありたい。

だが、不本意に一部を切り取られて、事実を歪曲された内容が周囲に広められるのは納得がいかないと感じる。「そこは違います」などと反論したり、「その発言に私は傷ついた」と主張することは必要だと思う。結果的にそれが火に油を注ぐことになったとしても、ぶれずに立っていられる強さが私にはあるだろうか。

理想としてはぶれずにいきたいけど、おそらく怖くて即逃げるかもしれない。ネット界から自分の存在を消してしまうと思う。トラウマが残ってると、転生して再スタートという選択肢を何年経ってもとらないかもしれない。実際に自分がそういう状況に陥ってみないと、どうなってしまうのかわからない。

最近、また自分の悩みや相談に乗ってくれる人を見つけたい気持ちが強くなった。ていうか、友達が欲しい。居るにはいるけど、人によって話す内容を選んでいるから、時間が経過しても関係は変わらず、浅くてゆるくつながっているまんまだ。色々オンラインでつながれる空間を見つけて、積極的に参加したいと考えつつ、まだ何もしていない。

ある場所を時々こっそり覗いてみたら、大体いつも嫌いで苦手な人が確実にいるので、もうそこに行くのはやめてしまった。その場所は、昨年短い間お世話になった場所だった。入ってすぐ、自分のメンタルが脅かされるかもしれないって不安になった。自分でも誰かの支えになれるならと思いもしたけど、人に寄り添えるどころか、良くも悪くも自分が1番大事なんだってことがよくわかった。

他にも、グループ内で自由に考えや感想を述べた時に、相手のものさしでやんわり否定されたことに今でも腹が立っている。はっきり言われたわけじゃないし、こちらが後出しじゃんけんしてるみたいでずるいけど、自分はこの場所に相応しくないのでは?とぐるぐる考えることが増えた。あと、その人が別の誰かに対する発言も聴いてて許せなくなっていった。

自分の居場所を守るためなら、自由奔放に言いたい放題言っていいのかと悔しかった。問題提起したくなったけど、その人を排除したいとかではないし、もう私がそこに行かなければいい話だと思い離れる事にした。なんでいつもこちらが遠慮して退かなければならないのか。でも、私にとってそこは居心地が悪いことに変わりなかった。

とりあえず、疲れた。聴いてくれる人がみつからないなら、思いの丈をブログやnoteで吐き出すまでだ。一方的でもいい。気持ちの整理が必要なら、口に出さなくてもいい。時間をかけて書くことで昇華されると思う。


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